彼方の光
祖父から聖域へ行くように命じられたのは、それから数日後のことだった。
驚きはなく、むしろついにこの日が来たかという気持ちだった。
冥王が魔星と共に封印されてから、二百数十年。
今また、新たな聖戦が始まろうとしているのだ。
牡羊座の黄金聖衣は、私を新たな主と認めてくれるだろうか。
私は立派な女神の聖闘士になれるだろうか。
それが星の導きであるのなら無論、否などあろう筈もないが、生まれ育ったこの地を離れ、祖父や里の皆と別れなければならないのはやはり心細い。
彼とももう会えなくなるのだと思うと、淋しかった。
その日の夕刻、私は長の館の上の間で彼を待っていた。
今日は会えるような気がしていたけれど、果たして彼はいつもの通り幻のように現れた。
「──今日はお別れに参りました」
私がそう告げると、彼は
「行くのかね」
とだけ言い、何処へ、何をしに行くのかというようなありふれた質問はしなかった。
多分、彼の閉ざされた目には何もかも皆「視えて」いたのだろう。
「──……アスミタ」
文献に記されていた、いにしえの乙女座の名を、私は恐る恐る口にした。
「またいつか、お会い出来ますよね?」
しかし彼はその美しい顔に不可思議な微笑を浮かべ、静かに首を振った。
「私は所詮、過去の残像に過ぎぬ。これから君と共に闘うのは死者ではなく、君と同じ
時を生きる、この時代の聖闘士だ」
「でも……!」
「君は、君の乙女座を見つけたまえ」
「……私の……乙女座?」
問い返す私の顔が彼の目の中に映っていて、思わず息を飲んだ。
初めて見た彼の瞳は、天上の青──地上の何ものの色にも染まらぬ、彼方の光。
ジャミールの高地をゆく風が窓から吹き込んで来て、彼の長い金髪を後光のようにふわ
りと浮き上がらせた。
「──ああ、良い風だ」
風を纏うように立ち上がった彼は、白いマントをはためかせながら振り返った。
「そんな顔をするとは君らしくない。次代の子に会えて、私は嬉しかったのだから」
多分私は、泣きそうな顔をしていたのかもしれない。
そんな私の前で、金色の小宇宙に包まれた彼の姿が、ゆっくりと薄れていく。
「女神のご加護が君にあるように──牡羊座の子よ」
初めて私の宿星を呼んでくれたその声音はいつになく優しくて、私は溢れそうになる涙
を堪えた。
「……その名に恥じぬよう、聖闘士としての生をきっと全うしてみせます」
もはや返る声もなかったが、私は遠くなるその背にそっと呟いた。
「さようなら、アスミタ……──そして、ありがとう……」
聖域で牡羊座を拝命した私は、その数ヶ月後、新たな乙女座と出会うことになる。
それはまた、別の話──
FIN
彼方の光
2012/2/28 up