サイレン
A Single Grain of Sand
東に向けて作られた大きな窓には朝の新鮮な光が良く似合った。
ある強さを持った光が、床から天井に届きそうなほどに高い窓から降って廊下を満たしている。
重い足を引きずるようにして窓に寄る。ぺたりとガラスにてのひらを付けると、そこはひやりと冷たかった。両手を付けて、しばらく冷たさを楽しむ。手の温度がガラスに移って温くなってきたら、少しずらして冷たさを追う。てのひらだけでは飽きたらず、そのうち額もぺたりと押しあてた。上に移動するには限界があるから下へと移動して、ついには床に座り込む形になる。それにも構わず、てのひらと額で冷たさを求める。清冽な水に手を浸す感覚に、それは少し似ていた。座り込んでしまうと、もう立ち上がるのが億劫だ。窓から降り注ぐ光と清冽な温度を染み込ませながら、肩とこめかみを窓に当てて身体を預ける。引き込まれるように目を閉じると、眠りはすぐ傍にあった。こんなところで寝ていたらまた怒られるかな、とちらりと脳裏を掠めたけれど、どうせ今更どこに動こうという気持ちもないのだ。半ば諦めたような気持ちで、息を吐く。まだ授業には時間がある。しばらくは誰も通らないだろうから、見つかる前に移動すればいい。そう思った途端、すっと意識が遠のいた。
ふと。
声が聞こえた気がした。
それは遠くから届く小さな声。聞き取ろうとすればするほど、反響してうまく聞き取れない。なんだろうと耳を澄ますうち、瞼に光を感じた。ああ、寝てしまったんだっけ、とようやく思い当たる。夢を見ていたんだな、とのんきに構え、もう一度眠ろうかそれとも目を開けようかと悩んでいると、今度ははっきりと言葉が耳に届いた。
「馬鹿か」
ああ、僕のことだ。
廊下で寝るような物好きは学校中探しても僕くらいだもの、と他人事のようにリーマスは思う。
この、耳に慣れない、けれど聞き覚えのある声の主は誰だっけ。
ぼんやりとした頭で記憶を手繰ってひとりの人物に辿り着き、リーマスはゆっくり目を開けた。視線を上げて定め、自分の出した答えが正解だったことに少し満足して、微笑みを向ける。
「おはよう、セブルス」
「馬鹿か」
「うん」
「認めるのか」
「うん」
セブルスは小さく頭を振った。多分もう一度"馬鹿か"と言いたいのだろうなと思って、リーマスは笑う。セブルスはリーマスをじっと見据えた。
「なにをしている?」
あまりと言えばあまりなセブルスの質問に、リーマスは一瞬言葉を失う。質問なのか、質問の形を取った嫌味なのか、おそらく後者だろうな、と思うまでにかかった時間の分だけセブルスを待たせてからリーマスは口を開く。
「良い天気で、光がとっても綺麗で、ガラスが冷たくて」
言葉を切っても遮られないから、そのまま続ける。
「ここで寝たら気持ち良いかなと思っていたら、つい」
「馬鹿だ」
「あ、確定しちゃった」
くすくすと笑うとセブルスの眉間に皺が寄った。差し込む光はローブに染み込み、暖かく身体を包む。指先から力が抜けて床に落ちた。瞬きをするともう一度瞼を上げるのがつらい。努力を放棄した背中を睡魔がふわりと抱いた。
「寝るな!」
怒りを滲ませた声に引き戻されて、リーマスはもう一度目を開ける。ああ確かに、ここにセブルスがいるということは、他の生徒がいつ来てもおかしくないということだ。そろそろ移動した方が、本当に良いかもしれない。
「うん。起きた」
「寝てるだろう」
「うん。・・・あ、いや、起きてる」
何か言いかけたセブルスを遮って、慌てて否定する。怒鳴りつけるために吸い込んだ空気は行き場を失い、セブルスは苛立たしげに短く息を吐いた。
「もう行くよ。君も授業でしょう?またね」
手を振るには少し腕は重い。だからせめて顔を上げて、にこりと笑ってみせた。セブルスは口を開きかけて止める。嫌味のひとつでも、と思いながら、そんなことをする必要もないこのまま見なかったことにして立ち去ろう、と考えているに違いない。ひねくれた彼の言動はひねくれているという一点においてとても素直だ。かつんと靴の音をさせてセブルスが一歩下がる。彼が去ったらまたこのまま眠ってしまいそうな自分を感じながら、リーマスは彼の靴に目を向けた。しかし一歩下がったまま、それきり彼の靴は動かない。
「羽根の色が同じ鳥は群れると言う」
気が変わって嫌味を残すことにしたらしい。静かな声がリーマスの頭上に降る。
「あの2人に比べたら少しはましかと思ったが、やはりお前も馬鹿だ」
腕はまだ重い。指先も自由にならない。
「それとも王にかしづいているのか。傲慢で矮小な王は何をしているのだ。」
「黙れ」
リーマスは杖を引き抜いて、その先を持ち上げセブルスの眉間に向けた。腕に力が入らないせいで杖先が揺れる。制御しようとすればするほど先端は滑稽なほどに細かく震えた。
「僕が馬鹿だってことはその通りだから構わない。でも彼らを侮辱したら、君でも許さないよ」
「なるほど」
精一杯の威嚇を込めて睨み付けたのに、彼は視線を受け止めて流した。リーマスをちらりと見、それから杖先を見る。
「これをしまえ。こちらも出さねばならなくなる」
「本気だよ」
「この状況で勝つ気でいるのか」
見下すような言葉を投げ、定まらない杖先を避けるようにセブルスは首を傾けた。わずかに口角が上がり、目が少し細められると、黒い瞳に柔和な光が宿った。
それは。
普段の彼と比較すると奇跡のような表情で。
杖を向けたままぽかんと眺めてくる目に気付いたか、セブルスはまた眉を寄せた。何か思う間もなく、いいから早くしまえ、と鋭く言われてついそれに従ってしまった。杖をローブの中に戻してあらためて見上げると、セブルスは、これも彼にしては珍しく、表情の選択に困ったような顔でリーマスを見下ろしていた。
「・・・なに?」
「立てないのか」
小さな声は質問ではなく確認だったかもしれない。それでもリーマスはふるふると首を振った。
「違うよ」
「立てないのか」
「違うってば」
頑なに否定しながら、そんな誤魔化しが通る相手ではないことも分かっている。ここですっくと立ち上がってみせればセブルスも納得するのだろうけれど、そうできない自分にも気付いている。そしてセブルスもそれに気付きながら、なにかを天秤にかけて次の行動を決めかねているのだ。奇妙な時間が流れ、やがてセブルスが躊躇いがちに、それでもきっぱりと手を伸ばした。その手から逃れたいと思うのに、リーマスは動けない。
そのとき。
「リーマスに触んじゃねーよこのヘドロ頭が!!」