君の宝物
ある国の、あるお姫様の話。
ウォルターは『へえ』と小さく声を漏らした。
狙った通りに、ようやく相手の口を開かせることができたので気分が良い。
もっとも、無口な相手はそのまま続きを訊かなければそこで口を閉じてしまいそうだったが。
せっかく部屋を訪れてから数十分、ようやく開かせた口だ。
いや、少しくらいは……挨拶と会いに来た理由くらいは……話したが、どれも短く終わってしまった。
なにしろ会いに来た理由……遊びに来た……を聞くなり、部屋の主であるアンディは、『本を読んでるから』とウォルターを追い出そうとしたくらいなのだ。
アンディが読んでいたのは、少し古びたワイン色の表紙の薄い本で、ウォルターが読めるのだろうかと気になるほど細かい字がびっしりと並んでいるものだった。
なんとか部屋にいる許可を得て数十分。
ベッドに寝そべってただひたすらページをめくるアンディ。
そのベッドにもたれるようにして床に座って必死にアンディに話しかけるウォルター。
同じ仕事仲間の噂話から今日の天気にいたるまで、思いつく限りを話題にするが、ことごとく無視。
いや、無視というほどではないにしても、『ああ』だの『うん』だの気のない返事。
しまいには『うるさい』ときた。
……つまらない。本当にアンディつれない。
アンディをかまいたくて来たウォルターは苛立ち、それも通りこして、空しくてなんだか笑えるほどだった。
そんなウォルターがようやくアンディの口を開かせることに成功したのが、『その本について』だった。
「モニカがいい本だから読んでみてほしいって」
「へえ、モニカ秘書官が? それ、なんの小説? 恋愛?」
「……童話」
この会話の後、また黙ってしまったアンディの口を、一生懸命の『興味あります』アピールで開かせたのだ。
「それってどんな話? どんな童話? テーマとかさ。……おい、何か言えよ、アンディー」
……ちょっとくらい『うざい』と思われようが、おしゃべりがしたくて来たんだから。
「ある国の、あるお姫様の話」
「へえ」
直前に漏れたアンディのため息が気になったが、とにかく話してくれる気になったようだ。
ウォルターは上機嫌でニマニマしながら続きを促した。
「それってどんなお姫様?」
「どんな、って……」
アンディが困った様子で顔を上げてウォルターを見る。
ますますいい、とウォルターは思う。
「じゃあさ、どんな国? あるだろ、なんか。いい国だとか、貧しい国だとか」
ハァ……とアンディが目を閉じて今度こそ大きなため息を吐いた。
『しまったかな、うるさくしすぎたか』とウォルターがビクッとして様子を見守っていると、アンディは本をパタンと閉じて、ベッドの上でウォルターを見下ろすようにして座った。
ベッドに背中を預けていたウォルターも首をねじ曲げてアンディを見上げるのをやめて、アンディと向かい合うように座り直す。こちらは床の上なので見上げる形に変わりないが。
どうやら会話の相手をする気になったらしい。
アンディは、ひざの上に本を置いて、そこに目を落として、小さく口を開く。
「どんな国って……豊かな国さ。戦争もなくて、平和な国。ただ、お妃様が意地悪なんだ」
「ほーお。お姫様に対して?」
「うん。よくある話だよ。後妻で、前のお妃様の娘であるお姫様のことを嫌ってる」
「ふうん」
なるほど、確かに童話ではよくある話だ。ウォルターはうなずく。
そのわりにはアンディが夢中になって読んでいたように見えたが。
……そう、本に夢中になっていることを知っていて、会話の相手をさせようとしていたのはウォルターのわがまま。
「それで?」
尋ねると、なんだか浮かぬ顔で本の表紙を見つめていたアンディが『ん?』と顔を上げる。
「……ああ。それでお姫様は旅に出る」
「旅に? えらく急だな」
「ああ、いや、お妃様に追い出される……のかな」
少しもどかしげに眉をひそめて言ったアンディの目がさまよう。
首を傾げてしばらく考えるようにしてからまた口を開いた。
「お姫様は継母のお妃様に憎まれて色々と意地悪されるんだけど、それに耐える。やさしい実の父である王様はそれに気づかない。気付かないようにお妃様は意地悪するんだ。そしてある日、お妃様の誕生日に、お姫様は世界にたったひとつしかない宝物を探してくるように頼まれる。もちろん、お妃様にね。それで、それを探しに国を出ることになるんだ。それであちこちを旅するんだよ。そういう話」
「……なんだそれ」
ウォルターは『ううーん』と腕を組んでアンディの話した内容を頭で整理する。
「……なんでそれで国を出なきゃいけないわけ? 世界にたったひとつしかない宝物とやらがその国にないから?」
「それもあるだろうけど、国の物でお妃様の手に入らない物はひとつもないでしょ。お妃様の手に入らないめずらしい物が欲しいっていう願いなんだ」
「何そのわがまま女」
自分もたいがいだけれども。
「だから……性格の悪いお妃様なんだってば」
アンディが少し疲れた様子で言う。
そう言えば、コイツがこんなにしゃべることはあまりない。
ウォルターはそこについて掘り下げることを諦めた。
「へえー。そんなんで、お姫様は旅に出るのか」
「だまされたんだよ」
アンディがさらりと言う。
「お妃様は本当はお姫様を国から追い出したかっただけ」
後ろに手をついてのけぞるようにして、顔をうつむけて、ぽつりぽつりと静かな口調で話す。
「やさしい王様が実の娘を追い出すの承知するはずがないから、無茶ぶりしたんでしょ。 何を持って帰ってもお妃様に認めてもらえるはずがないから、お姫様はえんえんと世界にたったひとつしかない宝物なんてありえない物を探して世界中をさまよってるんだよ。……バカな話」
最後は微かに苛立ちをこめて吐く。
手を本の上に戻し、背中を丸めて、唇を噛んで黙り込んだアンディ。
ウォルターは後ろ頭をぽりぽりと掻いて、苦い笑みを口元に浮かべて言う。
「……かわいそうなお姫様なんだな」
「そう? バカだと思うけど」
パッとウォルターを見たアンディの目はすっと細められている。
口調もキツく、激しい。
「早く出ていけばよかったんだ。疎まれて、嫌がらせされて、追い出されるまでしがみついてないでさ」
「アンディ、おまえ……」
口をとがらして言うアンディに、ウォルターはきょとんとして、それから大きく苦笑した。
……お姫様に憤っているなんて。言うことは強者故の厳しい言葉かもしれないが、ちゃんと何かしらの感情を抱いているんだ。そういう気持ちを感じているのだ、アンディだって。
……そう、アンディは強い。
だが。
『なんだかなぁ……』とウォルターはそう思う自分に困惑に近い気持ちを抱いて、そのままにしておけず、あえて口に出した。