ある日の小話-バレンタイン
「ねぇ、シェゾ見なかった?」
アルルの問いかけに、顔見知りの商人は首を振った。
「そういえば最近見てないのー」
もももー、と語尾を続けた魔物に、アルルはそっかと短く返した。
あまりしつこくすると、うるさいと追い払われてしまうので早々に退散する。
甘い香りが漂う包みをしっかりと抱え直し、次の心当たりへと足を向けた。
今日は2月14日。男女にとって特別な日…ということになっている。
言い伝えによれば、始まりは大昔。商人たちの企みで、元々は聖人の誕生日だった2月14日のお祭りを、いつしか恋人たちのイベントにしてしまったのがことの始まり。プレゼントを送りあい愛を囁き交わすイベントは、更にこじつけられて変化して、気がつけば女性から男性へと愛の証としてチョコレートを送る催しになっていた。
今日はそんな日。
「シェゾ知らない?」
アルルが問いかけると、明るい金髪をさらりとなびかせて魔女見習いは首を振った。
「今日は見かけていませんわよ」
あてが外れたアルルは少々がっかりしながら、そう、と気の抜けた声を出した。
仕方がないので他を探すことにし、じゃあねと片手を上げて踵を返す。
そこに慌てたように声が掛かった。
「あ、アルルさん!」
呼び止められて振り向くと、可愛く整った顔が何やら邪な笑みを浮かべるのが見えた。
その両手にはいつの間に取り出したのか、甘い香りのする包みが幾つか。
「な…なに?どうしたの?」
何となく嫌な予感がして、じり、と後ずさる。
「特別なチョコを用意してありますの。お一ついかがですか?」
言われた瞬間、アルルの脳裏に魔女見習いの特別製が元で起こった騒ぎ…惨劇の数々がよぎって消えた。
更にじり、と後ずさる。
「せっかくだけど、遠慮しとくよ」
そっけなくだも丁寧に辞退する。
「あら、そうですの、残念ですわ」
意外とあっさり引き下がってくれたことにほっとして、アルルは今度こそ背を向けた。
冷や汗がつぅっとその背を伝う。
歩き出して、一歩二歩。
「気が変ったらいつでも声を掛けて下さいね。お待ちしてますわ」
またもやその背中越しに響いてきた声に、思わず飛び上がる。
咄嗟にそのまま走り出した。
取り残された魔女見習いが、まぁ失礼ですわね、とツンツン怒っていたことは知る由もない。
しばらく走ってからようやく足を緩めた。
何となく後ろを振り返る。
もちろん、そこには誰もいない。
「あー、びっくりした…」
アルルはぽつりと呟いた。
何とか気を取り直し、包みの無事を確認していると。
「がぉー」
耳に響く、聴き慣れた鳴き声。
かと思うと、がさがさと茂みが揺れた。
現われたのは、真っ赤なチャイナドレスと白いスパッツ、頭の角に太い尻尾。
「あ、ドラコ」
竜とのハーフである竜娘の知り合いは、よっ!と明るく笑って手を上げた。
けれど、つられてアルルが手を上げた途端、竜娘の瞳がぎらりと光る。
何事だろうかと浮かべた笑顔が引き攣るのを感じた。
「なんだい、それ」
言われて、ついうっかり包みも一緒に掲げてしまっていたのに気がついた。
慌ててそれを背中に隠す。
「な、なんでもないよ」
あははーと笑ってごまかすが、ドラコはふんふんと鼻を蠢かした。
「甘ーい匂い…これはチョコだね!」
言い当てられて、びくりと背中が跳ねた。
誰にあげるのかと聞かれたらどうしよう、そんな焦りが心に浮かんだが
「チョコ大好き!おくれ!」
「ぇえええーっ?」
予想外の反応に頭が混乱しそうになる。
「ちょうだい!」
竜娘の竜の目が野生の本能そのままに欄欄と光っている。
これはマズい。
「だ、ダメだよ、これは…」
せいいっぱい拒否を表しながら、ゆっくりと足をしならせて逃げる準備に移行する。
「いいから寄こせ!」
今にも飛びかかられそうになった瞬間、そのまま身を翻して走り出した。
「あ!待てー!チョコ寄こせ!」
「だから、これはダメなんだってばー!」
「ケチー!」
今にも追いかけてきそうな相手から全力で走って逃げる。
走って走って、もう走れないという所で、ようやく足を緩めた。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
息絶え絶えになりながら手にした包みを確かめる。
取りあえず、無事そうだ。
思わず、ふーっと深い息を吐く。
そのまま、ふと空を仰いだ。
「…シェゾ見なかったか聞けば良かった…」
包みに飾られたリボンの淵が風に揺れる。
何となく、波乱はまだ続くような気がした。
嫌な予感は当たるもので。
その先々でも、チョコを巡る災難は続いた。
何とかそれらをかいくぐり、シェゾを探して回るがどうしても見つからない。
そのうち、いつもは呼ばれもしないのに現われるくせに、と腹まで立ってきた。
