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Quid pro quo

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Quid pro quo

 「──何をしていた」

 足を引きずるようにして帰ってきたドアの前で、闖入者と鉢合わせした。
 十二宮から遠く離れた、聖域外れの粗末な小屋。
 家財と言えば、テーブルと椅子と簡素なベッドだけで、鍵も必要ない。
 室内は薄暗かったが、元々目を閉じているシャカにしてみれば別段どうと言うことはないのだろう。
 アイオリアはテーブルの上に置かれた、パンや果物の入った籠や毛布に目にやると、皮肉に唇を歪めた。

 「ふん。神に近い男が、わざわざ慈悲をかけにきた訳か」
 「食事が足りていないようだと、ミロ達が言っていた。寝具も充分ではないと」
 「あいつら、余計なことを……」

 先日追い返した僚友達の痛ましげな顔を思い浮かべ、舌打ちする。
 聖域を震撼させたあの事件より八年。
 未だ獅子宮に戻ることを許されぬアイオリアの生活は、至高の存在と崇められる黄金聖闘士のものとはかけ離れたままだった。
 体術で圧倒するようになってからは、雑兵達からの暴力による嫌がらせは減ったが、食料や日用品の配給は今でも当番兵の気紛れによって左右されている。
 何よりその質も量も、成長期の少年に相応しいものではなかった。
 もっともアイオリアにとっては、過酷な日常そのものよりも、それをかつての仲間に知られることの方が余程屈辱的だったのだが。

 「……で、実際に覗いて見てどうだ?逆賊の弟の暮らしぶりは」
 「…………」
 「こんな泥を啜るような生活、十二宮じゃ想像もつかないだろうな」
 「…………」
 「お前に判るか。夜も眠れないほどひもじいというのが、どれほど惨めなことなのか」
 「──餓えならば知っている」

 八つ当たりにも似たアイオリアの罵声にも、シャカはたじろがなかった。

 「聖域に来る前は、私も路上でそういう暮らしをしていた」
 「……っ!」

 
 『──あの子に優しくしてやりなさい。酷く辛い生活を送ってきたのだから』

 不意に、「あの男」の言葉が耳に甦る。
 それに対して『うん、兄さん!』と答える、幼い自分の無邪気な声も。
 光に満ちた日々が、ずっと続くと信じていたあの頃──

 「──だったら……」

 記憶の中から永遠に消し去りたいと願いつつも、鏡を見るたびに否応なしに呼び起こされる面影。
 突き付けられる、逃れようもない血の絆。
 それらを振り払うように、アイオリアはシャカの手首を掴み上げた。

 「そんな憐れむような顔で俺を見るな」
 「憐れんでなどいない。君の境遇を貶めているのは、他ならぬ君自身ではないかね」
 「何だと……」
 「アイオロスの存在を否定しながら、逆賊の弟と自らを蔑む。それが欺瞞でなくて何なのだ──」

 シャカは皆まで言い終えることが出来なかった。
 力まかせに殴りつけられ、華奢な体は後ろに吹っ飛んだ。
 床に転がった彼にのし掛かるアイオリアの体からは、血と泥と汗の臭いがした。

 「お前は狡い」
 「……っ」
 「いつだってしたり顔で説教するくせに、絶対に俺を見ようとはしない」
 「…………」
 「人の届かぬ高みから、俺を見下ろして楽しいか」

 固い床に押し付けられる手首の痛みに眉をしかめながらも、シャカはされるままになっていた。
 膂力はともかく、小宇宙を使えば自分を退けるなど造作もないのに、抗う素振りすら見せない。

 「……何故、抵抗しない」
 「私闘は禁じられている」
 「──私闘、か」

 自分は何を期待したのだろう、とアイオリアは自嘲気味に考えた。
 例えそれが同情でも気紛れでも、何処まで赦されるのか知りたかっただけなのかもしれない。
 だが、きっと──コイツは誰に対してもそうなのだ。
 何でも受け容れるふりをしながら、最後の最後でこうやって拒絶する。
 閉ざした瞳が何を視ているのか、自分には決して判らない。
 裏切り者の兄を持ち、こうして地を這いずるようにして生きる自分には、綺麗な乙女座は眩し過ぎて直視出来ない。

 この腕が届かないなら、いっそ──堕としてしまえ。

 「……ならば、逆賊の弟に襲われたとでも言えばいい」

作品名:Quid pro quo 作家名:saho