小説インフィニットアンディスカバリー
初めての転送陣の感覚にあたふたしながら、周囲の状況を何とか確認しようとしたカペルの目に、石造りの小さな部屋の様子が飛び込んでくる。
古びた石柱や、壁面いっぱいに描かれている儀式めいた文様、月印と月の神ベラを思わせる崩れかけのレリーフなどを見れば、そこがハイネイルの修行場だったという神殿のどこかだということは、すぐに理解できた。
部屋には窓がないせいか、空気が澱んでいて饐えた臭いがする。封印軍の牢獄のそれと似ている気もするが、今は仲間がいるせいか、あそこにいたときほど陰鬱な気分はしなかった。
「ソレンスタムさんたち、大丈夫かな……」
隣にいたアーヤにそう言いながら、もう見えるはずもないソレンスタムたちの影を追って、カペルは振り返って転送陣の方を見た。
「どうしたんだい、カペルくん?」
それに気づいて声をかけてきたのは、それまでエンマの報告を聞いていたユージンだった。
「転送陣に入る直前に、モンスターの群れが襲撃してきたんです。ソレンスタムさんたち、大丈夫かなって……」
「敵が?」
聞いた全員に緊張が走るのをカペルは感じた。余計なことを言ってしまったような気がしたが、カペルの心配を察したのか、ユージンが少し堅い笑みを浮かべて言う。
「ソレンスタム様なら心配いらないよ。このあたりのモンスターがいくら集まっても、負けることはないさ。ブルガスを代表するハイネイルの力は伊達じゃないよ。だけど……」
その先を言い淀んで、ユージンは指で眼鏡を押し上げた。問題を抱えたときの彼の癖だ。
「どうしたんです?」
「……その襲撃が封印軍の差し金なら、僕らの動きは全て筒抜けだってことさ。おそらくここにいることも」
そのユージンの推測を裏付けるように、「ここを確保したときから、すでに敵方に察知されている気配がありました」と、この転送陣の出口を確保していたエンマが言った。
「いることを察知していて、あえて見逃していた?」
「はい。ですから……」
「……罠、か」
元々の塔の戦力がどこかへ移されたことや、転送陣が襲われたことを考えれば、自ずと答えは見えてくる。
「罠があろうと関係ない。この新しい月印の力で、俺が全部切り捨ててやる」とエドアルドが意気込んでいるが、危険な状況に変わりない。にもかかわらず、それ以外の面々はどこか落ち着いた印象だった。みんな、すでに覚悟は出来ていたのかもしれない。
やはり自分とは違う。
普段は居心地の良い解放軍だったが、いざ戦闘が始まると、彼らの顔は戦士のそれになる。一人だけ心の準備が出来ていないことを自覚し、そこが居るべき場所ではないような気がして、カペルは忘れかけていた昔の感覚を思い出してしまった。
幼い頃より当たり前のように隣にあった感覚で、いつしか気にしないようになっていたもの。仲間や友人と呼べる存在もなく、ただ一人、孤独を噛みしめて人の輪を外から見ているしかなかった。そんな疎外感を、皮肉にも、仲間ができたことではっきりと思い出してしまったのだ。
ふとアーヤと目が合う。
カペルの微妙な変化を見て取ったのか、彼女は「どうしたの?」と首をかしげて言った。
それだけで、十分だった。
昔は、そんな一言さえ聞くことが出来なかったから。たったこれだけで、冷えた胸の奥が温かくなるというのに……。
昔とは違う。
今はこうやって気にかけてくれている人がいる。
その認識を新たにし、疎外感がどうこうと言ったらまた怒られるだろうなと想像できれば、重くなった気分もいくらか晴れて、カペルは思わず笑みをもらした。
「……ん?」
「ううん、なんでもないよ」
「……変なの」
カペルはいつかの自分の言葉を思い出した。
アーヤは太陽のようだ。
心が闇に捕らわれそうになると、彼女が照らし出してくれる。世界が灰色に染まっても、彼女が彩りを与えてくれる。自分の言葉が、いつの間にか本当のことになりつつあるのを、このとき、カペルは漠然と理解した。
この戦いは、頑張らないといけない……。
ふいにやる気が湧き出し、目的地であろう塔の最上階を見据えるように、天井を見上げた。
この先にレオニードがいる。そして月の鎖がある。鎖を断てば、フェイエールの民を思って飛び出してきたアーヤの思いも、いくらか救われるだろう。だから……。
と、柄にもなくやる気になっていたカペルだったが、すっかり聞きそびれていたことを思い出して、思わず「あっ!?」と間抜けな声を出してしまった。
「な、なによ、いきなり」
「今って塔のどの辺りにいるの?」
「まだ神殿部分だから、最下層ね」
「……もしかして階段で上がるわけじゃないよね。嫌だよ、僕」
「そんなわけないでしょ。封印軍だって人間なんだから、こんな塔を階段だけで上がれるわけないじゃない。前の戦いのときと変わっていなければ、上層につながる転送陣がいくつかあるはずよ」
「転送陣って、さっきみたいなやつ?」
「そうよ」
「はぁ、良かった……」
「カペルは階段で上がりなさいよ。そうすれば鍛えられるし、少しはシグムント様に近づけるんじゃない?」
「お断りします」
顔を見合わせて笑う。
その彼女の笑顔に、ほどほどに頑張ります、と誓いを立てながら、カペルはもう一度、天井の向こうに敵の姿を見据えた。
塔の最下層には大広間がある。何階分かを縦貫した吹き抜けになっていて、神殿を支えていた巨大な石柱が四本、中央の転送陣を囲むように立っているはずだ。
その大広間を目指して、エドアルドは二つの背中を見ながら歩いていた。
シグムントがカペルを呼んで、何かを話しながら歩いている。会話の内容を盗み聞く気にもなれず、本来自分がいるはずだと思っていた場所に、よりにもよってカペルがいるということもあって、エドアルドは必要以上にイライラしていた。
「何を苛ついているんだい?」
この戦いから解放軍に参加してきたフェイエールの傭兵、ドミニカといったか、彼女が話しかけてきた。
「別に苛ついてなんていない」
「その態度が苛ついているって言ってるんだよ」
自分が年下だからか、それともこの傭兵の方が場数を踏んでいるからか、あるいは女だからか、見下されているような気がして、それがエドアルドの苛立ちに拍車をかける。
答える義理もない。沈黙でそう返答すると、ドミニカは「やれやれ」と首を振ってアーヤの隣に行った。
苛ついてなんていない。ただ、すぐに戦闘を始めたかった。そうすれば、シグムント様の隣にいるのは自分なのだから……。
だが、その願いもむなしく、敵が出てくる気配もない。通路を満たす静けさが不気味だった。
不意に視界が広がった。狭い通路を抜け、巨大な空間に出る。中央にある四本の石柱以外は何もない。ただ広いだけだとも言えるが、広さというものはそれだけでも人の心を動かす何かがあるもので、エドアルドは無意識のうちに頭上へと視線を泳がせた。
「ようこそ、ヴェスプレームの塔へ」
耳朶を打った見知らぬ声に慌てて剣を握り直し、エドアルドは正面を見据えた。敵の存在に気づかないでいた。失態だ。
「ずいぶんと早かったんだねえ、って当たり前か。わざわざ抜け道を用意してたんだものね、ふひひ」
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー 作家名:らんぶーたん