比翼連理 〜外伝〜
颯爽と吹く夜風が輝く黄金の髪を悪戯に過ぎていく。
欲望渦巻く世界を透明な黄金色の双眸で静かに見下ろした。
片翼の存在を確かに感じながら、そっと瞳を伏せる。仄かに額の六芒星の印が発光すると同時に神聖な輝きを放つ光の輪が一本現れた。それはヒュプノスを軽く包みこむ大きさで、ゆっくりと回転しながら一本から二本へ、二本から三本へと分裂し、それぞれが違う秩序のもとに回転を始めた。
最終的に六本の輪に包まれながらヒュプノスはその中心にて両手を大きく掲げる。生まれた旋風に黄金の髪を舞わせながら、目蓋を静かに押し上げ、黄金の瞳が輝いた。
緩やかに誘う眠り。
強引に引きずり込む眠り。
浅い眠り。
深い眠り。
貪るような眠り。
そして、死へと誘う永遠の眠りの輪が急速に広がり、稚拙な結界を破って辺り一帯を包み込む。
「さあ、準備は整った。おまえの出番だ―――」
うっすらと笑みを浮かべながら闇から出でる鼓動に耳を傾ける。永遠の休息を与える片翼の存在。
妙なる鼓動の調を全身で聴きながら、主君の宿敵である女神と聖闘士たちの命の灯火が消えゆく瞬間を見つめる。
闇の世界に続く扉へと輝く魂たちを誘うかのように夜風が一段と強く吹きつけた。
―――美しき闇の主が彼方の楽園でそっと睫を伏せ、微笑んでいる。
強き女神の聖闘士たちの魂は貴方の力の糧となり、貴方の闇を満たしていくことでしょう。
純粋なる闇から組成された主の美しさは喩えようのないもの。貴方の闇は極上。その闇を糧として喰らう私たち。
利害は一致していた。
とこしえの闇に抱かれる悦びは筆舌に尽くし難く。
あの日、あの時、あの瞬間の出逢いとともに未来永劫の契りを結んだことを一度たりとて後悔することはない。たとえ、それが『征服』という契りであったとしても。
「戻るぞ、タナトス」
穢れし人間たちでも、その魂はかくも美しい輝きを放つのか。とこしえの闇に輝く魂たちを導く。流れる次元の景色を経て降り立った楽園。諸手を広げて迎え入れる闇の優しきことよ。
しかし、悠久の楽園には美しき主の姿はなく......。
「不満たっぷりといった顔だな?ヒュプノス」
「......黙るがよい」
ふんと鼻で笑いながらさらなる苛立ちを誘うように囁く。
「ハーデスさまのお心は永遠におまえのものにはならぬ」
「黙れ、タナトス」
「首尾よく"アレ"を滅したはずなのに、今もなおハーデスさまのお心を捉えて離さぬとはな?口惜しい限りであろう。クククッ」
「―――おまえとて同じであろう?心のどこかであの破滅的な強い力に心惹かれていた。いや、飢えていたといってもいいだろう。そして恐れたのではないのか?だから、おまえはあの女の甘言に耳を傾けた......違うか?」
不愉快そうに眉を顰めたタナトスは小さく舌打ちしたが、その後ニイッと口端を上げ嘲笑する。
「おまえがどう思おうと、感じようと一向に構わぬが。俺は俺の望む結果を得た。だが、おまえは?おまえが望む結果を得るためにこれからどう動くかがとても楽しみだよ......まぁ、せいぜい頑張ることだな」
「.........」
花々を散らしながら立ち去っていくタナトスに褪めた黄金色の瞳を差し向けながら、ヒュプノスは主の姿を求めて飛び立った。
―――涸れた大地。
―――音の無い色褪せた世界。
いや、来る春に備えて静かに眠っているだけなのかもしれぬ。ただし、それはいつ訪れるともわからぬ時。永劫の眠りに近いといえる。
静かに降り立ったその場所はかつて色とりどりの花に満ちた美しい花園であった。エリシオンにはない生の輝きに満ちた場所。今はただ、静寂だけが満たされている。
「ハーデスさま......」
朽ちかけた神殿の奥に向かって声をかける。返答はない。だが、微かに変化した気の流れに主の存在を確かに感じ取る。
「ヒュプノス、地上より戻って参りました」
傅き頭を垂れて主が姿を現すのを待つ。どれだけの時刻が流れすぎていったのか。
ようやく扉の奥から溢れ出た闇が周囲を色濃く染めたとき、静かに主が姿を現した。すっと顔を上げ、主の姿を見る。
世界中の哀しみを閉じ込めたかのような瞳は遠く彼方を見つめていた。
「......エリシオンに戻る」
短く言い放った主はヒュプノスに冷ややかな視線を送るとすうっと闇の中へ溶け込んでいく。思わず、ヒュプノスは手を伸ばした。容赦ない冷たい闇を焦がれるかのように。
だが、その冷たい闇に差し伸べた手は届くことも叶わぬまま空を彷徨った。主の闇はより冷たく凍え、色濃き芳醇さを増していた。
―――出来は上々。
口元を緩め、目を細めるとヒュプノスは歌うように囁いた。
「歓喜の光りは失われ、狂喜の闇が私を満たす。私が望むのはただひとつ......」
―――純粋なる闇。
凍え、鋭く尖った闇の腕に抱かれ、喰らいつくすことだけがたったひとつの望み。そして。
「あなたには極上の眠りを捧げましょう......」
その瞬間はもうじき訪れる――。
涸れた大地に密やかな笑みが零れ落ちた。
Fin.