比翼連理=Fobidden Fruit=
「―――それは可哀想だができぬ」
「なぜ?」
「おまえは地上からの大切な預かりものでもある。何か事が起きては再び......聖戦、ということも有り得る話。それはおまえの望むことではあるまい?余の宝に手を出す不届きな輩は三巨頭が目を光らせているとはいえ、不測の事態が起きぬとは限らぬ」
「私を脅迫するとは。相も変わらずだな。それはおまえの不徳の致すところではないのか?」
キッと睨みつけるシャカを他愛もないように受け流しながら、流れる髪を一房掬い取ると指に巻きつけて玩んだ。癖のない真っ直ぐな髪は絡められてはするりと滑る。
「手厳しいことをいう......フ。万が一にでもそのようなことになれば、この冥界も地上も全てを破壊する。荒ぶる心のままに、狂う心のままに......な」
髪を玩んでいた指がすっとシャカの頬を撫でる。まっすぐに見下ろされる瞳は温かくも冷たくもあった。
実際、この男はそれに近いことをやってきたのだ。その言葉が冗談だとは思えない。
ただひとりの者を想い、狂気のままに求め続けた冥界の王。
憎しみと悲しみの果てにようやく結ばれた魂たち。
己はその架け橋として存在する意義があるのだろうと思う。もしも、己の内にある存在が消えた時、この男は再び狂うのかもしれない。
あの眩いばかりの光の中、抱き締めあうふたつの魂を見た。近くて遠い意識の彼方で睦み合う心たちをまどろむ夢の中で。
そこには「己」の意思は介在しなかった。だが、今は違う。パンドラに言ったように奥深いところではその存在を感じてはいるが、日を追うごとに強くなる「シャカ」という本来の自我。そう遠くない未来に彼の意思は消えるのだろうと予感している。
暗澹たる想いが沸き起こった。
「―――またそのような愚かなことを」
「余は本気だ」
そう明言するハーデスの言葉に、心の奥が僅かに軋みをあげた。
螺旋を描き絡まるふたつの想いに身を締め付けられるかのようだった。こんな想いをずっとハーデスもペルセフォネも抱き続けてきたのだろうかと思うと、より心が曇る。
「ハーデス。私は人であることを願った。神ではなく、人であることを。おまえにとって大切な魂も力も存在するが、それでもいつかは消える時が来る。それは悠久ともいえる時を過ごす神々にとっては瞬く間であろう。もし、その時が来ても狂ってはならぬ。再び闇に囚われてはならぬ。おまえが彼の光を望み、救おうとしたように、光もまたそれを望んでいるのだから...」
限りあるからこそ、命は煌めくのだ。人間である限り、己にもいつかは終焉の時が来る。
奇蹟の力でもって再びの生を得たとしても、それは今の時を過ごすため。そして、未来へと希望を託すため。
「―――辛辣よな。それは聖闘士としての使命感か?」
冷たく眇められた瞳を受け止めたシャカは眉を顰め、叫びだしそうになる心を必死に押し留めると、長い睫毛を震わしながら瞳を閉じた。ハーデスの瞳を直視するのは拷問にも等しかった。感情を押し殺した声を無機質に響かせる。
「聖闘士としての使命感か......それだけであれば、どれだけ気楽であろうな。すまぬ......気分が優れない。しばらく休ませて欲しい」
すっと顔を背け、ハーデスの身体を押しやると、ハーデスもまた、なんの抵抗もなくそのままシャカから離れた。
「―――また様子を見に来る」
ハーデスはそう呟いた後、すっと気配を絶った。シャカは塞ぎがちになる気だるい心のままに溜息とともに言葉を漏らした。
「なかなかに......難しい...ものだ......」
惑いの大海原にひとり身を投げ出されたような、鬱蒼と茂る樹海に取り残されたような、心許なさとも寂しさともいえぬ想いに包まれる。久しく、感じたことのなかった胸を締め上げる想いに、シャカは横を向くと膝を抱え込むようにして背を丸めた。
作品名:比翼連理=Fobidden Fruit= 作家名:千珠