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加害者の手

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「見てるだけでもいいからさー、いいから来いって。ゼッテー笑えるぜ?」




耳を押し当てた携帯の向こうで、哂う声がした。
半笑いで悪趣味なイベントに誘う声が参加の有無を問いかけるものではなく“強制”なのは俺にもわかっていた。
コレに参加しなければ次はお前だという暗黙の脅迫。
恐怖で口の端がつり上がる。
せめて笑え。じゃないと足が震えて、指示された場所に行けなくなる。

( ……アホだよなあ。あいつも。 )

簡単に抜けられると思っていたのだろうか。どこまでも俺達を馬鹿にしてやがる。

( だからお前はイイ子ちゃんだっていうんだよ。荒北。)

スマートフォンの画面をインデックスからメール画面へ指を移動させる。
このふざけたタイトルがつけられたメールが送られてきたのはつい30分前のことだ。


『荒北靖友クン断髪式のお知らせ。』


語尾に付けられたハートマークの邪悪さが、余計にこれから行われることへの恐怖を際立たせていた。





<strong>『加害者の手』</strong>





高校の授業についていけなくなったのは、わりと入学してすぐのことだった。
愕然とした。そりゃ自分でも高望みの受験で、合格してからもある程度の厳しさは覚悟をしていたつもりだったが
こんなにも授業のスピードが速いものだとは思わなかった。
内容も予想していたよりも全然レベルが高くて、毎日授業についていくのに必死だった。
もちろん努力した。
毎日受験の時よりも机に齧りついて、遊びも食事も睡眠時間も削って。頭がおかしくなるくらいに。
でもさ、ある日突然、心の中でプツッと嫌な音を立てて切れちまったんだよ。
それまでの俺を繋いでいた何かが。
次の日からお決まりのダラダラコース。
授業もサボるようになった。
ぜーんぶ放りなげたら、似たようなヤツらが声をかけてきて、自然と一緒につるむようになった。
箱根学園に入学して以来、初めて劣等感無しに同い年の人間といて楽しいと思えた。
そして抜け出せなくなった。



「お。ナーイスターイミング!」


たまり場にしているダーツバーのドアを開けると、店内にはもう人だかりが出来ていた。
見知った顔もいれば、女連れの初めて見る顔のやつもいる。
元々空気のよくない場所だったが、今日は特に最悪だった。
客の誰もが、酒やケータイを片手にニヤニヤと笑っている。
これから行われる珍しいイベント事に、誰もが低俗な期待を寄せていた。

「おっせえよお前ー。時間ギリギリじゃん。一番最初ンとこが盛り上がるんだからさー」
「だいたいメンバー集まったかー?」
「ハーイ!こっちオッケーでーす!」
「こっちはもうちょいー」
「えー?いーからもう始めようぜー」
「そうだよー」

皆、思い思いに声を上げる。
店の照明は明るかったが、俺はその群集たちの顔を個々に直視するのが怖かった。
哂う声と哂う顔が恐ろしかった。
今夜の彼らの標的が自分でないことを、俺は心から安堵していた。


「じゃあ始めますか今回のメインイベント!」


カウンターでテキーラを飲んでいた一人の男が、店内のザワつを制するように張りの良い声を上げる。
このイベントの主催者だ。
そして、俺に誘いメールの送ってきた張本人だった。


「今夜限り夜遊びとバイクを卒業し、カタギ(笑)に戻りたいと仰る荒北靖友クンの記念すべき新たな門出を祝いましてェー、
 今宵、この場で荒北クンの断髪式を行いたいと思いまぁっす!」


オー!っと歓声が上がる。
主催者の宣言と同時に、店の奥から両腕を男の仲間に捕まれた一人の人間が運ばれてくる。
荒北靖友。
明らかに殴られた跡だと判る全身の傷と制服の白シャツについた血の鮮明さに俺はとっさに顔を逸らした。


「いーんだよねえ?荒北クン?」


主催者の男が荒北に尋ねる。
男に突然前髪を掴み上げられた荒北がどう答えたのかは知らない。
俺は全身の神経を店の床の汚れに集中させていた。


「……ハイ!男前の荒北クンから快く了解を得られましたー!みんな拍手!拍手ー!」


男は荒北の前髪から手を離すと、そのまま観客を煽るように大きく手を振り回す。
客もまた大きく歓声を上げ、無責任な拍手を男に送った。

恐い。

恐い。
恐い。
恐い。
恐い。
俺は、こんな風に剥き出しにされる暴力への歓喜の声がただただ恐ろしかった。


「じゃあハジメテはオレがもらっちゃおうかなー♪」


男が顔が床に触れるまで押さえつけられた荒北の髪を掴む
その間に電動バリカンが周りの仲間から男に手渡され、音を立てて稼動し始めた。
長いリーゼントが荒北の自慢だった。
バイクを乗ってても崩れなくて、毎日乱れ一つないよう髪を


「けーきにゅーとー。なんちゃってー!」


荒北の眼前でこれ見よがしにチラチラと漂っていたバリカンの刃は、男の声と同時に荒北の髪に押し当てられた。
異常に大きな音を立てるバリカンの稼動音。
ブツ、ブツブツブツブツッ!と断絶する音が耳の奥を這いずり回る。
店の床に落とされた髪の束はさながらギロチンから落ちた人間の首のようだった。


「マジでイった!」
「いやーざんこくー!」
「スッゲ!マジうける!写メ写メ!」


非日常に興奮した客が喜びの声を上げる。
ハラを抱えて笑う男。携帯のカメラを荒北に向ける女。
荒北を中心に周りを囲む有象無象の顔のない群集たち。
いつの間にこんな所まで来てしまったんだろう。
帰りたい。
ここから抜け出して、元の正常な日常に戻りたかった。


「オイ!――!!」


突然名指してきた男の罵声に、体が跳ね上がる。
持っていたギネスのビンを落とさなかったのが不思議なくらいだった。


「お前もヤるか?スッキリするぜ?」


手に持ったバリカンのスイッチをオンオフしながら男は言った。
もちろん俺には拒否権はない。
イベントの主役は別に荒北でなくてもいい。
拒否すれば場の中心に晒されるのは俺で、次に切り落とされるのは俺の髪。
主役の首は簡単にすげ変わるのだ。それがいま俺の存在が許された居場所のルール。
男が笑いながらバリカンを俺に向けた。
手の中で稼動し続けるバリカンのバイブレーション音が、禍々しくその異様な存在感を示す。


「………無理してそいつに従うことねェぞ。――。」


震える手で、男からバリカンを受け取る直前だった。
下から俺の名前を呼ぶ声がした。


「お前もさっさと抜け出しちまえ。こんなゴミクズみてーな場所からよ。」


荒北だった。
頭を強制的に刈られ、大勢の人間の前でその人間性を蹂躙されたばかりというのに、荒北の目には強い光が宿っていた。

そのとき 俺の体を一瞬で駆け巡った激情を、どう説明しよう。

しいて近い言葉で言い表すとすれば憎悪だった。
俺は唐突に。自分が、この荒北靖友のことを、どうしようもなく嫌悪していたことに気がついてしまったのだ。


( 思い出した )


前に荒北にどうして自分達と一緒にいるのか聞いた事があった。
荒北は飲んでいたベプシをゴミ箱に放り投げると、目を伏せながらこう言った。



「お前らと居ると、気が楽でさ。」


作品名:加害者の手 作家名:山梨