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怪盗スピードスターの初恋

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富めるものは栄華を極め、そうでないものはそれなりに。そんな夢のない街で育った子供たちに、夢を与えてくれたのは謎の大泥棒。
 アルセーヌ・ルパンのように華麗でもないその手口は、お目当ての宝を手に入れたらあとはひたすら走って逃げるだけという単純なものだった。
それがどうしていつまでたっても捕まらないのか。
答えは簡単、誰もその泥棒のスピードに追い付くことが出来ないのだった。走り出したら最後、あっというまにその姿は見えなくなり、髪の毛一本だって触れることが出来ない。
 わかっているのはその正体が男であること、そして彼が狙うのは陰で悪事を働いているものであるらしいこと、盗んだ宝は恵まれない子供たちのための施設にぽいっと置いていってしまうこと、それだけだった。

 突然現れたダークヒーローは、いつのまにか人々の間でこう呼ばれていた。



 ――怪盗スピードスター。








「迷惑や」
 小さな孤児院の事務室で、目つきの悪い黒髪の少年が心底嫌そうに呟いた。両の耳には派手なピアスが光る。ツンツンに立てられた髪といい、見た目だけならまるでグレた悪ガキそのものであるが、少年は至って真面目ないい子である(と自称している)。ただ少し口が悪くて、少しいろんなことにやる気がなくて、少し反抗的なだけだ。
「お前、意外に新聞読むん好きやんな。なんかおもろい事件でもあったか?」
 横で二人分のコーヒーを淹れていた背の高い男――こちらはキシキシの金髪であるが、やっぱり不良なわけではなく以下略――は、片方のカップに温めの牛乳を混ぜて砂糖を入れ、少年に差し出した。それを見た少年はカップを受け取るついでに男の手の甲をつねった。
「痛い! なんやねん!」
「砂糖が先やって言うてるやろ! 溶けへんかったらどうすんねん」
「あ、そうか。そうやった」
「ほんまに謙也くんはすぐ忘れる……」
「ちゅうかそんなん言うんやったら、光が淹れてくれたらええやんけ。たまにはサービスしてや」
「サービスとかほんまにきもい……」
 光と呼ばれた少年は、文句を連ねながらカップに入った限りなくカフェオレに近いコーヒーを乱暴に掻き混ぜた。
「はあ……悪かったて。今度から気をつけるし。お前今日機嫌悪ない? どうしたん?」
「――これ」
 拗ねたように口を尖らせたまま、光はさっきまで読んでいた新聞をずいと金髪――謙也という名だ――に押し付け、大きな記事を指差した。
『怪盗スピードスター、新年一発目の犯行は脱税政治家の本邸!』と題された記事には、近頃街を騒がせている義賊気取りの泥棒のことが書かれている。
「あー、光、嫌いなんやっけ?」
「かっこつけよって、ただのこそ泥のくせに……うちんとこのガキらも影響受けてんねんで。謙也くんもなんとか言うてや、あいつら大きくなったらスピードスターみたいになるなんて言い出しよって、アホか」
 光はこの孤児院『ぜんざいハウス』の院長先生の次男である。歳の離れた兄がひとりいるが、彼は早くに結婚して今は外で仕事をしているため、光がゆくゆくは施設の経営に携わることになるだろう、と光本人は思っている。子供が大好きでたまらない、というわけではないが、懐かれたら可愛いと感じるし、みんな立派な大人になってしあわせを掴んでくれたらと、言葉には出来なくても思っているのだ。
 それなのに泥棒なんかに憧れるなんて!
「まあ子供のうちだけやって、そんなん言うてんのは。俺も将来は新幹線になりたいとかよう言うてたで」
「……アホの極みやったんすね、謙也くん」
「うっさいっちゅうねん! せやけど、ここ入って光と会うた頃には落ち着いたええお兄さんやったやんか。やから大丈夫やって!」
「は、今の誰の話ですか? うちの兄貴のことですか?」
「お前ほんま腹立つ!」
 殴る真似をして怒る謙也に、光は少し笑みを漏らした。格好だけで、謙也は絶対に手を上げたりしないのだ。出会った頃からずっとそうだった。光だけじゃなくて、施設の他の子供たちに対しても。
 謙也が高等学校を出ても施設に残って手伝いをさせてほしい、と言ってきたとき、光の両親は反対したけれど、内心ほっとしてしまったのは一生秘密にしていくつもりだ。
 光だって、謙也ならもっと上の教育を受けて、なんでも好きな仕事をするほうがいいとわかってはいるのだから。
「まあ、子供らには俺からもそれとなく言っておくから心配せんとき。な?」
「それとなくとか謙也くん一番苦手なんちゃいますか? なんて言う気やねん」
「怪盗もそんな楽なもんちゃうで、とか」
「なんや、その斜め上の説得……」
 呆れた顔を隠しもしないまま、カップに口をつける。甘さが舌に心地よい。謙也は気が付いているだろうに、素知らぬふりで話し続ける。
「やって、そうやんか。悪いことしてる相手んとこに盗みに入る言うても、誰かに怪我させるわけにいかんし。下調べも入念にやらなあかんやろ? もちろん捕まるわけにいかんから、盗んだあとも気が抜けんしやなあ」
「謙也くん、そんな想像力豊かやったっけ。誰かの受け売り?」
 なんとなく違和感を抱いて、そう口を挟むと謙也は一瞬ぴくりと睫毛を震わせた。
「あ、あー、せやねん。そんなん言うてたやつがおって、ちょっとおもろいなあて思ったから覚えとったんや」
「ふーん……」
 面白くない。じ、と謙也を横目で見つめる。
「なんやねん……なんか言いたいことあんねやったら、」
「夜中抜け出してまで話したいようなことなんかなあ、って思っただけっすわ」
 今度は飲んでいたコーヒーで噎せ、ごほごほと咳き込みながらのたうちまわった。つくづく嘘の苦手な人だと思う。
「そら、謙也くんかてお年頃やし。たまには夜遊びしたなることくらいあるってわかってますわ。けど、こう頻繁やとこっちも黙ってられへんっすよ」
「な、なんで……知ってたん? いつから?」
「バレへんわけないでしょ。俺の部屋、謙也くんとこの隣やもん。窓から出てく音が聞こえるんすわ」
 ただでさえ、窓枠が古くなっているため風でもきしむのだ。れっきとした成人男性の体型をしている謙也の体重がかかって、音がしないわけがない。ベッドの中で光がそれを聞きながら、他の人に見つかりませんようにとどきどきしていることなど謙也は知らないだろうけれど。
「う、ごめんやで……このこと院長先生には……」
「黙っててもええけど、交換条件」
 す、と人差し指を一本立てて謙也に迫る。
「わかった、しゃあないもんなあ……俺、あんま金ないねんけど」
 ティッシュで口元を拭いながら、肩を落としている謙也に少しだけいい気分になりながら、光は笑いをかみ殺した。
「金なんかからんっすわ。俺も今度は連れてってくれたらそれでええです」
「あかん!! それは絶対あかん! それ以外ならなんでも言うこと聞いたるけど、それだけはあかんねん!」
 持っていたティッシュを投げ捨て、勢いよく光の腕を掴んで謙也は叫んだ。カップを落としそうになるのも構わず、光は負けじと大声をあげた。
「なんであかんの! 俺かてもう子供ちゃうし、ええやんか!」
「絶対あかん! あかんっちゅうか無理やねん! なあ、わかってや!」
「理由を言え、理由を!」