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I Remember You 1(Bunny Side)

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 その時、知ったのだ。自分がどんなに彼に恋焦がれているのか。虎徹なしでは生きていけないと思う程、彼を欲しているのかを。
「そっか、バニーちゃんは真面目だな」
 バーナビーの気持ちをちっとも察していない口調で、虎徹が言う。それでも分かる。彼はバーナビーの気持ちを尊重しているのだ。だから、むやみに辞めるなとは言わない。それが彼のやさしさなだった。
「僕、そろそろ帰ります」
「え、もう?」
 虎徹が、少し驚いたような声をだした。
 たしかに、夜とはいえ、まだ深夜という時間ではない。
「ええ、虎徹さん、明日の朝には出発でしょう?今日は早く休んだほうがいいですよ」
「お、おう、そうか。今日はありがとな、バニー」
「いえ、こちらこそ、ビールごちそうさまです」
 玄関まで、見送ってくれる。このドアを開けるのも、これで最後。
 ドアノブに手をかけると、虎徹から声をかけられた。
「元気でな、バニー」
 振り返ると、部屋の灯りを背に逆光の虎徹が微笑んでいた。少しだけ、寂しそうな顔。
 挨拶は、じゃあな、でも、また明日、でもなかった。
 もう会うことのない相手におくる、別れの言葉だ。
「・・・ええ、虎徹さんも、お元気で」
 バーナビーも、同じように返した。
 そうだ、もう会えないかもしれないんだ。本当に。この街を一緒に駆けることも、並んで歩くこともない。喧嘩をすることも、笑いかけてもらえることもない。
 彼にだけ許しているあだ名、バニー、と呼び掛けられるのは、これが最後なのだ。
「バニー?」
 ドアの前で、背を向けたまま立ちすくんだバーナビーに、虎徹が不思議そうに声をかける。
「どうした?バニ・・・」
 彼の言葉の最後は、バーナビーの唇に吸い取られた。
 顎に指を添えると、彼の自慢の髭が当たった。
 澄んだ琥珀色の瞳は、大きく見開かれている。その瞳を見るのが辛くて、バーナビーは目を閉じた。
 柔らかい唇を、自分の唇でそっと挟み込む。ビールの味がした。それから、虎徹の汗の匂い。抵抗されなかったのをいいことに、何度か角度を変えて吸った。
 突き飛ばされるかな、と思ったが、虎徹は固まったまま動かなかった。
 唇を離す。そのまますぐ背を向けた。虎徹の顔は、怖くて見れなかった。
「さよなら」
 やっとの思いでそれだけ言って、逃げるようにアパートを出た。

 虎徹の部屋から一気に階段を駆け下り、アパート前の通りまできて、ようやくバーナビーは立ち止まった。走ったせいで、息があがっている。階段の手摺りに捕まりながら、呼吸を整える。だが心臓の激しい動機は、走ったことだけが理由ではない。
 ・・・ああ、やっちゃったな。
 最後だと思うと、自分を制御できなかった。嫌われるかもしれないという恐怖は、もう二度とあうことはないという絶望で打ち消えた。
 虎徹は、今ごろどうしているだろう。びっくりしすぎて、まだ固まったままかもしれない。それとも、たちの悪いいたずらだと怒っているだろうか。気持ち悪いと思われているかもしれないと思うと、暗澹とした気持ちになった。だが、それが一番可能性が高いだろう。
 涙が一粒、足元に落ちた。
 ・・・なんて惨めなんだろう。
 ニックネームが『ハンサム』になるほど恵まれた容姿で、頭脳も身体能力も人並み以上で、誰からも羨望の対象だった自分が、唯一欲しいものは、今夜限りで永遠に手の届かないものになった。
 容姿、才能。そんなものは、幸せになるのに必ずしも必要ではない。
 人が人らしい幸せを感じるもの・・・家族や恋人や友人から無償の愛情を受け、また自分も与える。多くの人が当たり前に享受している幸せを、バーナビーは持っていない。
 あなただけだったんです、虎徹さん。
 俺だって、かわいい女の子を見つけて、夢中になれれば、その方がよかった。でも、なぜか心が痛いほど愛したのは、なんの因果かすっかりおじさんでお節介やきの、あなただったんです。
 バーナビーは階段の手摺りによりかかりながら、我が身の不幸を呪った。
 空を見上げても、ブロンズステージから星は見えない。シルバーステージが覆い隠している。
 諦められる、とバーナビーは自分に言い聞かせた。あのキスは、虎徹との思い出の、最後のプレゼントだ。虎徹に家族との新しい生活があるように、自分も新しい人生を歩まなくてはならないのだ。
 ふう、と息を吐くと、冷気で白くけぶった。
 眼鏡をはずし、涙を拭って歩き出した。
「バニー!」
 聞きなれた声がした。
 ・・・え?
