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くまちゃん
くまちゃん
novelistID. 16246
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薔薇色の庭

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いつもの散歩道にある小さな平屋建ての一軒家。
けして大きくはないこじんまりとしたその家に、よく手入れの行き届いた美しい庭があった。
キンモクセイに柿の木、紅葉、そして今まさに満開の時期を迎えた薔薇の花壇。
華やかな香りが垣根を越えて漂ってくる。
弘樹は満開の時期にこの庭の薔薇を眺めるのが密かな楽しみだった。
今日もゆっくりと散歩道を歩き、この家の薔薇の花を見て家路につく、何も変わらない一日だとそう思っていた。
いつものように垣根の向こうの花壇の薔薇を眺め、そっと花びらに触れたその時だった。

「薔薇お好きなのですか?」

突然声をかけられ、花壇の向こうに目をやると庭で手入れ中と思わしき背の高い青年が微笑みながらこちらを見ていた。
今までこの家の住人に遭遇することがなかったので弘樹は随分と驚いて青年を凝視してしまった。

「…あ、すみません。あまりに熱心に薔薇をご覧になっていたので、つい声をかけてしまいました。」

青年はすまなさそうに謝ると軍手をはずしながらこちらへ近づいた。

「あ、いや…こちらこそいつも勝手に他人様の庭を眺めて…失礼なことを」

しどろもどろで謝り、そそくさとその場を立ち去ろうとすると

「待ってください!」

ぐっとその青年に腕を捕まれ、引き止められた。

「せっかくですし、是非庭でご覧になってください。椅子もありますし。」
「…は!?え、ちょっと!」

青年は弘樹の答えも聞かないままにやや強引に腕を引っ張り、垣根の横にある出入口へ招き入れた。
そのままぐいぐいと連れてこられ、庭にある陶製の丸い椅子に座らされてしまった。

「お茶の用意をしてきますから、ここでご覧になっててください。」

青年はそう言うと縁側から家の中へ上がり台所へ行ってしまった。
弘樹はぽかんとしたまま青年の後ろ姿を見送り、一連の出来事にただ呆然として言葉も出ない。
なぜか素直に椅子に座らされているこの状況に、はたと気づいて憤慨した。

(何なんだ?!あいつは?とういか、何で俺は素直に座って待ってるんだ?!)

ぶつぶつと文句を言っていると、台所から青年がお茶を抱えて戻ってきた。

「甘いものはお好きですか?」

ニコニコとしながらうれしそうに急須のお茶を湯呑みに注いでいる。

「…どうぞお構いなく!」

ぶっきら棒に答えると弘樹はぷいと顔を背けた。
青年は弘樹のそんな態度を気にも止めずに、呑気に話を続けた。

「ご近所の方から頂いたのですが、一人では食べ切れなくて。良かったら手伝っていただけませんか?」

そう言われて目線をお盆へやると、カステラの箱が目に入った。しかもよく見ると木箱に入ったかなり上等なもののようだ。
見ず知らずの通行人にやるような品物じゃない。

「そっ、そんな高価なものを頂くわけには…」
「え?お嫌いでしたか?」

きょとんとした顔で弘樹の顔を見つめる。

「は?いや、そうじゃなくてそんな高いもん、悪いし…」
「お嫌いではないんですよね?でしたら召し上がってください。」

微塵も悪びれた態度のない彼に弘樹は面食らってしまって返す言葉もない。

(てゆーか…何なんだ、話が通じねぇじゃねーか…)

「はい、どうぞ」
「…どうも」

目の前で切り分けられたカステラとお茶を差し出される。

「うちの薔薇気に入っていただけましたか?」
「え?ああ、すごく綺麗で…もしかして君が手入れを?」
「ええ、ここ俺の家ですから」

何か事情があって、一人では広すぎるであろうこの家に住んでいる事は推測はできたが、弘樹は事情を聞かずにおいた。
そもそも今日会ったばかりの見ず知らずの人間のプライベートにいちいち立ち入ることもない。

