薔薇色の庭
「いいって!自分でやるから!」
「そうですか?」
消毒液とガーゼをひったくるように奪い、野分に背を向けて自分で消毒をはじめた。
野分は不思議そうな顔をして弘樹の動作を見つめている。
(これ以上変に動揺させられてたまるか!)
弘樹は平常心を保とうと必死だった。
すると後ろの方でパチンパチンと剪定ハサミの音が聞こえた。
振り返って見てみると野分が薔薇の棘をハサミで器用に切り落としていた。
「それ、全部切り落とすのか?」
弘樹は驚いて、野分に声をかけた。全部切り落とすのは大変な手間だ。
「大丈夫です。慣れてるので。それにまたヒロさんの手に刺さると大変ですから。」
野分は微笑みながらそう答えると、そのまま作業を続けた。
さりげなく自分を気遣ってくれている言葉にまた心臓がドキリと脈を打つ。
野分の方は至って自然な顔をしているものだから、自分だけ動揺させられているのが同時に腹立たしくもあった。
(一体何なんだこいつは…!!)
赤面した顔を見られたくなくてまた背中を向ける。消毒はとっくに終わっているが、顔を見られては一大事だ。
「あの」
野分が棘を除く作業をしながら声をかけた。
「何?」
弘樹は顔を見られないように少しだけ振り向いて答える。
「ヒロさんはおいくつなんですか?」
「…24だけど。こういうことは人に聞く前に自分から言うもんじゃないのか?」
無愛想にそう答えると野分の顔をちらりと見る。弘樹は野分と左程年が離れていないものだと思っていた。
下でもせいぜい1~2歳差だろう。
「俺は今年で20になります」
「20…って4つも下なのか?!」
多少子供っぽいと感じるところはあったが、見た目はどう見ても自分と同い年か下手すると年上に見られるかもしれない。
すらりとした長身に適度にがっしりとした体躯、落ち着いた穏やかな表情は弘樹よりも大人っぽい。
実年齢よりも下に見られることの多い弘樹にとって、野分はまさに理想の男性像だ。
「できました!」
薔薇はきれいに棘が取り除かれ、そのまま束にされて新聞紙でくるくると包まれた。
「どうぞ」
「…有難う」
弘樹は花束を受け取ると、薔薇の花に目をやった。
それは目を奪われるほど美しく、まさに大輪という感じだった。
家へ持ち帰ってどこに飾ろうか、うれしい悩みができた。
「こうやって薔薇が好きな方にもらえて、花もきっと喜んでいます」
野分は無邪気な笑顔で花束に目をやり、そのまま弘樹に微笑みかけた。
嬉しそうに笑う野分につられて弘樹も照れながら笑みを浮かべた。
大人っぽい顔をしたかと思えば、ふと今のように年相応の表情を見せる。
(不思議なやつだなぁ…本当に)
今まで野分のような存在に出会ったことのない弘樹は少し新鮮な気分でいた。
変わったヤツではあるけれど、さりげない優しさや笑顔を見ると悪人には到底思えない。
「そろそろお暇するよ。お茶とお菓子有難う。美味かった」
弘樹は椅子から立ち上がり、軽く頭を下げた。
「こちらこそ、無理矢理引っ張ってきてしまって…すみませんでした」
申し訳無さそうな顔をされると、こっちが何か悪いことをしたような気になってくる。
「そんなことない、すごく楽しかったよ。まさかここの庭の主と話ができるなんて思っていなかったから。」
弘樹は薔薇の花束に目をやりながら野分の顔を見た。さっきの申し訳無さそうな顔からパっとまた無邪気な笑顔に変わる。
「あの、もしよろしければ、また薔薇を見に来てくれますか?」
「もちろん。」
野分の分かりやすい表情や態度に苦笑しながら、庭を後にする。
「またお待ちしてます」
「ああ、また」
なんとなくこのまま別れるのが名残惜しいような、そんな気分だった。
野分は垣根の向こうから笑顔で手を振っている。
今日初めて出会い、名前も知らぬままにお茶をし、いつも眺めるだけだったこの庭の薔薇を分けてもらった。
(ほんとうに、楽しかったな)
くすっと笑みが零れる。薔薇の花の香りを楽しみながら弘樹は家へとゆっくりと歩き出した。