屋根裏部屋の内緒話
１．
その日の九十九家の爽やかな朝は、
「……嫌ぁぁ――！ 何なのよこれ――！」
明里の絶叫によって呆気なく霧散してしまったのだ。
「どうした、姉ちゃん！」
屋根裏部屋にまで届いた絶叫に驚いて、遊馬が一階まで一気に駆け下りてきた。居間に飛び込んで部屋中をきょろきょろ見渡す赤い瞳には、未だに眠気の名残が残っている。気持ちよく寝ていたところを大音響で叩き起こされたせいだ。
朝っぱらからのこの騒ぎに、皇の鍵に引っ込んでいたアストラルが、一体何事が起こったのかと姿を現した。
「鼠よ、鼠！」
「ねずみ……？」
「台所に、鼠が出たんじゃよ」
居間と地続きの台所では、春と明里が忙しそうに左右を行き交っていた。台所の戸棚の一つが大きく開け放たれ、彼女たちの足元には鼠の被害に遭ったと思しき物品がてんでに散らばっている。鼠臭いと半泣きの明里を尻目に遊馬が拾い上げた小麦粉の袋からは、白く細い筋を引いて中身が流れ落ちた。よくよく見れば、端の方に小さな齧り穴が開いている。
とりあえずの片付けを済ませた春と明里が、早速対策を話し合い始めた。
「薬でも撒いた方がいいかのう」
「薬？ でも後の始末が大変じゃない？ それに最近、薬の効かない鼠が出てるって話よ」
「なら、オーソドックスに鼠捕り、じゃな」
そうね、と祖母に同意して、明里は遊馬に向き直った。
「ってことで遊馬。帰りに鼠捕り買ってきて」
「ええー、何でオレが」
「あたしはこれから仕事だし、お婆ちゃんもオボミも片付けで忙しいの！ 後でお金渡しとくから。いい？ なるべく早く帰ってくるのよ」
「はーい……」
実の姉からのお願い、と言うより命令で、本日の遊馬の運命は強制的に決まった。放課後デュエルが、と情けない声で嘆いてがっくり肩を落とす彼の姿は、より一層の哀れを誘う。
そんな遊馬の嘆きをよそに、アストラルの頭の中にあったのは全く別の考えだった。
〈《ねずみ取り》？〉
デュエルモンスターズにも同じ名前のカードが存在する。相手が召喚・反転召喚したモンスターの攻撃力が500以下だった場合、そのモンスター1体を破壊することができる通常罠だ。カードイラストには、鋭い歯と赤くぐにゃぐにゃした舌を持つ生き物が、鼠らしき生き物を捕食する様子が描かれていて……。
言い知れない寒気を覚え、アストラルは思わず自分の身体を両手でぎゅっと抱きしめた。
アストラルは知っている。この状況を引き起こした犯人も、何故このような行為に走ったのかも。ただ想像しきれないだけなのだ。《ねずみ取り》に描かれたあのおぞましい生き物が、朝日差すこの九十九家の台所に鎮座まします光景を。
「くっそぉ、デュエルしてえよぉ、デュエルー……ん？ どうした、アストラル。気分でも悪いのか？」
アストラルの異変に遊馬はさっきまでの泣き言を放り出し、アストラルに視線を投げかけた。
〈いや、私の身体に異常はない〉
「だったらいいんだけどさ」
結局、遊馬はアストラルの勘違いをこの場で訂正することまではできなかった。
その日の夜、遊馬が入浴を済ませて戻って来ると、ちょうど鼠捕りが女二人の手によって台所に仕掛けられているところだった。
「あ、遊馬。あんたも見る？」
明里の手招きに応じて、遊馬は戸棚周りに仕掛けられた鼠捕りを覗き込んだ。遊馬にならい、アストラルも遊馬の肩越しから恐る恐る見下ろしてみる。床に敷き詰められていたのは、極めてシンプルな造りの紙の板だった。想像から遥かにかけ離れたそれは、アストラルを幾分か拍子抜けさせた。呑気なことに、遊馬は拾い上げた鼠捕りを指で突いて面白がっている。彼の手指がくっついては剥がされる様子は、《ねずみ取り》よりもむしろ《粘着テープの家》の方に似ていた。
「すげえな。こんなんで本当に鼠が引っかかんのかよ？」
「引っかかってもらわんと困る。これ以上台所を荒らされるのはごめんじゃ」
これで退治できなければ、次はどんな手を打つか。食料品の収納方法も改善した方がいいかもしれない。そんな姉と祖母の賑やかな意見交換に付いて行けず、話題に段々興味が失せてきた遊馬は、飲み物でも飲むかと無頓着に一歩後ろに下がる。
〈遊馬！〉
「え？」
彼の右足の行き先に、アストラルが急いで制止の声をかけたが、既に後の祭りだった。
べちゃっ、と粘着質な音と共に遊馬の足の裏に鼠捕りが一枚くっついた。
「なっ、何じゃこりゃ――！」
「遊馬っ、あんたが鼠捕りに引っかかってどうするのよ！」
「んなこと言ったって、うぉわ、全然取れねえー」
右手で足首を抱え込み、残った左手で鼠捕りを引き剥がそうと奮闘する遊馬。彼が台所でけんけん飛ぶ有り様を、アストラルは顎に指を当ててじっと見つめていた。
