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僕と彼女

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「あっ!」
「え、っ、わっ?」

曲がり角にて。
手元しか見ていなかった僕は右側から飛び出てくるその人に気づけず悲鳴が耳に届いた時には既に、思いっきりぶつかってしまった。
その拍子に手元から飛んで行った単語帳が放物線を描いて宙を舞う。
尻餅をついた僕の隣に単語帳が落ちてきたようだが、僕の視線は落し物に向かう事は無く。

「いっ…たたたたっっ…」

すぐ傍、僕同様に尻餅をつき、打ったのだろう学生服であるスカートに覆われた臀部を擦るしかめっ面の彼女へと真っ直ぐに注がれていた。
肩より短い艶やかな黒髪を無造作に散らし、寝癖なのだろうか一部、ピンと跳ねているところがまた可愛らしいと思えた。切れ長の目尻がきつい印象を与えるかと思いきや、その中の丸く青味がかった瞳がくりくりと動き鋭さを和らげている。と、その綺麗な瞳が唐突にこちらへと向けられた。
目が合った瞬間大きな音を立てて。
僕の、情けないけれど小さくも弱弱しい心臓がびょんっ!、と跳ねる。

「あんたっ!大丈夫か!?俺っ、前見てなくて…っ!ごめんっ!!」
「……っ」

「あ、あれ?もしかして頭とか、打っちまった?」
「はっ!あっ、いやっ、だだだだだ大丈夫っっ!!!! 」

「本当に?」
「本当!本当に大丈夫!ほ、ほらっ!立ち上がっても全く問題な…」

地面に腰を付けたままの僕の傍ら、しゃがみこみ顔を覗き込んでくる彼女の心配げな瞳がまた綺麗で。
見惚れてしまい上手く喋れなくなる僕に、それが更なる心配を煽る様で彼女がちょこんと小首を傾げる。その仕草が可愛らしすぎて。また、僕の心をぎゅ、っと掴み、そして捉えてゆく。
既に『心臓が跳ねる』なんて、そんな優しい表現で収まらなくなってきていた。
だから、この激しく脈打つ鼓動が彼女に伝わってしまうんじゃないかと不安になった僕は慌てて立ち上がり無事である事をアピールしようとした。
心配そうな顔を消したかった事も、ある。
なのに、予想外に僕の身体は急激な動きに耐えられなかったようでふぅっと遠くなる意識に危険を過らせた時、力の入らない僕の身体を受け止めてくれたのはやはり、彼女で。

「お、っとっ」

ぽふんっ

「…っ!?」

両腕を広げ、受け止めてくれる彼女の柔らかな胸元に埋まり、息を止める。暗闇に包まれた僕の視界は何を見るわけでもないのにぐるぐるとまわっていて。
その心中は、なんで?どうして?なにがどうなったらこうなるわけ!?
なんて、悲鳴のように疑問の声を心中で叫び続けていた。
到底自分の腕を彼女の背に回す事なんてできる筈も無く、ただ、彼女に受け止められ包まれるがまま。混乱を来たし動けなくなる僕に、するとここで彼女の不安そうな声が落ちて、一層混乱の中へ落ちてゆく。

「ちょ…あ、あんた本当に大丈夫か…?あれ?もしかして、救急車…」

変な方向に解釈しだした彼女の不安に揺れる声に一瞬慌てるも、その声の中に震える吐息が混じりだしたところで驚き、闇の中目をかっ開いた。
震えている声が、何故だろう泣いているように聞こえたから。
慌てて彼女の腕に手を付き身を起こす。
ガバリという音が聞こえそうな勢いで身を逸らし彼女を真っ向から見つめれば・・・案の定青い色の瞳には薄い膜が張られていて。
ギョッとするも無意識に開いた口で、彼女の涙を止めようとした僕が、叫んだ言葉は―――・・・

「あのっ!お名前教えてくれませんかっ!?」

・・・・・あー・・・れ?・・・えーと、僕・・・・・・何言ってるんだろう?

