比翼連理=Fobidden Fruit=
3.禁断の果実
「ハーデスさま?」
爪弾く指を止め、パンドラは不意に現われたハーデスに顔を向けた。
「―――よい、続けよ」
手で合図をしながら、近くのソファーに身を沈めたハーデスはそのまま瞳を閉じるとパンドラのハープの音色に耳を傾けた。優雅な調が透明な旋律をもって空間を満たし、ハーデスの心を満たした頃、パンドラが最後の弦を掻き鳴らした。
しばしの余韻に浸っていたハーデスは閉じていた瞳を開くと、ようやく口をついた。
「......再会したばかりだというのに、なぜ別れの時のことを口にするのか余にはわからぬ」
伏せ目がちに長い指先を見つめ、爪先をはじくように玩びながら沈む声音で語るハーデスに、パンドラは僅かに首を傾げると穏やかな瞳を差し向けた。
「ご不興の原因は然様でございましたか......無粋といえば無粋でございますね」
クスッと、小さくパンドラは微笑を浮かべる。このように拗ねたような表情を浮かべるハーデスの姿など、初めて見た驚きもあったが、それ以上に結局は神といえど、ひとりの男なのだと思うと愛らしいものだと思ったのだ。
「どのような会話の流れで、そのようなお話になったので?」
爪先を弄りながら脚を組みなおした冥王は、ほんの少し考えた末、疲れたように話し出す。
「確か―――ニュサに連れて行けと言われたのだが、今は無理だと答えて。シャカは......ならば余が傍にいればそれでいいからと...そこまではよかったのだが。何故か、あやつは怒りだしたのだ。結界が強すぎるので弱めろと言われた」
「それで、ハーデス様はなんとお答えになられたのです?」
「それはできぬと。おまえの身の安全のために必要だとな。不測の事態が起きてからでは遅い。そこから...段々とおかしな具合になったのだ。万一のことがあったら、余は正気ではおられぬだろうという話になった。シャカは、自分は人間なのだから、いつかはいなくなる時が来るのだと...正気を保てと。そして、気分が優れぬから...ひとりにして欲しいと言われたのだ」
「他には何か...仰られなかったのですか?」
うん...と、そこでもう一度考え込んだ冥王は「そういえば」と続けた。
「―――聖闘士の使命感でそのようなことを言うのかと聞いた」
「彼はそれで?」
「そうであればどれだけ楽かと...パンドラ、余はどうやら......考え違いを仕出かしたようだ」
苦笑を浮かべる冥王に向かってパンドラはにっこりと笑んで返した。
「ハーデスさまのお優しい御心をあの者も感じているのでしょう。それゆえにハーデスさまが御心をお痛めになられるのを危惧しているのだと思います。ハーデスさまのことを慮ってのこと。きっと寂しゅう思うていることでしょう。どうぞ、あの者のお傍に在られませ」
「......そうだな」
組んでいた脚を下ろし、立ち上がった冥王は耳を澄ますかのように瞳を閉じると闇へと溶け込んでいった。
密やかに目元を緩めたパンドラは静かにピンと張られた弦へと指を伸ばし、淡い月光が零れ落ちるような静かな音色を闇の静寂に一滴、また一滴と奏でた。
「―――人の想い...神の想い...絡まり、縺れ、断ち切られ......ふたたび、紡がれし。妾は願う......想いの糸よ、固く結ばれんことを......」
作品名:比翼連理=Fobidden Fruit= 作家名:千珠