 自分の願望が聞かせる幻聴かと一瞬思ったが、思わず振り返った。
「待てよ、バニー!」
 おじさんが一人、この寒空にシャツ一枚の格好のまま走ってくる。お世辞にもかっこいいと言い難いガニ股で、こけつまろびつ走ってくる姿は、遠めに見ても間違いなく虎徹だ。
 え?ええ?
 なぜ、虎徹さんが・・・?
 よく見ると、裸足に、虎徹が雪駄と呼んでいたサンダルを履いている。その雪駄がバタバタと騒がしいを足音を立てていた。
 まさか、俺を追ってきたのか・・・?
 茫然と立ち尽くすバーナビーに、やがて虎徹が追いついた。先ほどのバーナビーのように息を切らしている。
 自分の前で、膝に手をついて呼吸を整えている虎徹を見下ろしながら、バーナビーは驚きで真っ白になりかけた頭をフル回転させて、虎徹が自分を追ってきたわけを考えた。罵倒するためか、もしかしたら殴られるのかもしれない。それも仕方ない、それだけのことをしたのだから。
 それとも、真顔で『おまえ男が好きなのか?』と方向違いの心配をするかな。この人ならやりかねない。キスされたのは自分なのに。
 虎徹がひょいと顔を上げ、バーナビーを見てニヤッとした。
「バニーちゃん、目が赤いぜ?」
 ぱっと反射的に目許へ手をやった。指先がひんやりと冷たく感じるほど、目のあたりは熱い。
 泣いたのが分かったのかもしれないと思うと恥ずかしかった。
「虎徹さんこそ、どうしたんですか」
 出来るだけ落ち着いた声で言うんだ、バーナビー。
 殴るなら殴れ。罵るなら罵ればいい。その覚悟はできている。
 最悪の事態を想定し、心の準備をした。それでも、これで最後と思ったのに、もう一度虎徹の姿を見て、声を聞いていることが嬉しかった。
 できるだけ、目に焼き付けたい。この声を忘れたくない。
 虎徹はバーナビーの問いかけには答えず、うーん、と考え込んでいた。言葉を探しているようだ。
 殴るんじゃないのか?
「あー、あのな、」
 なにやら言い淀んでいる。ああいうことは女の子にするもんだぞ、とかなんとか言う気だろうか。
「あのさ・・・」
 ぽりぽりと鼻の頭を掻いて、視線を泳がせる。それから何かを思いついたように、バーナビーに人さし指を突きつけた。
「あのー、あれだ・・・ビール!」
「は?」
 目を丸くしたバーナビーを、ばつの悪そうな顔で見てから、目を逸らす。
「ビールがよ、まだたくさんあって、一人じゃ飲みきれねえから、その・・・もう少し飲んでいけよ、バニーちゃん」
 そんなことを言うために、そんな恰好で走ってきたのか?
 照れくさそうにしている虎徹を眺めて、バーナビーは突然思い至った。
 あんなことしたのに、嫌われなかったんだ・・・!
作品名:I Remember You 1(Bunny Side) 作家名:いせ