散々も持ちあるいたせいでよれてしまった包みと、くたびれたリボンにふと虚しさが込み上げた。
「…もう、帰っちゃおうかな…」
ぽつりと呟く。
さんざん苦労した記憶に、疲れた溜め息が出た。
その時。
タイミングを見計らったように、一陣の風が渦巻いた。
馴染みのある気配。
はっとして足を止めた。
現われたのは銀色の髪に鮮やかな青い瞳。いつもの不機嫌そうに構えた闇の魔導師。
「シェゾ!」
思わず呼びかけた声が嬉しさに弾んだ。
急速に案著が込み上げ、知らず表情が緩む。
だというのに。
「おまえ、何を企んでいる!」
剣と共に突きつけられた第一声に思わず目が点になった。
「は?」
「俺を捜し回っていたそうではないか」
「うん、探してたんだけど…それがどうして企んでることになるのさ」
「ごまかすな!何か思惑がなくて、どうしてお前が俺をこそこそと捜し回る必要がある」
その物言いに思わずむっとした。
誰のために探し回って歩いてしないでいい苦労までしたと思っているんだと再び腹が立ってきた。
いっそのこと、このまま無視して帰ろうかと思いかけ…今までの経緯を思い出して何とか止まった。
代わりに、つかつかとシェゾに近寄る。
このままでは絶対に素直に受け取らないであろうことは今までの付き合いから嫌と言うほどわかるから。
側近くまで行ってから、じっと相手の青い瞳を見上げた。
ああ、本当に黙ってれば美形なのに、と何処か遠く深いところで小さく思考が呟く。
こちらの視線を受け、戸惑ったように長身が後ずさるのに追い被さるように距離を寄せた。
「な、なんだ、やる気か?ならば望む所だ!」
やや殺気だつ相手に構わずに、目に力を入れて不機嫌そうな顔をじっと見上げる。
そのまま密かにタイミングを計る。後ろ手にした手元ではチョコの包みをそぅっと剥がす。
どうやらシェゾは気がついていない。
「…ねぇ、シェゾ」
呼びかけてタイミングを計る。
「何だ」
律儀に答えが返る。
その瞬間アルルは鋭く瞳を煌めかせた。
なんだ、の、だ、の所で開いた所を見計らい、僅かな隙間目がけて素早く手を繰り出す。
「むぐ…っ?」
目を白黒させたシェゾから妙な声が漏れた。
絶妙なタイミングで口に含ませることに成功すると、アルルはそのまま更にぐい、と相手の口の中まで押し込んだ。
そうして、反射的に噛み締められたチョコが半分に割れたのを見て取ると、残り半分を手にしたままさっと引っ込めた。
アルルの問いかけに、顔見知りの商人は首を振った。
「そういえば最近見てないのー」
もももー、と語尾を続けた魔物に、アルルはそっかと短く返した。
あまりしつこくすると、うるさいと追い払われてしまうので早々に退散する。
甘い香りが漂う包みをしっかりと抱え直し、次の心当たりへと足を向けた。
今日は2月14日。男女にとって特別な日…ということになっている。
言い伝えによれば、始まりは大昔。商人たちの企みで、元々は聖人の誕生日だった2月14日のお祭りを、いつしか恋人たちのイベントにしてしまったのがことの始まり。プレゼントを送りあい愛を囁き交わすイベントは、更にこじつけられて変化して、気がつけば女性から男性へと愛の証としてチョコレートを送る催しになっていた。
今日はそんな日。
「シェゾ知らない?」
アルルが問いかけると、明るい金髪をさらりとなびかせて魔女見習いは首を振った。
「今日は見かけていませんわよ」
あてが外れたアルルは少々がっかりしながら、そう、と気の抜けた声を出した。
仕方がないので他を探すことにし、じゃあねと片手を上げて踵を返す。
そこに慌てたように声が掛かった。
「あ、アルルさん!」
呼び止められて振り向くと、可愛く整った顔が何やら邪な笑みを浮かべるのが見えた。
その両手にはいつの間に取り出したのか、甘い香りのする包みが幾つか。
「な…なに?どうしたの?」
何となく嫌な予感がして、じり、と後ずさる。
「特別なチョコを用意してありますの。お一ついかがですか?」
言われた瞬間、アルルの脳裏に魔女見習いの特別製が元で起こった騒ぎ…惨劇の数々がよぎって消えた。
更にじり、と後ずさる。
「せっかくだけど、遠慮しとくよ」
そっけなくだも丁寧に辞退する。
「あら、そうですの、残念ですわ」
意外とあっさり引き下がってくれたことにほっとして、アルルは今度こそ背を向けた。
冷や汗がつぅっとその背を伝う。
歩き出して、一歩二歩。
「気が変ったらいつでも声を掛けて下さいね。お待ちしてますわ」
またもやその背中越しに響いてきた声に、思わず飛び上がる。
咄嗟にそのまま走り出した。
取り残された魔女見習いが、まぁ失礼ですわね、とツンツン怒っていたことは知る由もない。
しばらく走ってからようやく足を緩めた。
何となく後ろを振り返る。
もちろん、そこには誰もいない。
「あー、びっくりした…」
