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優しき愛

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            †

「……それにしてもなんだって、こんな日にまで、学院に来なきゃいけないんだ?」
 オープンカーが止まった先は、星奏学院・高等部の職員用駐車場だった。
「あら『こんな日』だからですよ。紘人さんだって、同意してくれたじゃないですか」
「そりゃ、なあ……」
 風で乱れた頭髪を軽く手で撫でつけて、金澤は運転席から降りると、助手席側に回り込んでドアを開ける。
「香穂子、いいか?」
「え、何が……って、ちょっ……また!?」
 背中とシートの間に手を差し入れられた香穂子は、小さく息を呑んで身体を捩った。
「まともに歩けないなら、仕方がないだろ」
「ひとりでもちゃんと歩けますってば!」
「本当か?」
 訝しむような目を向ける金澤の手を借りて、香穂子が車から降りる。ドレスの前を摘んで、軽く持ち上げた。
「さっきは舞い上がっちゃったから、うまく歩けなかったけど、今は平気です……その代わり、私のヴァイオリンを持ってくださいね」
 金澤は苦笑してトランクから香穂子のヴァイオリンケースを取り出した。空いた方の腕を彼女の前に突き出す。
「俺は花嫁をひとりで歩かせるほど甲斐性無しじゃないぞ。エスコートぐらいは、させてくれや」

 朗らかな春の陽射しが、森の広場に降り注いでいた。
 日曜日ということもあってか、生徒の姿は見当たらない。それが今の二人にとっては、好都合だった。
「どうだ、いるか……?」
「はい。紘人さんの周りにも飛んでいますよ」
 意図的に主語を抜かした金澤の言葉に、香穂子は笑顔で頷く。
 森の広場を縦横無尽に飛び回る音楽の妖精の姿は、彼らと深い絆を結んだ香穂子の目にしか映らない。
「私たちの出逢いは、ファータが取り持ってくれたものだから、どうしてもお礼が言いたかったの……。ありがとう。あなたたちが私を選んでくれたから、こうして今日、大好きな人の元にお嫁に行けます」
 恥ずかしそうに頬を染めて、香穂子は告白した。
『日野香穂子――礼を言うのは吾輩たちなのだ!』
 明るい声が香穂子の心に直接響いたかと思うと、目の前の空間に金色の光が渦巻き、中から妖精が姿を現す。
「リリ……」
「お前たちが学院に音楽を溢れさせてくれたから、吾輩は力を取り戻せたのだ。大切なこの場所がバイシュウされるのを防ぐことができた。本当にアリガトウなのだ!」
 香穂子を音楽の道に導いた妖精は、アーモンド型の瞳を細めてにっこりと微笑んだ。
「今日のお前は一段と輝いているのだ。とても綺麗なのだ」
「せん……紘人さんのお陰だよ」
 虚空に向かって話し掛ける己の姿は、さぞ異質だと思いつつも、香穂子は感謝の気持ちを伝えずにはいられない。
「あーあ、俺は蚊帳の外かよ」
 ひとり会話に入れない金澤が、つまらなそうにぼやく。
「紘人さん、ファータの姿が見えなくたって、想いを伝える方法はありますよ。そのためにここに来たんですから……」
「わーってるって。んじゃ、そろそろお披露目といくか?」
 金澤は不敵な笑みを浮かべてそう言うと、提げていたヴァイオリンケースを香穂子に手渡した。
 笑顔でそれを受け取った香穂子が、中からヴァイオリンと弓を取り出して、簡単な調弦を済ませる。
 このもうひとつの「お披露目」のために、二人は式の準備の忙しい合間をぬって練習を重ねた。
「――みんな、これが私たちの気持ちです。聴いて」

 ヴァイオリンを構えた香穂子が深呼吸をして、ゆっくりと弓を引く。
 同時に金澤が、下腹部に手を当て、大きく息を吸った。

 Ich liebe dich, so wie du mich,
 am Abend und am Morgen,
 noch war kein Tag, wo du und ich
 nicht teilten unsre Sorgen.

 紡ぎ出すメロディは、ベートーヴェンの『優しき愛』
 清涼な香穂子のヴァイオリンに合わせて、金澤の深みのある、艶やかなテノールがぴったりと重なる。
 根気よくリハビリを重ねた結果、金澤の声は、歌曲の二、三曲程度であれば、続けて歌っても掠れることがなくなった。声量も昔に近付きつつあると本人は主張している。

「おおおっ、すごい! これは素晴らしい演奏なのだ!」
 嬉しそうなリリの声が聞こえる。
 美しいハーモニーに酔いしれながら演奏に耽っていた香穂子が周囲を見回せば、自分たちの音楽に合わせて、妖精たちが楽しそうに宙を飛び回っていた。
「よし、今日だけは特別なのだ――!」
 リリの掛け声とともに、香穂子の視界が黄金色の光で溢れかえる。眩しすぎて目を開けていられない。
「……何が起こったの?」
 視覚が戻った香穂子が目にしたのは、ぽかんとした金澤の横顔だった。
「おい。お前さん……こんな真似して大丈夫なのか?」
「――金澤紘人、久し振りなのだ」
 どうやら、姿隠しの魔法が解け、金澤の目にも妖精の姿が映っているようだ。十数年ぶりに目の当たりにする彼らの姿に戸惑う様子が、ありありと伝わってくる。
「構わないのだ。日野香穂子は我々にとってトクベツな存在なのだ。金澤紘人は、日野香穂子のトクベツな存在なのだから、きっと問題ないのだ!」
「ははは……お前さんは、相変わらず脳天気だな」
 金澤が懐かしそうに目を細めた。
「日野香穂子――ついでに金澤紘人、本当にオメデトウなのだ! 幸せになるのだ!」
 ピンク、オレンジ、クリーム……魔法で紡いだ色とりどりのフラワーシャワーが、二人の頭上に降り掛かる。
「ったく……俺はついでかよ」
「ありがとう、リリ。ありがとう、みんな……大好きだよ」
 大きな瞳を涙で潤ませて、香穂子は何度も頷いた。

「これは、紘人さんだけの曲だけど……今日だけは、特別にみんなに弾きます」
 香穂子が弾き始めたのは『愛の挨拶』である。
 あの日、リリがこの曲の楽譜をくれたから、金澤に想いを伝えることができた。愛を育むことができた。
 そう思えばこそ、弾かずにはいられなかった。

 演奏が終わったところで、金澤が香穂子を抱き寄せた。
「あっ……怒らないで」
「誰が怒るかよ。香穂子、羽根虫に見せつけてやろうぜ」
 香穂子の頤を掴むと、素早くくちづける。それは教会で交わしたような軽いものではなく、情熱的で濃厚なキスだった。
「――おおっ!」
 妖精たちがどよめく。
「もうっ……紘人さんは、強引なんだから……」
 脱力しかけた新妻の腰に腕を回して、金澤が微笑んだ。
「……おい、羽根虫。ひとつ言っておくが、こいつは日野香穂子じゃなくて、金澤香穂子だ。そこんとこ間違えるなよ」

『――お前たちに、音楽の祝福を!』
 妖精たちの輪唱が、森の広場に響き渡った。
 リリが握った杖を高く振りかざすと、きらきらとした金色の光の粒が、二人の全身に降り注ぐ。
 花嫁と花婿による、森の小さな演奏会は、披露宴の開始時間ぎりぎりまで催された。

 ――舞台への復帰を目指す金澤の元に、演奏会のオファーが舞い込んだのは、これから一ヶ月ほど後のことである。

                       ――Fine
作品名:優しき愛 作家名:紫焔