小説インフィニットアンディスカバリー
通気口の格子が天井にぶら下がっている。侵入口はどうやらこれらしい。そこを戻れば、見つからずに脱出することもできるんじゃないかとカペルは思った。看守が使っていたテーブルを動かして足場にすれば、届かないわけじゃない。
「足場がいるでしょ。そんなもの残したら、ここから出て行きました、って言ってるようなもんじゃない。中じゃ身動き取れないし、時間もかかるのよね」
「そっか……」
通気口から出る前に見つかれば、出口で待ち伏せされて終わりだ。それならば、隠れながら通路を進んだ方が柔軟に対応できる、ということか。
「それに……」
「ん?」
「あんなところ、二度と通りたくないのよ」
「狭いところ、嫌いなの?」
「うるさい! 感触、思い出しちゃったじゃない!」
そう言うとアーヤは平手を振り上げた。思わず身構えたカペルだったが、その手は頬を打つのではなく、カペルの腕に伸ばされ、服の袖を掴むと、そこに執拗にこすりつけられ始めた。
「ちょっ……、なにするの!」
「ゴキブリ触っちゃったの思い出したのよ。拭かないと気持ち悪いでしょ!」
「そんなぁ……」
「思い出させたカペルが悪いの!」
ひとしきりこすりつけると、戸惑うカペルをよそにアーヤは満足そうな笑顔を浮かべる。
一人で敵の本拠地に乗り込む無鉄砲さと、それを成し遂げるだけの力がある彼女だったが、こういう年相応の笑顔も持ち合わせている。
不思議な人だな、とカペルは思った。
出口だ。
三階分を縦貫した吹き抜けの壁に沿って、階段が大きく螺旋を描いている。それが、外への扉と地下を繋ぐ唯一の道だ。
階段の下に広がるエントランスのような空間の端に、二人は身を隠していた。
「あそこが出口だよね」
「そうね」
幸いにも、ここまで気づかれた様子はない。あの看守はまだ眠ってくれているようだ。
敵対する者を閉じ込めておくだけのものという性質からか、それとも封印軍が単に人員不足なのか、大部隊が駐屯しているわけではないようで、見渡した限りでは兵士の姿はまばらだ。今いる場所の対角にある駐屯所とエントランスに数名が見えるだけで、扉の近くにもいるかもしれないが、幸いにも、階段には誰もいない。
隠れたまま駐屯所とエントランスの兵士をやりすごし、騒がれる前に入り口の兵士を倒して脱出。これなら何とか突破できるかも。
どうしてこんなことをやっているのだろうという疑問はあるが、それはとりあえず横に置くことにした。口に出したら隣の彼女に何をされるかわからない。
状況を確認してアーヤを見遣る。視線が交錯し、二人は頷きあった。考えていることは一緒のようだ。それがどこか心地よかった。
再びあたりを見回したアーヤが左手を持ち上げる。それが下ろされると同時に二人は走り出した。
が、走り出そうとした瞬間、アーヤが悲鳴を上げて盛大に転んだ。
「きゃあっ!」
「ちょっ!?」
カペルはアーヤを咄嗟に物陰に引きずり込んだ。暴れる彼女の口を押さえたまま、周辺に警戒の視線を飛ばす。
「大丈夫……かな」
兵士に変わった様子はない。アーヤの悲鳴は聞こえなかったようだ。
「ゴ、ゴゴゴ、ゴキブ……」
震えるアーヤの視線の先には、床を這う数匹の黒いものが見える。よく見れば先ほどまで手をついていた壁にも這っている。
衛生状態がいいとは思ってなかったが、予想以上に悪いらしい。
「なんだ、ゴキブリか。怪我したのかと思っちゃったよ」
「なんだじゃないわよ! もういや……。なんなのよここは。シグムント様もいないし、服は汚れちゃうし、あんなの触っちゃうし……」
アーヤの鋭い視線が、何故か自分に突き刺さるのを、カペルは感じた。
「全部あんたのせいなんだから!」
「……誰か聞いてください。この人むちゃくちゃです」
直後、エントランスに警報が鳴り響き、カペルの嘆きを遮った。
「気づかれた!?」
「そんな大きな声出したら、ね」
ふてくされるアーヤの顔を見ることなく、先ほど確認した兵士達の方に目をやる。こちらに向かってくる様子はないが、慌ただしく動き出したのは見てとれた。
「……こっちには来ないみたいだね」
「さっきのじゃないとすると……」
牢の方が気づかれたということか。いずれにせよ、出入り口を塞がれてからではまずい。急いで脱出しないと。
再び目で合図をした二人は、まだ警戒網が整う前なのを確認すると、物陰から一気に飛び出した。
突然の警報に混乱する兵士達。その隙を縫うように走り抜け、二人は階段を駆け上がる。
上りきった先に広がる通路には、門番の役目を負う兵士が二人、扉の両脇に立っていた。
こちらを確認すると、慌ててメイスを握り直し、襲いかかってくる。
「立ち止まっちゃ駄目よ、カペル!」
「そんなこと言ったって……!」
そう言っている間にも間合いは詰まり、兵士の一人が前方を行くアーヤに襲いかかった。鈍い光を放つメイスが、上段から振り下ろされる。
その時、アーヤの右手の甲に光の紋章が浮かび上がった。火の粉のような赤い光の粒子がその身に滞留を始め、同時に足下がかすかな炎を帯びると、小さく爆発した。生み出された推進力を利用して加速、身を低くしたアーヤが、メイスの下をかいくぐる。そのまま兵士の脇をすり抜け、後ろに回り込むと、看守を倒した要領でナイフの柄を叩き付けた。かすかな残り火の上に、兵士が崩れ落ちる。
「月印……!」
光に気を取られたカペルの動きが鈍った。もう一人の兵士がその油断を見逃すことはなく、当然にカペルへの攻撃を止めることはない。
同様に振り下ろされたメイスを、カペルは慌てて剣で受け止めた。しかし、足は止めざるを得ない。
「カペル!」
「くっ……」
アーヤの声に応える余裕もなく、不意に叩きつけられた敵意を前に、身体が硬直する。
夜盗のそれとは違う、訓練された者の攻撃。防ぐのが精一杯だ。
それでもカペルは、兵士の攻撃の隙をついて、剣を水平に払った。しかし、それは空を切る。強引に敵のリズムに割って入った攻撃は、かわされるとカペルの隙となる。身体が流れた。
次の攻撃が来る。生命の危険を感じた身体がすくみ、カペルの隙を決定的なものとする。
……しかし、次の攻撃は無かった。
見ると、兵士もまた身を固くしていた。何かに怯えているようだ。
まるで格上の相手と対峙せざるをえなかったかのように……。
「あっ」
そして、カペルは気づいた。相手はまだ自分のことを光の英雄だと思っているのだ。そんな封印軍の兵士から見れば、カペルの心許ない一振りも、名も知らないフルート吹きの一振りではなく、英雄の一振りになる。自分が獄につながれる理由になった英雄の影が、今は身を助けてくれる。
光明を見いだしたカペルは、すぐさま体勢を整えた。
怯えた兵士の攻撃が大振りになる。それを見て取ったカペルは、タイミングを合わせて、振り下ろされるメイスを剣で跳ね上げた。
そして、あらわになった相手の懐へ身体をねじ込む。
不意を突かれ、腹部に体当たりを受けた兵士が悶絶し、頭を下げた。
下がったあごを、カペルがすかさず剣の柄ではじき飛ばす。
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー 作家名:らんぶーたん