【米英】遭難日記
遭難三週間目。
「…ちょっと、痩せたかな」
俺は自分の腕を握ってみる。
痩せたかどうか確認する以前に、あまり手に力が入らなかった。
毎日毎日、砂浜のSOSをなぞっては濃くしているのに。
船が通った時にわかるように、たき火だって炊き続けているのに。
なぜか、どうしても、助けがこない。
食料は尽きた。
水は、ペットボトルが一本だけ。
「あいつ、生きてんのかな…」
俺はだるい体で立ち上がり、アメリカのいるであろう場所へ向かった。
ゆっくり立ち上がり、少し考えてからペットボトルの水を手に握った。
アメリカの寝床には、本人はいなかった。
一晩だけ世話になったその寝床は、その時と変わらず、長く伸びた木が自然の屋根となり、子どもが作った秘密基地みたいになっていた。
あの晩、俺とアメリカは嵐を避けるように寄り添って眠った。
その時、ばかみたいに心臓が速くなって、全然眠れなかったのを覚えている。
「何、考えてたんだろうな…」
俺とアメリカが眠った、自然のベッドの上に腰掛ける。
と、驚くべきものが目に入る。
そこには、遭難三週間目とは思えないほどの食料があったのだ。
ここで調達したものなのか、こっそり隠し持っていたのか、大事に食べてきたのかは知らないが、そこには食料が積んであった。
目の前がくらくらした。
空腹で足がふらつく。
俺は息を飲んだ。
「イギリス」
アメリカの声で、ハッと我に返る。
「なんだ、生きてたのかい」
少し痩せた気がする。
アメリカはそれでも元気そうに笑って、俺に手を振った。
俺は笑うこともできず、その場に座り込んだ。
俺はいま、何をしようとした?
こいつの食料を奪おうとした?
首を左右に振る。
視界がぐらぐらする。
かなり、キているようだ。
「何か用かい?救助がきた?」
「こねぇよ」
俺は諦めたように呻き、溜息をつく。
「もう、こねぇんじゃないか」
はは、とアメリカは渇いた声で笑う。
「おまえ、ずいぶん食料残ってるな」
「そうかい?君は?」
俺はニッと笑う。
「まだまだ余裕だ」
ふうん、とアメリカは言う。
「でも俺さ、水のほうがなくなっちゃってさ…一回こぼしちゃったんだよね」
「マヌケだな」
俺は笑う。
アメリカも笑う。
だが、俺たちはこんな笑い方をしていただろうか。
分からなかった、忘れてしまった。
俺は、手に握っていたペットボトルをぎゅっと握りしめる。
最後の一本だ。
食料も、水も、ない。
もう何も、残ってはいない。
「なぁ、アメリカ」
俺はアメリカに歩み寄る。
そして、満タンのペットボトルの水をその目の前に差し出した。
「…なんだい?」
「やるよ」
その言葉に、アメリカの目が泳ぐ。
相当喉が渇いているのだろう。
「言ったろ?まだあるって」
俺は笑ってみせる。
「ここでおまえに借りを作っておくのも、悪くないかなーって」
俺が言い終わる前に、アメリカは俺の手からペットボトルを受け取っていた。
そして何も言わずにキャップを開け、口から水を流し込む。
ごく、ごく、とアメリカの喉が美味しそうに動く。
少し飲んでから、アメリカは息を吐き出し、ペットボトルから口を離した。
唇はつややかに濡れていて、それだけでアメリカの体力はかなり回復したように見えた。
「イギリス、ありが…」
「おまえ、バカだな」
「え?」
「それに毒が入ってるって、なんで考えねぇんだよ」
言いながら、俺は自分の声が上ずるのがわかる。
三週間目で、食料も水も残っているわけがない。
だがここには、寝床も食料もある。
簡単なことじゃないか。
二人とも助かろうなんてことが、間違っているんだ。
アメリカの青空みたいな目が、見開かれる。
「わかっただろ?俺を信用したおまえがばかだったんだよ」
するとアメリカは、無表情のまま、ペットボトルの水を一気にぐいぐいと飲んだ。
「お、おいっ…おまえっ…」
「毒だって?」
アメリカは俺を睨み返し、中に残った水ごとペットボトルを俺に投げつけた。
貴重な水が俺の顔に思い切りかかる。
軽くなったペットボトルは、静かに地面に転がった。
「次にそんな嘘、ついてみろ」
アメリカはすごい目で俺を見た。
「絶対に許さないから」
俺はその場に崩れるように、座り込んだ。
「はは、バレバレか…」
言ってみたかっただけだ。
俺はアメリカを試した。
あいつがどんな顔をするか、見てみたかったんだ。
顔を上げると、背の高いアメリカが俺を見下ろしていた。
「俺のこと、もう信じられないんじゃないかって思ってたよ」
「…くだらないね」
「そうかな…俺には重要なことだ…」
目の前が歪む。
アメリカの脚が、何本にも見えてくる。
身体も顔も、腕も。
その腕がゆっくり伸びてきて、抱き寄せられる。
「知ってたよ、君が俺を助けようとしたこと」
耳元でささやかれる言葉。
でも、もうあまりよく聞こえない。
「君が望むなら俺は死ぬよ。君の盛った毒で死んでもいい」
でも、とアメリカの声がかすれる。
「君が先に死ぬのだけは、絶対にだめだ」
ぼんやりとした視界に、アメリカの顔が近付いてくる。
唇にやわらかい暖かさを感じる。
「また、怒らせちまったな」
それだけ言うと、俺は意識を手放した。
* * *
アメリカはゆっくりと顔を上げる。
そして、その光景に目を見開き、立ち上がる。
腕の中のイギリスの首が、がくんと後ろに垂れ下がる。
「よかった…イギリス、きたよ…助けが…」
イギリスは返事をしない。
アメリカはイギリスを抱きかかえたまま、砂浜へ走る。
「あめりか…もうちょっと、ゆっくり、走…れ…」
蚊のなくような声で、イギリスが言うが、アメリカには聞こえていない。
アメリカは満面の笑みで、イギリスを見る。
「帰ったら、仲直りしようよ」
「…しょうがねぇな」
「君はいつでも、素直じゃないね」
イギリスはそれだけ言うと、目を閉じた。
アメリカは救助船に手を振った。