その日の九十九家の爽やかな朝は、
「……嫌ぁぁ――！ 何なのよこれ――！」
明里の絶叫によって呆気なく霧散してしまったのだ。
「どうした、姉ちゃん！」
屋根裏部屋にまで届いた絶叫に驚いて、遊馬が一階まで一気に駆け下りてきた。居間に飛び込んで部屋中をきょろきょろ見渡す赤い瞳には、未だに眠気の名残が残っている。気持ちよく寝ていたところを大音響で叩き起こされたせいだ。
朝っぱらからのこの騒ぎに、皇の鍵に引っ込んでいたアストラルが、一体何事が起こったのかと姿を現した。
「鼠よ、鼠！」
「ねずみ……？」
「台所に、鼠が出たんじゃよ」
居間と地続きの台所では、春と明里が忙しそうに左右を行き交っていた。台所の戸棚の一つが大きく開け放たれ、彼女たちの足元には鼠の被害に遭ったと思しき物品がてんでに散らばっている。鼠臭いと半泣きの明里を尻目に遊馬が拾い上げた小麦粉の袋からは、白く細い筋を引いて中身が流れ落ちた。よくよく見れば、端の方に小さな齧り穴が開いている。
とりあえずの片付けを済ませた春と明里が、早速対策を話し合い始めた。
「薬でも撒いた方がいいかのう」
「薬？ でも後の始末が大変じゃない？ それに最近、薬の効かない鼠が出てるって話よ」
「なら、オーソドックスに鼠捕り、じゃな」
そうね、と祖母に同意して、明里は遊馬に向き直った。
「ってことで遊馬。帰りに鼠捕り買ってきて」
「ええー、何でオレが」
「あたしはこれから仕事だし、お婆ちゃんもオボミも片付けで忙しいの！ 後でお金渡しとくから。いい？ なるべく早く帰ってくるのよ」
「はーい……」
実の姉からのお願い、と言うより命令で、本日の遊馬の運命は強制的に決まった。放課後デュエルが、と情けない声で嘆いてがっくり肩を落とす彼の姿は、より一層の哀れを誘う。
そんな遊馬の嘆きをよそに、アストラルの頭の中にあったのは全く別の考えだった。
〈《ねずみ取り》？〉
デュエルモンスターズにも同じ名前のカードが存在する。相手が召喚・反転召喚したモンスターの攻撃力が500以下だった場合、そのモンスター1体を破壊することができる通常罠だ。カードイラストには、鋭い歯と赤くぐにゃぐにゃした舌を持つ生き物が、鼠らしき生き物を捕食する様子が描かれていて……。
言い知れない寒気を覚え、アストラルは思わず自分の身体を両手でぎゅっと抱きしめた。
アストラルは知っている。この状況を引き起こした犯人も、何故このような行為に走ったのかも。ただ想像しきれないだけなのだ。《ねずみ取り》に描かれたあのおぞましい生き物が、朝日差すこの九十九家の台所に鎮座まします光景を。
「くっそぉ、デュエルしてえよぉ、デュエルー……ん？ どうした、アストラル。気分でも悪いのか？」
アストラルの異変に遊馬はさっきまでの泣き言を放り出し、アストラルに視線を投げかけた。
〈いや、私の身体に異常はない〉
「だったらいいんだけどさ」
結局、遊馬はアストラルの勘違いをこの場で訂正することまではできなかった。
その日の夜、遊馬が入浴を済ませて戻って来ると、ちょうど鼠捕りが女二人の手によって台所に仕掛けられているところだった。
「あ、遊馬。あんたも見る？」
明里の手招きに応じて、遊馬は戸棚周りに仕掛けられた鼠捕りを覗き込んだ。遊馬にならい、アストラルも遊馬の肩越しから恐る恐る見下ろしてみる。床に敷き詰められていたのは、極めてシンプルな造りの紙の板だった。想像から遥かにかけ離れたそれは、アストラルを幾分か拍子抜けさせた。呑気なことに、遊馬は拾い上げた鼠捕りを指で突いて面白がっている。彼の手指がくっついては剥がされる様子は、《ねずみ取り》よりもむしろ《粘着テープの家》の方に似ていた。
「すげえな。こんなんで本当に鼠が引っかかんのかよ？」
「引っかかってもらわんと困る。これ以上台所を荒らされるのはごめんじゃ」
これで退治できなければ、次はどんな手を打つか。食料品の収納方法も改善した方がいいかもしれない。そんな姉と祖母の賑やかな意見交換に付いて行けず、話題に段々興味が失せてきた遊馬は、飲み物でも飲むかと無頓着に一歩後ろに下がる。
〈遊馬！〉
「え？」
彼の右足の行き先に、アストラルが急いで制止の声をかけたが、既に後の祭りだった。
べちゃっ、と粘着質な音と共に遊馬の足の裏に鼠捕りが一枚くっついた。
「なっ、何じゃこりゃ――！」
「遊馬っ、あんたが鼠捕りに引っかかってどうするのよ！」
「んなこと言ったって、うぉわ、全然取れねえー」
右手で足首を抱え込み、残った左手で鼠捕りを引き剥がそうと奮闘する遊馬。彼が台所でけんけん飛ぶ有り様を、アストラルは顎に指を当ててじっと見つめていた。