誰にもあげない
「……ああ」
「窓から空がよく見えるのね、この部屋」
そうシェリルが言うと、アルトが笑って答えた。
「それが理由で、ここを選んだくらいだからな」
「あんたらしいわ」
シェリルはテーブルの上に広げられた勉強道具と、書き込みいっぱいのコピー用紙の束をバッグに詰めた。
「じゃああたし、そろそろ帰るわ。今日はありがとう。おかげで勉強もはかどったわ」
そう言って玄関に向かい、靴を履いていると、アルトが追いかけてくる。
「送っていくから」
「え、いいわよ。あんただって明日テストじゃない、まだ勉強あるでしょ」
「こんな時間に、夜道を女ひとりで歩かせられるか」
そんな些細なひとことに、どきっとする。きっとこれくらいのこと、彼は誰にでも言うに決まってるのに。
「ほら、行くぞ」
玄関先で思わず立ち止まってしまったシェリルに、先に歩き出したアルトが、振り返って言う。
「……ん」
アルトのあとを追いかけながら、シェリルは思った。あの子なら、自然に、待って、と言いながら彼の手をぎゅっと握れるのかしら、と。
一歩先を歩くアルトの、ゆれる手をじっと見つめて、どきどきしながら、手を出して掴まえかけて。けれど結局その手を握ることはできずに手を引っ込めた。それでもどうしてだか満足して、シェリルは、ふふ、と笑った。
「どうした? シェリル」
「んー、なんでもなーい」
キスをした瞬間を、思い出すだけで、心臓がこわれそうになる。
シェリルは、アルトの意外にも広い背中を見つめながら、思った。
誰のものにも、ならないでいて。
いつか、あたしがその手を、躊躇わず握れるようになる日まで。