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囚われの人

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 震える声に、もどかしい程の言葉に、思わず歯がゆさを感じながらもメイは辛抱強く続きを待った。シルフィスもガゼルも、ただならぬディアーナの様子に、もどかしげに次の言葉を待つ。
「……シルフィスは、誰もに対して礼儀正しく、誰もに優しいんですの。……とってつけたような、壁を感じるようなものではないんですの……わたくしにあてつけるような、そんな態度ではないですもの。ですから……」
「ストーーップ!」
「……っ」
 目の前には、メイの手のひら。
 ディアーナはパチパチと大きな瞳を瞬いてメイを見た。立ち上がって、少しバツの悪そうな表情をしているメイが映る。
「もういいわ。ごめん」
 ただそれだけを告げると、メイはもう一度席に着いた。
「ひ、……あ、あのっ……」
「シルフィスは気にしなくて構いませんわ。今まで通りにお呼び下さいまし。……けれど、もし良かったら、たまにはわたくしをディアーナと呼んで下さいませね」
 ニッコリ、いつもの笑みがディアーナを包む。そこには、先ほど感じたような不自然なものは感じられなかった。
「はい」
 シルフィスがホッとしたように頷くとディアーナも微笑み返し、またその場に穏やかな空気が流れ始める。
 何処とはなしに視線を巡らせて、メイは肘をついて瞳を閉じた。
 (キールの言動だけが気になるってことでしょ? それって、明らかじゃない!)
 何もなかったかのように嬉しそうに微笑む親友を見つめながら、メイは眉間に皺を寄せて息を吐いた。
 (ディアーナは、分かってないんだ。気づいてないんだ)




 メイたちと別れて自室へと戻る途中。
 ディアーナは、浮かぶ言葉をしきりに否定する。

『やっぱりあんたはキールが好きなのよ』

 シルフィスとガゼルが去った後にもう一度、メイが告げた。
 キールが特別だから気になるのだと。意地になっているだけなのだと。

『だから、シルフィスは良くてもキールには名前で呼んで欲しいって思うのよ』

「違い……ますわ……」
 再び思い起こされた言葉に、ディアーナは唇を引き結んで、考えを振り切るかのように何度も首を振った。大廊下の大きな窓に映る自分の姿は、なんだかちっぽけに見える。
 と、ふと窓に映ったもう一つの姿に、驚くよりも先に背後から抱え込まれた。
「ひーめさん」
「きゃああああああ!!」
 ディアーナは甲高い声を上げると、その場に座り込む勢いで力が抜けるのを感じた。が、身体を支える腕によってそれは回避される。
「おっと、そんな大声上げてくれるなよ」
 頭上から聞こえる声に顔を真っ赤にさせて、ディアーナは勢い良くその人を睨み上げた。抗議の鋭い瞳はしかし、抱えられたままの情けないものなので、それは逆に笑いを誘うものとなったようだった。堪えることもしていない笑いに、ディアーナの怒りは更に加速する。
「シオンッ!!!!」
 誰もが可愛らしいと思う、けれど彼女にとってはずっと低い思われる声でもって怒りを表すと、筆頭宮廷魔術師は必死に笑いを堪えながら「悪い悪い」と繰り返した。
「あんまりにも姫さんがぼーっとしてるからさ」
「ぼーっとなんてしてませんわっっ!!!」
 慌てて言い返すと、シオンは片眉をつり上げて「へぇ」と呟いた。
 ディアーナは、この筆頭魔術師の、人を小馬鹿にしたような態度が好きではない。それを分かった上でわざとやるのだ、この男は。
「好きな男を想っている、妙な色香を感じたね」
「!」
 からかっている、彼は自分をからかっているのだ。
 その主張を一生懸命に繰り返す自分が、どこか心の奥底で告げているはずだった。けれどディアーナは、そんな必死の自分にはお構いなしに顔が真っ赤に染まるのを感じた。感情は止まらなかった。だから、「俺のことだろう?」などという言葉など聞こえておらず、
「ち、ち、違いますったら違いますわっっ!!! 絶っっ対に違いますわ!!」
 広い王宮内に響き渡るかのような大声を上げて、ディアーナははあはあと息を吐いた。さすがのシオンもこれには驚かされたようで、黙ってディアーナを見る。彼女のただならぬ様子に一瞬片眉を上げて顔色を窺った。
「わたくしはただ……ただ……っ」
 早口に言葉を言い募って、けれど続かない言葉にディアーナは唇を噛みしめる。頭の中は真っ白だ。
 ただ、ある男の姿だけが思い起こされて。
 慌ててブンブンと頭を振った。
 (わたくし、キールが特別なんかじゃありませんわ!)
 ――一瞬の後。
「そうだ、シオン!」
 ポンと胸の前で手を叩いて、それはそれは朗らかに笑ういつもの姫君がいた。
 顔を真っ赤にしてみたり怒ったように眉を顰めてみたり、何かに迷う姫はコロコロと表情を変える。そして今、笑顔の姫が目の前に存在していた。
「わたくしを名前で呼んでみてくださいまし!」
 情況がよく分からないなりに何となく事態は想像できて、シオンは笑い出したいのを必死に我慢する。
「どうした急に」
「いいから! 呼んでみてくださいまし!」
 なんだか妙に自信に溢れた表情をグイと寄せてディアーナは続ける。なんとも可愛らしくてシオンはとうとう吹き出した。
「まぁ! どうして笑うんですの?!」
 心外といったようにディアーナが大きな瞳を更に広げる。
 本当に、可愛らしい姫君だ。セイルのヤツも苦労するなと心の中でも笑ってやる。そして彼はディアーナの頭に軽く手を置いて彼女の耳に唇を寄せた。
「セイルがお呼びだぜ? ディアーナ」
 言って、ヒラリと身を翻す。
 ディアーナは名前を呼ばれた事よりも、内容に全ての神経を飛ばされて訳も分からず瞳を瞬いた。
「え?」
「お忍びがバレて殿下はお怒りだ」
 歩むことを止めないままに、シオンはそう告げた。
「そ、そんなあ!! ……シオン、助けてくれませんの!?」
 遠くなって行く背中に必死に助けを求めたが、シオンは軽く手を挙げて「俺が行っても何の役にも立たないだろ?」とだけ言い、角を曲がろうとする。
「待ってくださいな! シオン!!」
 ただがむしゃらに駆け寄って、手を伸ばして、ディアーナは懸命に縋った。
「お願いですわシオン、一緒に行ってくださいまし」
 一人きりより絶対にましなはずだと。ましてやこのシオンのことだから、気が向いて助け船を出してくれる可能性が大いにある。絶対に逃してはならないと、ディアーナはローブを握る手に力を込めた。
「一緒に、行ってくださいまし!」
 こうなってしまってはどうしようもない。ディアーナはなかなかに、頑固者なのだ。それにこの姫様に敵わないことは自分が一番よく分かっている。
 シオンは仕方なしに肩を竦めて見せると、ディアーナの背をぽんぽんと叩いた。
「はいはい、分かりましたよお姫様」
 彼独特の、真面目なのかふざけているのか分からない物言い。
 けれどディアーナはこの上なく安心して微笑んだ。


「今日もまた作法の先生がお前を捜していたぞ?」
 開口一番、冷たく言い放たれた言葉にディアーナは視線を彷徨わせることしかできなかった。目の前には怒りの形相でも麗しい皇太子が、冷たい瞳で自分を見下ろしている。目を合わさぬようにと、自然、視線を彷徨わせるしかない。
作品名:囚われの人 作家名:りあ