子猫さんの憂鬱
勝呂が尻のポケットに突っ込んでいた参考書を取り出すと、パラパラとページを捲った。
「ここなんやけどな」
「ああ、これは…」
バサバサとノートと筆記用具を取り出して、二人で頭を寄せ合って数式を解き始める。暫くそのまま子猫丸と勝呂が勉強を始める。柔造たちがいつ出て行ったのか、全く気がつかなかった。ふと気がつくと座敷はシンとして静かで、金造と取っ組み合いのケンカをしていた廉造は、座敷に寝っ転がって漫画雑誌を読んでいる。参考書を貸してほしいなどと言い始めて、いよいよ本腰を入れるのかと思ったが、彼はいつ勉強するつもりだろうか。
でも勝呂のお陰で少し今日の分の勉強をすることが出来て有難かった。
「そう言えば、学年主任《ホット》が、正十字学園の過去問プリントくれる言うてたで」
剣道部の顧問もしている厳しい先生で、激しやすい性格のため生徒たちから『ホット』と呼ばれている。一方でやる気のある生徒には熱く指導をする面もあるので、そう言う意味もあるのかもしれない。
「それ助かりますわ。そろそろ傾向も知りたい思うてましたから」
「そうやろ。オイ、志摩」
勝呂が廉造の耳からイヤホンを乱暴に取り上げる。
「うわっ!どないしたんです?坊」
驚いた声を上げて、流石に廉造が起き上がる。
「どないしたやあれへん。お前過去問だけでもきっちりやっといた方がエエで」
「大丈夫ですって。俺はやるときはやる男ですよ」
「全然信用ならんわ」
「ひどっ!」
子猫丸は二人のやり取りを見ながら、すっかり温くなったお茶を啜る。座敷もそろそろ薄暗く感じられるほどだ。本当に帰らねばなるまい。
「坊、ひと段落されましたか」
見計らっていたように、柔造が帰ってくる。
「おう、そろそろ帰るわ。邪魔したな」
「あ、晩飯、上がってかれませんか」
柔造が勝呂を夕食に招く。
「呼ばれたいとこやけど、帰ってもう少しやっときたいんや」
「そうですか」
もう、このタイミングだ。子猫丸も荷物をまとめ始める。
「子猫、晩飯食ってき」
にっこりと柔造が微笑む。
「あ…、いえ…」
「おう、呼ばれとき」
勝呂までが勧める。
「クラァッ!廉造!お前ちっとは勉強せんか!」
断る前に柔造の矛先が廉造に向かう。その隙に勝呂は「ほな、また明日な」と言ってすっと帰っていってしまう。
呆然と少年の去った襖を見つめる。が、今ならまだ間に合うと思い直して荷物を小脇に抱えて立ち上がる。
「どこ行くんや?」
「あ、いや。僕ももうお暇しようかと…」
「メシ食わへんの?」
こんな時ばかり、廉造が引き止める。
「水臭いな、遠慮はナシやで」
柔造がぽん、と頭を撫でる。
明陀の子供たちの中では、子猫丸が一番年下だ。おまけに両親も親戚も居ない。それもあって皆が一番下の弟のように構ってくれる。嬉しいことではあるし、有り難いことだ。だが、それでも。
僕はもう高校生なんや、一人でも大丈夫です!
子猫丸は心の中で叫びながら、溜め息を吐いた。