小説インフィニットアンディスカバリー
その逡巡の直後、目の前の瓦礫がぐらりと揺れるのをドミニカは見た。塔の揺れと錯覚したのもつかのま、瓦礫がゆっくりと持ち上がり始め、その下から金色の光が漏れだしてくる。誰かが下から持ち上げている。こんなことを出来るのは……。
「何してやがる! さっさと行かねえか!!」
人間一人分の隙間から聞こえた野太い声に意識を引き戻され、ドミニカは「バルバガン、無茶だ!」と叫びながらも走り出した。
左肩の月印を白熱させながら、馬鹿でかい図体の何倍もあろうかという質量を支える男が咆哮を上げる。ぱらぱらと天井から落ちてくる瓦礫がバルバガンの支える瓦礫を打つ。そのたびに軋む音と細かな破片をこぼしてはいるが、それが下がってくる気配はなかった。
脇をすり抜けるときに見たバルバガンは、震える全身から血を流しつつもこちらを見てにやりと笑った。それがかえって長くは持たないであろうことを想像させ、ドミニカはとにかく出口へと繋がる通路へと急いだ。
「さあ、あんたもこっちへ来るんだ!」
通路へと差し掛かると、振り返ってドミニカは叫んだ。だが、散発的に落ちてくる天井の一部が床にぶつかり、その声を遮ろうとする。
「早く!」
もう一度、土煙の向こうに叫ぶ。だがバルバガンは動かない。いや、動けないのか? その背中に先ほどの笑みが重なった刹那、今までで一番の轟音が三発、破壊の充満した空間を揺らし、最後まで残っていた天蓋が根こそぎ崩落を開始した。
「バルバガン!」
ドミニカの声は完全に遮られ、バルバガンの姿が土煙と瓦礫の向こうに消えていく。同時に、ドミニカのいた通路自体ものし掛かる瓦礫の重みに悲鳴を上げ始め、状況に執着しては助けられた自分の身も危ない、と戦士の本能が警鐘を鳴らした。
「くそ……。死ぬんじゃないよ、バルバガン」
走り出した後ろから通路の天井が抜け始め、引き返せないと理解せざるをえなかったドミニカは唇を噛んだ。
仲間を呑み込む破壊の奔流を背に、助けた命を担ぎ上げながら、助けられた身を狭い通路に駆けさせる。出口はすぐそこだ。
すぐそこなのに……。
塔を旋回する青龍の背から、カペルは地上に人影を探していた。少しずつ近づくにつれ、大地に何人分かの見知った姿を見つける。
ほっとしたのもつかのま、崩壊する塔からこぼれていた光の粒子が爆発的に増え始めたのをカペルは見た。それはカペルたちもろとも、オラデア山岳地帯の一角を包み込むように拡散し、瓦礫と砂塵から一転、光の瀑布となって大地に降り注いだ。
ヴェスプレームの塔の最後だった。
月の鎖のそれを数倍のスケールで描き出した光の放散の中で、塔の中心部にその粒子が塊を形成していく。ヴェスプレームの塔の核とも呼ぶべきそれが巨大な光の鳥となったように見えた直後、それは爆発を引き起こし、滞留していた粒子を吹き散らした。
「安らかに眠れ、朱雀……」
青龍が呟いた。それが聞こえた気がした。
爆発の衝撃波とともに散った光の粒子が、山上に巨大な光臨を現出させている。それは遠くフェイエールの街からも視認できるほどの大きさで、この直後に街が歓声に包まれたことをカペルたちは後になって知った。
青龍の展開した障壁の中で、カペルは光の粉となったヴェスプレームの塔が演出する幻想的な光景を至近で眺めていた。塔に堆積していた最後の粉塵もそれによって吹き飛ばされ、破壊に押し包まれていた一体の視界も明瞭になる。異形を誇ったヴェスプレームの塔の跡には下層部を担っていた古い神殿の残骸だけが残り、もはや見ることのできないその姿は、すでに夢幻に類する何かでしかなかった。
