The tide is high
「じゃあな」
別れ道で、宍戸は鳳の顔も見ずに言った。鳳が呼び止める。
「あ、宍戸さん」
「なんだ」
「送りましょうか?今日遅くなったし暗くて危ないですよ」
お前はほんとに犬か!となんとなく腹が立って、宍戸は思わず怒鳴った。
「なんでそんな必要があんだ!」
「え、だって…」
鳳は、自分が言った事の何が宍戸を怒らせたのか皆目見当が付かないという様子できょとんとしていた。
鳳には悪気はないのだ。しかし、先ほどの忍足の言葉のせいか、宍戸は反応しすぎていた自分に気づいた。
「…」
「宍戸さん?」
「別にいいよ。また明日な」
「あ、本当に大丈夫ですか~?」
「平気だって言ってんだろが!」
「それじゃ、また明日…」
自分を思う気持ちから来ているのは分かるが、ちょっと過保護すぎやしないか。
というか、そもそもなんで自分が保護されなければならんのだ。考えてみればあいつの方が年下だ。
(それが、忍足なんかにからかわれる原因なんだよな)
歩きながら、宍戸は思った。
そして無意識のまま、歩いてきた道を振り向いた。鳳はまだこっちを見て立っていた。少し悄然として見えるのは、気のせいだったろうか。
でも、そうでもないらしい。鳳は片手を挙げて、千切れるような勢いで宍戸に向けて振った。
宍戸は仕方なしに、片手を小さく挙げて振った。途端に、鳳は走り寄ってくる。
「宍戸さん、明日自由錬だけど来ますよね?それなら俺も行きます」
宍戸は、大人気ないと思いながらも聞きたい気分になった。
「お前、なんでそんなに犬みたいなんだ…?」
「え?会議で決まったからですよ」
鳳は答えた。冗談を言っている感じでもない。
二人してなんのつもりだ?宍戸は眩暈を覚えながら、帰り道へ踵を返した。
「あ、宍戸さん…?」
「ああ、明日は…行くから。じゃあな」
今度は宍戸は振り向かなかった。でも、鳳はずっと自分を見送っているのに決まっているのだ。
翌日、宍戸はコートの傍らの地べたへ座っていた。
隣へ誰かが腰掛ける。忍足だった。
「よ」
「んだよ」
「鳳なあ」
宍戸は、鳳、という言葉に反応した。また何か言うつもりなのか、と身構えた。
「別に今日は、そーゆうつもりやないよ…」
その言葉に、嘘はなさそうだ。忍足の様子から、宍戸は推し量った。
「あの、『宍戸さん、大好き!!』ちゅーオーラがほんまうっといねん…」
何を言い出すか。宍戸は眉を顰めた。しかし、それに対しては異存はない。
「しかも最近口に出して言ってるし。鬱陶しさもヒトシオや」
ただでさえデカくて邪魔なのに、と忍足は本気とも冗談とも付かない様子で言った。
「そんでなあ」
宍戸に語る、というよりも独り言のように言った。
「お前が、夜に鳳と練習してることは知っとった」
そこに話が飛ぶとは、想像もしない。宍戸は、無言だった。
「ある日、会議が終わって、少し話をした。
『宍戸は自分からあれだけ痛い目みようとすんのやから、これから先どれだけ苦労するかわからん。我に七難八苦を与えたまえ野郎や。だから』」
忍足は言葉を切った。
「だからお前一生面倒見たり。って言ったんや」
「バ、」
バカヤロウ。宍戸はそう言おうとした。
「そしたら鳳、即座に『ハイ』って答えた。躊躇いもなさげに」
「はぁ…!?」
宍戸は、ますます二の句が継げなかった。
「そんでまオモロイから、付け足しといた。『一生傳け!犬のように!!』って言ったらやっぱ『ハイ』って答えたで」
「わー!わー!」
宍戸は忍足の言葉を遮ろうと、混乱したまま大声を出している。
「あいつ、育ちがええし素直やから。俺が思うに、多分な」
「多分本気や」
「え?」
俺は、テニスで宍戸さんに認められていることは知ってます。でも、それ以外でも宍戸さんの中での特別な地位を…いや、できれば一番になりたいんです。
忍足に肯定で答えたあとの鳳の言葉。どういうつもりで言ったのかは分からない。しかし、そのときの鳳の紛う方なき本音ではあったろう。忍足は直感的に思った。
この二人があまりに上手く行き過ぎそうな所が気に食わなかったのだが、結局橋を掛けるまねをして、自分もそう悪い人間ではないのかもしれない、と感じた。
「あ、宍戸さーん」
「登場」
忍足は、宍戸の背中を大きな音を立てて打つ。
「いてっ」
そして、忍足は立ち上がって去った。
「宍戸さん、ダブルスの」
鳳は、座ったままの宍戸の前に立つ。陽光が遮られ、視界の中の世界が全く変わって見えた。
「あ、わかった…」
宍戸は、鳳の顔を見上げて答えた。
「はい」
自然な様子で、鳳は宍戸が立ち上がるのに手を貸した。
宍戸も、その手を取った。
機は、熟しているのかもしれない。
作品名:The tide is high 作家名:りょくや