小説インフィニットアンディスカバリー
「月を大地に縛り付けるように、あの方は俺の身体に月印を縛り付けてくださった。本来なら、おまえの剣を受け止めることも出来なかっただろう。俺がこうして戦えるのは、全てあの方のおかげだ」
月印を受け付けぬ新月の民にさえ、月印を縛り付けることのできる能力。それがレオニードの力だというのか?
「おまえたちの希望が光の英雄なら、あの方は俺たちの希望だ。月印が無かったおかげで、俺たち新月の民がどういう境遇に追いやられていたか知っているか? いや、知っていても理解はしていまい。おまえは持って生まれた側の人間だ。持たずに生まれた俺たちを理解はできない。それがおまえたちという“種”だ。おれたちとは違う」
「だ、だからといって世界を腐らせて何になる!? おまえも、おまえの仲間も、俺たちと同様、この世界に生きているだろう?」
震える声を必死に押さえて、エドアルドは言葉を絞り出した。
「だから理解していないと言うんだ」
完全に気を飲まれていたエドアルドの反応が送れ、咄嗟に構えた大剣はドミトリィによって力任せにはじき飛ばされる。放たれる圧力に押され、エドアルドはその場にへたり込んだ。
剣の切っ先をエドアルドに据え、ドミトリィが断じる。
「これは復讐だ」
世界の当たり前の姿が突然崩れ、そこにあった歪みが眼前に突きつけられる。その重みが胃の腑にずしりと沈み込み、じゃあこれまでの戦いは何だったんだと問うた頭が白く白濁すると、エドアルドは一瞬、我を忘れて呆然とした。
「あ……」
言葉が像を結ばない。何か言わないと全てが崩落していく感覚に襲われ、必死に口に言葉をのせようとしたが、ただ喘ぐことしかできなかった。
見下ろすドミトリィの目に蔑む色が見える。それでも何も言えない自分に悔しいと思う余裕さえない。
据えられた剣先が離れていき、上段に構えられた。
斬られる……。
「エド!」
ふいに聞き慣れた声が耳朶を刺激し、それが遊離したエドアルドの意識を引き戻した。
我に返ったエドアルドは、反射的に転がるようにしてその場から離脱する。はじき飛ばされた大剣を拾ってすぐに構え直したが、ドミトリィは部屋の入り口の方を見遣っていた。
視線を追従し、見慣れた仲間の顔を見つける。アーヤだ。そこに、自分があこがれた英雄の姿を重ね合わせたエドアルドは、弱気になった自分を叱咤した。
そうだ、何をやっている。相手の事情など関係ない。俺にはやらなければならないことがあったはずだ。この戦いに挑む、俺の理由が……。
「先に行け、アーヤ」
足下に転がる宝珠を拾い上げていたアーヤにそう告げると、それを聞いたドミトリィがエドアルドをゆっくりと睨め据えた。
「でも……」
「行け!」
ここで退くことは許されない。退けば、自分自信を否定することになる。
「……無事でいなさいよ。でないと承知しないんだから」
それだけを言ってアーヤは走り出した。気持ちを察してくれた仲間に感謝しながら「ああ」とそれに答えたエドアルドは、行くのを黙って見過ごしたドミトリィと視線を交錯させる。
「まだ戦うつもりか……」
そう問うてきた相手に、エドアルドは静かに、そしてはっきりと答えた。
「おまえにおまえの戦う理由があるように、俺にも俺の戦う理由がある。俺は解放軍のエドアルド。光の英雄に成り代わっておまえを討ち、そして、俺たちは月の鎖を断つ!」
月印を解放する。
肉を裂かれるような激痛が走り、沸騰する血液に血管が爆ぜる音さえ聞こえた気がする。それと同時に、さらに激しくなった力が全身を燃え上がらせ、その奔流を御するためにエドアルドは意識を集中させた。
もっとだ。もっと力を……。
封印騎士を倒すだけの力を、俺によこせ。
力の代償が鋭敏になった感覚を貫く。その激痛に、エドアルドは口元を綻ばせた。
「——そんなわけで、必ずしも君たちの戦いに大儀があるってわけじゃないこと、わかってもらえたかな?」
三匹目の“クロン”ヴィシャスアイをバルバガンの戦斧が斬り伏せた後、ニエジェランが語り出した話に全員が息を呑んだ。
「じゃあ、あなたも……新月の民なの?」
信じられない話だと決めつけられず、ミルシェはぽつりと呟いた。それが聞こえたのか、ニエジェランが不敵に笑う。
「何も新月の民ばかりが集まっているわけじゃないさ。月印がもらえるなんて話を聞いたら、誰だって興味を示すだろう?」
まだ息のあった二匹目の“クロン”ヴィシャスアイが、その隣で黒ずんだ光を上げながら爆ぜて消えた。それをまたせせら笑いながら、自らの月印を見せつけてニエジェランは言う。
「あんなクズどもと一緒にされたくないね。ボクのこれは生まれつきさ。ただ——」
ニエジェランが逆の手をこちらに向ける。そこには別の月印が浮かびあがっていて、先ほどのものには無かった赤い鎖がそれを縛り付けているのが、はっきりとわかった。
「こっちは貰ったんだけどね」
そう言い放った瞬間、赤い鎖がどす黒く汚れ、次いで起こった爆風に視界を遮られる。その向こうに見えたニエジェランは、背中から漆黒の翼を燃え上がらせていた。
「さあ、ここからが本番だ。ふひひ、楽しもうじゃないか。解放軍のみなさん」
威圧感がまるで違う。
それは実際の圧となって空間を暴れ、ミルシェが広げていた魔導書のページをぱらぱらとめくりあげた。
ドミニカがかまわずに飛び込んでいくのが見えた。
ミルシェはニエジェランの話を整理しきれず、呆然とそれを見ているだけだった。
不意に肩を叩かれ、はっとして振り返る。
その理知的なイメージとは違う無骨な手を、ユージンはミルシェの肩に置いたまま言った。
「僕らには僕らの戦う理由がある」
視線をニエジェランに向け、眼鏡を押し上げる癖を見せながら続ける。
「世界が腐り落ちる前に月の鎖を断つ。それがあいつの意志だから、僕らはそれを手伝うだけだ。そうだろう?」
「ユージンくん……」
昨夜に重ね合わせた熱を思い出し、ミルシェは震えそうになる自分の肩を抱いた。
無事だろうか……。
いや、それを心配するときはもう終わったのだ。
ふさぎ込む時間もすでに済ませた。
自分に出来ることをする。ユージンの言うとおり、痛いほどに刻み込んだシグムントの意志を、ミルシェは胸の内に反芻した。
弱き新月の民を助け、この世界の歪みを正す。
大仰な仕草に乗せて言うレオニードの言葉は、確かに美しく響く。だが、仮にそれがやつの本音であったとしても、このやりようは間違っている。新月の民を救うという大儀と、月の鎖で世界を腐らせているそのやり方には、大きな隔たりがある。今まで見てきた月の鎖に苦しむ人々の姿が、シグムントに迷うことなくそう結論づけさせた。
だが、カペルは違う。
手に持つ剣をだらりと下げ、その場に立ち尽くすカペル。
すぐには掛ける言葉を見つけられず、シグムントはカペルの姿を見つめ続けた。
カペル……。
「くっくっく……」
レオニードの高笑が鼓膜を震わせ、シグムントはその敵を睨め据えた。
「見たか、英雄殿。言葉一つでこうもなびき、希望一つでこうも惑う。新月の民とはなかなかに面白いではないか」
「えっ……」
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー 作家名:らんぶーたん