Calvariae Locus
一歩、一歩。あの丘を上る。
舞い散る花弁の中、道無き道を行く。
重き十字架を背負い──幾つもの同胞の屍を越えながら。
Calvariae Locus
傷ついた体に、瓦礫に覆われた道は永遠と思われるほど長かった。
二人で支え合いながらも、シオンは衰弱が激しく、徐々に鼓動が少なくなっていく心臓を抱えた童虎もまた、歩くのがやっとの状態だった。
廃墟と化した聖域を進み、ようやく辿り着いた十二宮にも、もはや人影は見えない。
「──シオン、白羊宮だ」
まずは傷の手当が先決だと、童虎は全壊を免れた白羊宮の居住区に、シオンを運び入れた。
主が戦場での危機を脱したことを察知したのか、二人の体を覆っていた黄金聖衣が自動的に離れ、それぞれ牡羊と天秤の形態に戻る。
右腿の深い傷からの出血は元より、十体の黄金聖衣を召喚するという荒技をやってのけたシオンの小宇宙は酷く消耗しており、体温も低下しつつあった。
「死んではならんぞ、シオン。お前にはまだやらねばならぬことがある筈じゃ」
「……判っている、童虎……」
寝台の上に横たえられたシオンは浅い呼吸に胸を喘がせながらも、止血をしようとする童虎を押し留めた。
「……私のことは良い。お前こそ傷だらけではないか……」
「いいから黙っておれ」
血と泥にまみれたシオンの顔を、童虎は濡れた布で拭っていく。
「せっかくの美人が台無しだな、シオンよ」
「……誰が美人だ」
わざと軽口を叩く童虎に、シオンは不機嫌そうに眉をひそめた。
確かに、誰もが目を奪われるアルバフィカの華やかな美貌とも、整い過ぎて作り物めいたアスミタの端正さとも違うが、凛とした、犯しがたい美しさがシオンには備わっている。
気付いていないのは、恐らく本人だけだろうが。
血の止まらぬ傷口をきつく縛る童虎の手に、ふとシオンの手が重なった。
「──……熱があるのではないか、童虎。体が異常に熱い」
女神の血による作用だと思い当たったが、今ここでそれを明かせば、仮死の法を授けられたことまで告げなければならなくなる。
シオンに隠し事をするのは気が咎めたが、これは女神と自分だけの秘密であり、口にする訳にはいかなかった。
「お前の体温が下がっているせいじゃ。何ならわしが温めてやっても良いぞ」
冗談めかして誤魔化し、血で濁った手桶の水を換えに行こうと立ち上がり掛けた童虎の腕を、しかしシオンは離さなかった。
「……行くな」
「なに、水を換えて来るだけじゃよ」
「童虎……頼む……」
「シオン……?」
童虎はシオンの上に屈み込んだ。
「どうした?傷が痛むか」
「…………」
これほどまでに痛々しい彼を、童虎は今まで見たことがなかった。
シオンはどんな時も誇り高く、毅然としていた。
師ハクレイを喪った悲しみさえも、闘う力に変える毅さを目の当たりにしてきたのだ。
そんなシオンが初めて見せる、弱々しげで、縋るような眼差し──
「……寒いのだ──今は、側にいて欲しい……」
「……シオン……」
色を失った唇に吸い寄せられるように己のそれを重ね、熱を分け合った。
シオンは長身であったが、こうして生身で触れ合えば意外に細身であることが窺える。
最初は触れる程度であったのに、接吻づけは段々深く、激しくなり、血の味が口内に広がった。
「……ん……」
死線を越えたところにある生への本能が、最も原始的な欲望として体の奥に点るのを感じた童虎は、無理矢理シオンの体から自分をもぎ離そうとした。
「駄目じゃ、シオン。傷に障る」
「構わぬ……!構わぬから、このまま──」
多くの仲間を喪い、満身創痍で還ってきた、女神無き聖域。
この先自分達は、人の営みから切り離された時の流れを生きなければならない。
自分が負うべき使命。友が負うべき使命。
どちらも過酷で、どちらも孤独で、それでも生きて次代に繋げることが女神の最後の願いだったから。
だが──
(……女神よ、今だけはお許し下さるか)
こうして「人」である身の弱さに溺れることを、今だけは──
「あ、あ……童虎……童……虎……っ!」
シオンの腕が童虎の背にすがりつこうとするが、こんな時でさえ鼓動が少なくなっていることを気取られるのを恐れ、敢えて抱き合わぬ体位を強いた。
「シオン……!」
童虎は歯を食い縛った。
元々彼には嗜虐的な嗜好などなかった筈だが、その豊かな髪を乱し、悲鳴のような嬌声を上げるシオンを押さえつけ、獣のごとく貪り続ける自分を留めることが出来ない。
傷を負い、弱っている相手に、これほどまでに歯止めが効かないとは。
巻き付けた布が緩み、再び傷口が開いたのが判っても、血の臭いは余計に童虎を昂らせた。
闘いの最中でさえ感じたことの無い、後ろ暗い快楽。
「……童虎、もっと……もっと、強く……」
「煽るでないっ、シオン」
聖闘士として死ぬことを、恐れてはいなかった。
なのに、ここにこうして生きているという生の実感が凄まじいエネルギーとなって、互いの体を突き動かしている。
「……ああ……ど……こぉ……」
高らかに敵の死を宣告する、玲瓏たるその声が官能にかすれる時、それは何と甘美に響くのだろう。
既に体力の限界を超えているにも係わらず、熱に浮かされたように自分を求め続けるシオンに、童虎ももはや後戻りも中断も出来ないまま、更なる猛々しい渦の中へと突き進んで行った。
作品名:Calvariae Locus 作家名:saho