その人の名
「私、どうするつもりだったのかしら……」
その夜、多軌は一人布団の中で己の態度を省みていた。
彼が小蛇妖怪の言っていたナツメサマである可能性は高い。けれど確証はなにもない。もし、彼に事情を話している間にうっかり名前を呼んでしまったら。
「―――巻き込んでしまうわ」
ナツメサマかどうかも定かでない人を。
いや、ナツメサマだったとしても、なにも関係の無い人なのに。
そんなことを平気でしようとしていた自分が恥ずかしかった。
祟りを受けてから約十ヶ月。孤独の仲で独り戦ううちに、いつのまにか自分自身の心は病み、妖怪そのものに近づいていたのかもしれない。他人を思いやり大切にするという、当たり前の『人の心』を失い、誰彼構わず己の運命に引きずり込み、不条理に幸せを奪っても構わないと思うような、そんな恐ろしい心になっていたのかも。
多軌はギュッと拳を握った。心が決まった。
勝ち目は無くとも、最後まで『人』でいたい。それが自分に出来る精一杯の戦いだ。
そうだ、もう誰かを頼るのはやめよう。あの妖怪に食われるときが来たら、独り胸を張って立ち向かおう。愚かな行為の代償は自分ひとりの命で贖おう。
それでいいのだ。きっと。
「あんな幸せそうな人……巻き込んじゃ、だめ……だ、もの……」
決心したらすっと眠りに入れた。
何もかもが終わった、と思った。
だが。
多軌は知らない。
それから一ヶ月も経たぬうちに、結局彼女は彼の名を呼んでしまう。
そしてそこから運命は、大変な勢いで変わり始める。
さらに彼女は知ることになる。あの幸せそうな少年の胸には、彼女が味わったのと同じ悲しみ、苦しみがもっとたくさん刻まれていることを。そして、だからこそ彼は、苦しむものを放っておけないのだということを。
もうまもなくやってくるその日をまだ知らず、多軌はまだ暗闇の中にいる。
終