自分自身でもそう突っ込んだのだ。
当然ながら彼女は「はぁ?」と、変な人を見るような目で僕を眺め一歩足を後ろへ引いた。仕方ない反応だろうと思いはしたがやはり、ショックを受け無いわけもなかったから自然と肩が下がる。
情けない。
情けなさ過ぎる。
でも、よくよく考えてみたら彼女とボクの身長差はそれなり。
そんな僕が俯き落ち込む顔は、彼女からは良く見えてしまうと言う事・・・・あれ?と言う事は、僕の情けない顔、丸み・・・。
僕がその事実に気づくのが早いか、それとも。
取り繕う為、パチリと瞳を開いた僕の耳に、届いた彼女の凛とした声。
その言葉を告げるのに一体どんな思考過程があったのだろうか、と後々気になる訳なのだけれどもその時は焦るだけの僕に、真っ直ぐにこちらを見上げ告げた彼女の言葉、それが、

「………ふぅん…、ま、いいけど」

「…え…?」

いいのっ!?
叫んだ声は、勿論胸の内だけの話。
けれど、それより驚きの言葉が更に、


「俺、奥村燐」


「え、え?あ、えっ!?」
「だぁから、奥村燐、って言うの!」
「あっ!はいっ!お、く村さんっ!ですねっ!」

「そ!それでっ!?あんたは?」


――― あんたの名前は?


これらの言葉を受けて、一時自分の耳を疑った僕なのだけれども。
どうやら幻聴の類では無かったようで、頓狂な声を上げた僕に対しすかさず彼女の不満そうな声が返るから、僕の脳内キャパ既にオーバー。

「へぇ、え?え?」

「…だぁからっ!あんたの名前!!俺だけ言うの、ふこうへい、だろっ?」

ふこうへい、という言葉を明らかに平仮名で告げただろう彼女の不服だと言いたげな表情に、一層逸る胸。
面白い話で、緊張が高まると血液を送り出す音が耳元で聞こえるらしく、今の僕の耳元は周りの音が何一つ届かない程に騒がしく、激しく鳴り響く鼓動の音しか聞こえていなかった。
けれど、彼女の澄んだ声は不思議と耳に入るから、尚も忙しく催促してくる言葉に背を押される様にして。震える手を胸元へ持っていき、着ている学生服を鷲掴むと渇いた口を開き、叫ぶように名を告げた。

「え、っと!あのっ、ぼ、僕!」

「うん」

「っ、…ふ、藤本っ」

「藤本?」

「………ゆ、きお…って…」

「へぇ?藤本ゆきお?ゆき…ゆき……」

名乗った僕の名を口の中で繰り返し、呟く彼女の唇がとてもではないが艶めいて見えて正視出来ない。
指先を下唇に添え、『ゆき』と動かす桃色の、唇。その奥に覗く赤い色の舌が、僕の背筋下方から上方へとすごい勢いで駆け昇る異様な熱を産みだした。
正視出来ないのに、思わず見てしまうと言う相反する行動をとる自分自身に違和感を覚えながらもやはり、逸らし行く視界の隅で追ってしまう彼女の可愛い唇。
その唇から零れ落ちた次なる声は、僕を更に驚かせる。

「………なぁ、漢字は?」

「え…」

丸くさせた目で見つめる先の、愛らしい姿の奥村さん。
僅かに首を傾げて見せて。
10㎝以上差が有る僕の顔を見上げ、もう一度告げる、言葉。

「だから、ゆきお、って名前、漢字はどう書くんだ?」

「あ、っと…あの、『雪』…冬に降るあの『雪』に、男…」

「へえ!『雪』、かぁ…へへっ!俺っ、『雪』って好きなんだ!!良いなぁお前!!」

「~~っっ!!!」

へぇ~、そうなんだ!いや、海も好きだけど、雪ってなんか楽しくなるよな~?なんて。云って笑う彼女に・・・いっそこの心臓、止めてくれないかと云いたくなった。
脈打つ鼓動が痛くて痛くて。
痛すぎて、仕方ない。
ああもう駄目だ。
ほんと、どうしたんだろう。
こんな、初めて出会ったその日に心奪われるとか、信じられない。
作品名:僕と彼女 作家名:とまる