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囚われの人

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 クラインの姫は誰もが認める美しい姫である。
 いや、「美しい」という言葉で形容するには言葉が足りない。姫は、外見は美しいというより可愛らしいという表現が適する。そして性格は汚れを知らぬ幼子のようであり、けれど王族としての重い責務はきちんと理解している、誰よりもクラインの民の幸せを願っている少女であった。そしていつもいつも、王族としてあるまじき行為を行い城から出て、町行く民に気軽に声を掛けるのだ。やれ「今日は良いお天気ですわね」や「わたくしのお部屋に昨日小鳥が舞い込んで参りましたのよ」など、何でもない話題だ。けれど人々は姫のその話を楽しそうに聞き、姫が来るのを今か今かと待ちわびる。

 華のような笑顔を見て、元気をもらうために。
 鈴の鳴るような可憐な声を聞いて心を癒して貰うために。

 ――つまり、姫は彼女の全てを含め、“人として”「美しい」姫だと言われるのだ。

 そんな彼女だが、いつもニコニコ微笑んでいるわけではない。




「キールは頑固者なんですわっ!」
 うららかな昼下がり、いつものように城を抜け出したディアーナ姫が、お気に入りの店で可愛らしい叫びを上げた。細く高らかな声は怒りの色を濃くは出せず、聞いた者は思わず笑みを浮かべてしまう。
 そんな中、ディアーナの前に座るメイはケーキを口に運びながら大きく頷いた。
「そんなこと分かり切ったことじゃない。キールってヤツは頑固で口うるさくて性格のひん曲がった男なのよ」
「本当ですわ!」
 間髪置かずに返される言葉に、メイは自分が言った非難の同意にもかかわらず、思わず食べる手を止めてディアーナを見た。いつもならば、自分がキールについて意見すると「そんなことありませんわっ、キールは、キールは……」などと庇ってのけるというのに、今日のこの返答はどうしたものなのか。
 不思議そうにディアーナを見ると、みるみるうちに彼女の瞳が潤み始めた。
 心の中で「うわ、どうしよう」などと焦りを覚える。曲がりなりにもディアーナはこの国の姫だ。誰からも好かれる姫君だ。いくら自分とディアーナの仲が良いとは言え、回りからどう思われるか考えると、このような情況は勘弁して欲しい。『不敬罪』とやらで捕まえられたら、たまったものじゃない。――まあ、そんなことにはこのディアーナがさせないだろうが。
「あ、あのさ……ディアーナ――」
「わたくし、自分がこんなにわがままだなんて知りませんでしたわ。けれど……けれど、こんなにも簡単な願いを、どうしてキールは聞いてくれないんですの!?」
 ディアーナは興奮に顔を赤く染め上げ、歯がゆそうに述べる。いつも朗らかに笑う彼女のこのような表情は初めて見たなと、メイは瞳を瞬かせた。
「わたくし……ただ名前を呼んで欲しかっただけですのに……」
 メイは特に意味はなく小さく頷いていた。真剣な瞳で真っ直ぐにディアーナを見る。
 そうだ、彼女はただ名前を呼んで欲しいとキールに願っただけだ。それを拒まれてこんなにも憤慨している。いつも穏やかに華のように笑う彼女が。たかが『名前を呼んでもらいたい』だけで――。
「ディアーナ、キールが好きなの?」
 行き着いた答えはそれのみ。
 至って普通にそう問うと、ディアーナは一瞬瞳を瞬かせた。大きな瞳をこれでもかと見開きながら。
「なっっっ!? ち、ち、ちちち違いますわっ!!」
 分かりやすいと言えば分かりやすかったはずなのに、今まで気づいていなかった自分が情けなく悔しい。
 そもそも、クラインの美姫は『誰もに』優しく、『誰とも』親しく、『誰からも』好かれる人なのだ。いつものように“みなさん仲良くしましょう”という意味でキールにもちょっかいを出しているのかと思っていた。あの偏屈と何としても仲良くなってやる、とディアーナが己の中のやる気を燃やしているのだと。
 だがその考えは見当違いだったのかと――再び、メイは頭で色々と考えを巡らせて、ただ黙って二、三頷いた。
「メイ?! 違いますわよ? わたくし、キールのことなんて本当になんとも……」
「あ〜、ディアーナにメイじゃん!」
 身を乗り出して否定を続けるディアーナの背後から声が掛かる。見ると、ガゼルとシルフィスが立っていた。
「まぁ、ガゼルにシルフィス!」
 途端にディアーナは満面の笑みを浮かべる。
 心の底から嬉しそうに微笑むのだ。そもそも彼女自身、己の中にある“仲良しな皆様”への感情に気づいていないのだろう。
「まあ……こんなんじゃ気づかないわよね……」
「え、何ですの?」
 ディアーナの問いにメイは力無く首を振った。
「こんにちは」
「こんにちはですわ! 今日は、訓練はありませんの?」
「今日は早くに終わったんですよ。たまには息抜きをするように隊長から言われまして」
 時間を持て余している、といったように軽く肩を竦めてシルフィスは笑った。
「それなら、わたくしたちとご一緒しません?」
 名案、と言ったようにディアーナは胸の前で手を合わせる。
「あ……でも姫、お戻りにならなくて平気ですか?」
 シルフィスが気遣うような声を上げると同時に、ガゼルは構うことなく空いているイスを持ってきて座った。
「いいんだよ、ディアーナのお忍びなんて殿下も慣れてるだろ?」
「そうですわ」
 複雑な表情を浮かべながら、シルフィスは「じゃあ……」と腰を下ろすしかなかったのだった。

 話の内容は、何でもない、日常的なこと。
 人の話につき合うのがうまいシルフィスと違って、ガゼルにはどうでもいいと思えるような内容ばかりだ。けれどただで食べれる菓子付きだと思うと、悪くないかなと思った。ただ黙々とテーブルにあるものを平らげる。
 シルフィスはディアーナとなにやら楽しげに話しているようだ。
「あのさ……」
 そんな中にふと上がったメイの声。
 考えてみれば、それまでずっとメイは黙っていた。話好きな彼女にしては珍しい態度だ。そう気づいたシルフィスとディアーナは話を止めてメイを見た。ガゼルは構わず、次なるデザートへと手を伸ばす。
「思ったんだけど、シルフィスには名前で呼んでって言わないの?」
 メイの問いに、シルフィスとディアーナは目を合わせた。
「何の話ですか?」
 シルフィスは柔らかにそう問う。ディアーナは少し、ほんの一瞬だけ目を伏せた。しかしすぐにいつもの笑みを浮かべ、可愛らしく小首を傾げる。
「わたくしも、仲良しの方からは普通に名前で呼んで欲しいとお話していただけですわ」
 ニコリと微笑みながら告げられる言葉。その笑顔はいつもと変わらないように思える。しかしシルフィスは何かが気になった。
「くだらねえなぁ……」
 ボソリと横から漏れたガゼルの声に、ディアーナはムッとなって彼を見る。
「まぁ、くだらなくありませんわ。わたくしにとっては大切なことですの!」
「そうだったのですか……すみません……」
 戸惑いの色が見えるシルフィスの声を聞いて、ディアーナはハッと我に返った。慌てて口を押さえシルフィスを見る。少し困ったように微かな微笑みを浮かべるシルフィスは、女から見ても美しく思えた。
「……けれど……けれど、シルフィスはいいんですの。シルフィスは、違いますから……」
作品名:囚われの人 作家名:りあ