比翼連理 〜 緋天滄溟 〜
11. 狂音
「いつまで待たされるのでしょうか?色々と急ぐのですけれど……ミーノスさん?」
あくまでも穏やかな微笑を口元に浮かべながら、テーブルの上にあるカップを満たすとっくに冷めてしまった琥珀色の液体を見つめ、半ば呆れたようにムウは口をついた。
「ミーノスさん……ですか」
そう答えた男は口につけたカップを空中に止め、半笑いを浮かべて見せた。内心で何を考えているのか読めない人物である。
「何か?」
「いいえ。そのように私を呼ぶものがいなかったからでしょう……ただ少し面食らっただけですよ。大抵は呼び捨て、もしくは様付けで呼ばれるものですから、ムウさん」
こっくんと喉仏を鳴らし、飲み干すと再び半笑いを浮かべていた。
「なるほど。確かに面食らいますね」
同じように返され、違和感を覚えたムウは苦笑した。正直、嘔気さえ催しそうになる。表面上は和睦をしたとしても、根本的なところでは所詮彼らを“敵”として認識しているのかもしれない。
そう考えるとシャカの今の立場に同情を覚えた。たとえ客人として丁重にもてなされていたとしても、敵に包囲された状態での日々を過ごしているのだろうから。
(ゾっとしない……な)
いくら精神の強い彼であっても、心休める時もなく、常時感じる重圧にさぞかしストレスを感じていることだろうと薄ら寒さをムウは覚えた。
「―――それから。そう急いては事を仕損じますよ?退屈ならば、あや取りなどいかがです?」
ミーノスは薄い唇を僅かに吊り上げて返す。謎めいた雰囲気に包まれた冥闘士らしからぬ提案に腹立たしさを通り越して呆れた。
「あや取り……ですか」
「単純な遊びですが、なかなかどうして知恵比べともいえましょう。結構面白いモノですよ?こうして互いの仏頂面を拝んでいても仕方がないでしょうし、退屈しのぎには丁度よいと思いますが」
どこからともなく取り出した絹糸を巧みに指で絡めとり、見事な造形物を描き出していくミーノスに大した感動も覚えなかったムウはひとつ盛大に溜息をついた。
「せっかくのご提案ですが、大の男同士でそのようなものは……些か不気味に思えますので申し訳ありませんがお断りいたします」
「―――つれない方だ。ではお茶を淹れなおさせましょうか。すっかり冷めてしまったようですし」
「いえ、結構です。せっかく淹れなおして頂いても、私の口には合いませんでしょうから」
「それは残念なこと限りない。だが、確かに野卑なる者に最高級の味を堪能しろといっても所詮分かりえぬものでしょうから、無理強いは致しませんよ」
寒々しいまでの気配を放ちながらミーノスは沈黙すると、長い前髪の奥で炯眼をムウに定めてみせた。
すると今まではさして気にも留めていなかった無数に設置された時計の秒針たちが奏でる耳障りな不協和音が沈黙の間を支配した。それは決して気分を落ち着かせるものではなく、苛立ちを増幅させるものでしかなった。
一秒一秒が小さな隙間から無意味に零れ落ちていく。
それが明確に指し示されているかのよう。
―――まるで時の支配者にでもこの男はなったつもりだろうか。
ゆったりと寛ぐミーノスの姿はそんな疑念さえ沸き起こらせた。すると、まるでムウの考えていることさえも見透かしたようにうっすらと笑みを浮かべてみせた色素の薄い麗人……いや、物の怪と称したほうが良いかもしれない男はようやく口を開いた。
「さて。どうやら君への処遇が決定したようです」
「処遇?」
「ええ。アテナの聖闘士よ。アリエスのムウ、よくお聞きなさい。このまま君は大人しく冥界を去ると宜しいでしょう」
ゆっくりと長い手足を舞うように伸ばし、立ち上がった男は漂う微粒子を吸い寄せるかのように小宇宙を高めていく。まるで今から演奏を導き出そうとするマエストロのように腕を広げて。
ムウは座ったまま見上げるようにその優雅ともいえる冥闘士を鋭い眼差しで射抜くと強い意志を伝えた。
「否―――といえば?」
「実践的あや取りでもいかがか?……ククッ」
「それならば、ぜひお相手仕りましょうか」
そういえばサガに『礼儀を弁えた行動をとるように』と念押しされていたな……とムウは思いながらも「一応礼儀は弁えましたからね」そう微かにムウは呟くと優雅な笑みを浮かべたのだった。
作品名:比翼連理 〜 緋天滄溟 〜 作家名:千珠