アルルはぽつりと呟いた。
何とか気を取り直し、包みの無事を確認していると。
「がぉー」
耳に響く、聴き慣れた鳴き声。
かと思うと、がさがさと茂みが揺れた。
現われたのは、真っ赤なチャイナドレスと白いスパッツ、頭の角に太い尻尾。
「あ、ドラコ」
竜とのハーフである竜娘の知り合いは、よっ!と明るく笑って手を上げた。
けれど、つられてアルルが手を上げた途端、竜娘の瞳がぎらりと光る。
何事だろうかと浮かべた笑顔が引き攣るのを感じた。
「なんだい、それ」
言われて、ついうっかり包みも一緒に掲げてしまっていたのに気がついた。
慌ててそれを背中に隠す。
「な、なんでもないよ」
あははーと笑ってごまかすが、ドラコはふんふんと鼻を蠢かした。
「甘ーい匂い…これはチョコだね!」
言い当てられて、びくりと背中が跳ねた。
誰にあげるのかと聞かれたらどうしよう、そんな焦りが心に浮かんだが
「チョコ大好き!おくれ!」
「ぇえええーっ?」
予想外の反応に頭が混乱しそうになる。
「ちょうだい!」
竜娘の竜の目が野生の本能そのままに欄欄と光っている。
これはマズい。
「だ、ダメだよ、これは…」
せいいっぱい拒否を表しながら、ゆっくりと足をしならせて逃げる準備に移行する。
「いいから寄こせ!」
今にも飛びかかられそうになった瞬間、そのまま身を翻して走り出した。
「あ!待てー!チョコ寄こせ!」
「だから、これはダメなんだってばー!」
「ケチー!」
今にも追いかけてきそうな相手から全力で走って逃げる。
走って走って、もう走れないという所で、ようやく足を緩めた。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
息絶え絶えになりながら手にした包みを確かめる。
取りあえず、無事そうだ。
思わず、ふーっと深い息を吐く。
そのまま、ふと空を仰いだ。
「…シェゾ見なかったか聞けば良かった…」
包みに飾られたリボンの淵が風に揺れる。
何となく、波乱はまだ続くような気がした。
嫌な予感は当たるもので。
その先々でも、チョコを巡る災難は続いた。
何とかそれらをかいくぐり、シェゾを探して回るがどうしても見つからない。
そのうち、いつもは呼ばれもしないのに現われるくせに、と腹まで立ってきた。
散々も持ちあるいたせいでよれてしまった包みと、くたびれたリボンにふと虚しさが込み上げた。
「…もう、帰っちゃおうかな…」
ぽつりと呟く。
さんざん苦労した記憶に、疲れた溜め息が出た。
その時。
タイミングを見計らったように、一陣の風が渦巻いた。
馴染みのある気配。
はっとして足を止めた。
現われたのは銀色の髪に鮮やかな青い瞳。いつもの不機嫌そうに構えた闇の魔導師。
「シェゾ!」
思わず呼びかけた声が嬉しさに弾んだ。
急速に案著が込み上げ、知らず表情が緩む。
だというのに。
「おまえ、何を企んでいる!」
剣と共に突きつけられた第一声に思わず目が点になった。
「は?」
「俺を捜し回っていたそうではないか」
「うん、探してたんだけど…それがどうして企んでることになるのさ」
「ごまかすな!何か思惑がなくて、どうしてお前が俺をこそこそと捜し回る必要がある」
その物言いに思わずむっとした。
誰のために探し回って歩いてしないでいい苦労までしたと思っているんだと再び腹が立ってきた。
いっそのこと、このまま無視して帰ろうかと思いかけ…今までの経緯を思い出して何とか止まった。
代わりに、つかつかとシェゾに近寄る。
このままでは絶対に素直に受け取らないであろうことは今までの付き合いから嫌と言うほどわかるから。
側近くまで行ってから、じっと相手の青い瞳を見上げた。
ああ、本当に黙ってれば美形なのに、と何処か遠く深いところで小さく思考が呟く。
こちらの視線を受け、戸惑ったように長身が後ずさるのに追い被さるように距離を寄せた。
「な、なんだ、やる気か?ならば望む所だ!」
やや殺気だつ相手に構わずに、目に力を入れて不機嫌そうな顔をじっと見上げる。
そのまま密かにタイミングを計る。後ろ手にした手元ではチョコの包みをそぅっと剥がす。
どうやらシェゾは気がついていない。
「…ねぇ、シェゾ」
呼びかけてタイミングを計る。
「何だ」
律儀に答えが返る。
その瞬間アルルは鋭く瞳を煌めかせた。
なんだ、の、だ、の所で開いた所を見計らい、僅かな隙間目がけて素早く手を繰り出す。
「むぐ…っ?」
目を白黒させたシェゾから妙な声が漏れた。
絶妙なタイミングで口に含ませることに成功すると、アルルはそのまま更にぐい、と相手の口の中まで押し込んだ。
そうして、反射的に噛み締められたチョコが半分に割れたのを見て取ると、残り半分を手にしたままさっと引っ込めた。
作品名:ある日の小話-バレンタイン 作家名:まみむめももも