「あ!!」
「なっ何?!」

青年が突然大きな声を上げたので、弘樹は驚いて手に持っていた湯呑みからお茶をこぼしてしまった。

「名乗りもせずに失礼でしたね。俺は草間といいます。草間野分。」
「あ、ああ…そんなこと」

強引に庭へ連れ込んだと思いきや、見ず知らずの人間に茶菓子まで用意してもてなし、ここにきて今さら名前を申し出る…
野分の妙な行動になんだか呆れるのを通り越して笑いが込み上げてくる。
目の前に野分がいるにもかかわらず吹き出してしまった。

「えっと…俺何か変なこと言いましたか?」

くすくすと笑い続ける弘樹を野分は困った顔をして見た。

「いや、悪い。何でもないから」
「そうですか?」

ひとしきり笑ったあと顔を上げ、野分の方へ向き直す。
野分はちょっと照れたような顔をしている。その表情はさっき声をかけられた時よりも数段子供っぽく見えた。

「俺は上條だ。上條弘樹」
「…上條、弘樹さん」

野分は噛み締めるように弘樹の名前をつぶやいた。まるで反芻しているように。

「ここはちょうど散歩道で、よく通るんだ。」

弘樹は垣根の近くの薔薇の花壇の方へ目をやった。
やはり何度見てもここの薔薇は美しい。
薔薇の花壇以外の植木や花々もよく手入れがされていて、どこかほっとさせるようなそんな温かさが感じられる庭だ。

「あの、ヒロさん」
「え?」

突然下の名前で呼ばれて弘樹は驚いた。

(普通初対面の人間に下の名前で呼ぶか…?)

やっぱりこの草間野分という男どこか抜けているというか、天然というか。
とにかく変わった人間であるということだけは確信が持てる。

「薔薇、ちょうど今手入れをしようと思っていたところですから、お分けしますよ。」
「え、でもせっかく咲いてるのにもったいないだろ。」
「いえ、咲いたままにしておくと他の蕾に栄養がいかないので摘み取るんです。うちの花瓶も一杯ですし、
よかったらもらってやってください」

野分はにっこりと微笑み、薔薇の花壇の方へ歩いていった。

「お好きなのをどうぞ選んでください」
「え?ああ、じゃあその赤いのと、黄色のやつを」

野分は手馴れた仕草で薔薇の花を摘み取っていった。
パチンパチンと剪定ハサミの音が聞こえ、左手に色とりどりの薔薇の花束が出来上がった。

「このぐらいでいいですか?」
「ああ、どうも有難う。」

目の前に差し出された薔薇の束に手を触れた瞬間指先に痛みを感じた。

「いたっ…」
「大丈夫ですか?!」

どうやら薔薇の棘が指に刺さってしまったらしい。うっかり手を出してしまったのがよくなかった。

「すぐに消毒を」

野分が慌てて弘樹の右手を手に取った。
弘樹よりも大きく、逞しい手のひらがその見た目に反して、そっと優しく触れてくるのを見た弘樹はドキリとした。

(…何でドキっとしなきゃなんないんだ?!)

弘樹は急に恥ずかしくなって、手を無理矢理引っ込めた。

「だっ大丈夫だ!これぐらい何でもない!」
「でも、棘が中に入ってしまったら化膿してしまうこともありますし。すぐ消毒液取ってきますね。」

弘樹はなるべく平然とした顔を装って、野分を見送った。
すぐに顔に出てしまう性分なのは自分でも自覚している。
少し手を触れられたぐらいで、それも男の手にドキドキしてしまったなんて当の本人には絶対に知られたくないことだ。

「お待たせしました」

野分が消毒液を片手に小走りで戻ってきた。

「手を出してもらえますか?」
作品名:薔薇色の庭 作家名:くまちゃん