遺失物管理局【親政】
交代制で勤務している所為で時間の感覚なぞ随分と前に薄れてしまったが、こんなに動かない程に眠る奴は初めて見るかもしれないと覗き込むと其処で初めて拾ってきたものの顔を見た気がする。
室内の薄明かりの下でも青く艶めいている気がする黒髪や、それとは正反対に白い肌を隠すように着込んだ黒服。細身のジーパンが似合うとは個人の意見だが、痩身のくせに筋肉質めいた体は何でも着こなすだろうと不意に思わせるものを感じた。
何をジロジロ見てるのさ?この場にあの赤髪の男が居ればそう言われるだろうが、定時の報告と引き継ぎ業務を終えた彼は今頃一人寂しくベッドの中だ。でなくば、件の『紅蓮の君』の家にでも足繁く向かっているか。髪を乱す程に何を悩むかは聞いていなかったが、聞けば惚気に似た話なのだから態々話し出す機会なんて作り出すつもりはなかった。
「そーいや布団があったな」
数日前の遺失物のそれは、使い込まれたダッチワイフを包んでいたものではあったが中々に高級品だったと思い出しロッカーへと歩き出す。軽くて通気性もある暖かい羽毛布団なのに持ち主は見つかってはいなかったのが勿体無い。バザーに持っていけば早々に売れるだろう、包んでいた中身とは違って新品同様の目玉商品だと言うのに。
コンクリートの灰色の上に横たわっている姿は異質な筈なのに、拾ってきた場所の印象が強かった所為か酷く似合っていた。前髪が長くて顔の造詣の半分を覆い隠してしまっているが、見える限りは閉じた瞼と通った鼻筋に薄い唇が整っていると言っても相違ない。拾い物には福がある、と誰かも言っていたじゃないかなんて言葉は独り言だ。
腹が減ったら飯を食い、眠くなったらテキトーに仮眠を入れる。時折気紛れでやってくる窓口担当の奴が箱いっぱいにした遺失物をロッカーに入れて書類を纏めてればそれなりに時間は経つし、地下の所為で電波の立たない携帯を持たない代わりに拝借した通信電話は海外だろうが海中だろうが話せる最新式でそれなりに暇潰しになる。何に使っているかは言わないけれど。今だって電話越しの甲高い声にお世話になろうかと手を伸ばしていたが、如何せん普段と違う空間と言うのは落ち着かないらしい。それが動かないものでもだ。
「名前は何だ?」
縁取るように整った睫毛が震える気配は無く、重く閉ざされた瞼にツイと触れてみる。指先のそれでは体温があるかどうかも判らない。
「齢は?」
声の想像さえ出来ない、横一文字に引き結んだ唇の端へと指先を伸ばす。張り付いて固まった血の塊が付着しているのに薄い唇は綺麗だ。
「何であんな所に」
棄てられていた?
そうと訊ねるのは職業病だと胸中で追わせながら、顎のラインを辿れば存外に心地の良い肌触りに喉が鳴る。下世話な事だ。存外に潔癖症な同僚が、遺失物に紛れて拾われてくるピンクなチラシをマメに棄ててくれるおかげでご無沙汰なんだと誰に言うでもなく胸中で言い訳を重ねた。
見下ろした白い顔は、名前も年齢も職業も趣味も嗜好も判らない、人の形をした遺失物だ。
「なぁ、知ってるか?」
持ち主が現れない時は、拾った奴のものになるんだぜ。
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「お疲れ、チカちゃん。」
ヒラリと手を振った赤髪の男に慣れた渾名で人を呼称されれば、特に荷物も無い体一つの帰り支度を始めに立ち上がる。パイプ椅子を片付けてしまえば本当に殺風景になる室内に、けれど今更浮かぶ感慨がある程の付き合いでも無い互いに言葉はない。そうそう、と思い出したように声を上げられなければ無言で別れる事も多々あった。
機密文書とも呼ぶべき書類は持ち出し禁止の代物で、器用に丸めたその束を肩へと乗せながら書類の為の棚へと向ける足は酷く緩慢だ。
妙に開いた言葉の間を探るには丁度良いが、どうもイメージが沸かない。なら理由は何だと言われたらきっと、喉まで出掛かっているのに思い出せなくて足掻いているんじゃないかなんて人間らしい仕草を推奨してみるだろう。さて、その現象を何と言うかは…やはり思い出せそうで思い出せないが。
「昨日、窓口のコが持って来た物の中に入ってた眼帯。なんか血みたいなのが付いてたから警察に回さなきゃいけないんだって。最近の連続殺人の関係者かも、ね?」
嗚呼そんなもののニュースが最近騒がれているな、と随分と疎くなってしまった世情を思いながら「へぇ」と背中越しに返せばそれ以上の反応を望んでも居なかったらしい同僚が繰り返すように「お疲れ」を告げる。身一つに拾い物を担いで仕事場に来た数十時間前と同じ、身一つに落し物を担いで仕事場を後にする背へヒラヒラと掌が翻っているのが判った。
さて、おやつの時間に眠りに落ちた奴は甘い夢を見ると聞くが、何処に行けばその夢が落ちているだろうか。
< 了 >
作品名:遺失物管理局【親政】 作家名:シント