「カペル、あそこ」
その残骸から少し離れた場所、アーヤの指さす方向に再び仲間の無事を確認すると、青龍が何も言わずにそちらへと降下を開始する。ユージン、ミルシェ、ドミニカと、彼女に肩を貸されているエドアルドが見え、エンマとその部下の姿が周りにあった。
「あれ、おじちゃんは?」
「どこー?」
そこにいないという事実がバルバガンの身に降りかかった最悪の事態を想起させると、心臓を掴まれる息苦しさが襲ってくる。そして、カペルにはもう一つ、そうなるだけの理由があった。
シグムントのことをみんなに話さないといけない。
それはシグムントに助けられた自分の責務。その思いが胃の腑を重くしたが、だからといって、これだけは他人に任せる気にもなれなかった。
地表が近づいてくる。
青龍の背を降りたのが四人だった段階で想像がついたのだろうか。シグムントがそこにいないという状況から来る当然の帰結に、説明をする前に皆の顔に影が走るのをカペルは感じた。
「あの——」
「シグムントは負けたのかい?」
「あ……」
先回りしたユージンに一瞬、カペルは言葉を失った。
「僕を守って、それでレオニードと相打ちに……」
「そうか」とだけ呟いたユージンの顔は、眼鏡にやられた手によって見えなかった。隣にいたミルシェがその場に座り込み、伏せた顔から雫がこぼれるのを見たとき、「ねえ、バルバガンは?」と袖を引いたルカとロカに問われ、カペルは言葉に窮した。ドミニカが目を伏せ、ユージンが眼鏡に手をやったままなのを見れば、自ずと答えは出てくる。
不意に「カペル」と青龍の声に呼ばれ、そちらを振り返った。
「どうしたんです?」と問うたカペルには答えず、青龍は瓦礫となったヴェスプレームの塔の跡に目をやっている。あの塔のものとは思えぬ程度の瓦礫も、神殿一つ分ともなればそれなりの量で、戦いの激しさを物語るには十分だった。
無言を続ける青龍の視線を追い、瓦礫の方へと視線を流す。直後、その一部がぐらりと揺れるのを視界に捉えた。
一際大きな瓦礫を押しのけて現れたのは、ふわりと浮かびあがる光の玉だった。青く揺らぐそれはどうやら青龍の作り出したものらしく、その中に仰向けになった人の姿が見えた。真っ二つに割れていた瓦礫を押しのけて、青い光球がこちらへとゆっくり飛んでくる。
「バルバガン!」
ユージンが叫ぶのが聞こえ、カペルは光球の中にいるのがバルバガンだと理解した。ふわふわと浮かびながらこちらへとやってきた光球は、青龍の目の前に降りると、バルバガンだけを残して消えた。
「まだ息がある」
バルバガンの身体を覆う無数の傷が痛々しく、思わず息を飲んだカペルだったが、青龍の言葉にはっとする。
まだ息があるなら……。カペルはミルシェを呼ぼうと振り返った。
「ミルシェさ——」
その言葉より早く、カペルの横をミルシェが駆け抜けていく。倒れたバルバガンの横に取り付くと、すぐに温かい光を放った手が彼に捧げられた。
「これ以上、誰も死なせない……誰も……」
鬼気迫ると言ってもいいその表情に、カペルは胸を突かれた。
死んだ。
シグムントは死んだのだろうか。
サランダの言葉からすれば、まだ希望はある。ただ、シグムントがいないということだけは、はっきりとしていた。月を縛る鎖はまだ残っているというのにだ。
だから——
胸のペンダントに手をやり、自分が負おうとしている責任の重さを確認したカペルは、ふとアーヤへと視線を泳がせた。治療の様子をうかがっていた顔が上げられ、澄んだ青い瞳がこちらへと向けられる。
作品名:小説インフィニットアンディスカバリー 作家名:らんぶーたん