アリス最初の旅
「そう言えば、エースって本当に迷子になるの?」
「嫌だな~。迷子じゃなくて冒険とか旅って言って欲しいな。」
「そんな事言ってるけど、暗い中私の居場所を探せたり、先刻も果物採って帰ってきてるじゃない。」
「ハハッ、そう言えばそうだね。」
まるで予想外の話を聞いた時のような反応をして笑う。その笑顔のままで、
「・・・・そんな事よりさ、アリス。ちょっとそこの木の陰に居てくれない?目を閉じていた方がいいよ。俺が呼びに行くまでね。耳も塞いでおいて。」
「何を言っているの?」
怪訝そうな表情でそう言うアリスを、エースは脇に押しやって数歩前に出た。アリスは言われて2・3歩後ろに下がりながらも、腑に落ちないままエースの後ろ姿を見ている。右手は既に剣にある。何時でも抜刀できる体制だ。
「隠れていないで出てくれば?」
独り言のように言うエースに、眉を顰めるアリス。何も無い静かな森の中で、この人は何を見ているのだろうと疑問に思う。近づけない程の気を放ちながら微動だにしない。
それはまるで夢の中のことの様に、静の気を打ち破りながら飛び出してきた黒い塊に一閃。騎士のコートと同じ鮮やかな赤が広がる。幾つもの同じシーンを繰り返す悪夢。自分の金切り声がまるで他人事のように響く。
「アリス? 大丈夫?」
戻りかけた意識が、エースの声で急に鮮明になる。心配そうに見つめるエースの赤い瞳。
「死んだの? あの人達・・・」
「ん、大丈夫だよきっと。逃げてったから。」
「そう、良かった。」
抱き起こされたアリスは、暫く座ったままで目に焼きついてしまった悪夢を振り払うように頭を振る。先程の状況では、逃げたにしてもかなりの手負いにはなっているはずだ。大丈夫なのだろうか。
エースは少し離れた所で何か拾っているようだ。戻って来た時に尋ねる。落し物?と。
「うん。さっきの奴等が慌てて落として行ったんじゃない?」
と、6~7個の時計を見せた。テントの中の時計と似ている。エースは荷物の中にそれを仕舞い込むと、珍しく先を急ごうと言った。
「ねぇ、また襲われるの?」
「わからない。でも、見られちゃ不味い物があるんだろう。早く離れよう。」
夜に見た幾つもの灯りと関係が有るのだろうか。エースを狙い襲われたのか、偶然に彼らにとって具合が悪い場所に居合わせてしまったのか。何もわからないまま、とにかく先を急ぐ。珍しくエースは口数が少ない。この道で良いのかどうかもわからず闇雲に歩く。
ヤバイ。エースが呟く。
右手前方の太い木の陰から、黒い大きな影が此方を伺う。エースはアリスを抱かかえると、左側へ一目散に逃げ出した。
アリスはエースの肩越しに、後方から追ってくるのが大きな熊だと知って再び叫び声をあげる。
「熊に食べられて死ぬなんて絶対にイヤー。」
爽やかに笑いながら逃げるエース。熊もしつこく追いかけてくる。何故か酷く興奮しているようだ。エースと熊の体力勝負のような駆けっこは続く。なんだか熊に追いかけられてピンチなのに、エースは楽しそうだ。正面に見えてきた一際茂った緑を突き抜けると、
ガウン!
大きな銃声がした。エースはアリスに覆い被さる様にして地面に伏せている。後ろで熊の大きな叫び声がしてメリメリと木の軋む音がする。そのまま叫び声が遠ざかる。
「何だよ、エースか。脅かすなよ。何やってんだ?」
「熊に追われてた。」
身体を起こしながら、エースが答える。
「熊なら行っちまったぞ! それは新しい彼女か?」
無遠慮に聞く男を見上げると、頭にウサギの耳が生えている大きな男だ。横には派手な帽子を被った男が此方を見ていた。その顔を見て、表情が固まるアリス。
「俺の彼女候補・・・・」
「アリス・リデルです。お陰で助かりました。ありがとうございます。」
エースがいい加減な紹介をする前に遮る。
エリオットと名乗る男が、別に熊を狙ったわけじゃねぇから礼はいらねえよと言いながら頭を掻く。それからもう一人の男をブラッドだと紹介してくれた。アリスは内心胸を撫で下す。こんな所に”あの人”が居るわけは無いと思っても、あまりに似ている。ブラッドがアリスに近づいて手を取ろうとした所で、エースの後ろに隠れた。
「これは、余所者のお嬢さんに嫌われてしまったようだ。」
そう言いながら怪しくにやりと笑う男。自分が知る”あの人”は、こんな話し方も笑い方もしない。
宜しければ、近々お茶にご招待しますよと言い残すと、二人は立ち去った。
「あのブラッドって人、怖いよ。」
「そう? まぁ、マフィアだからね~。怖い事もやってるかもね。」
爽やかにそう言うエースの顔は明るくて、なんだか森での諸々が現実ではなかったかのような錯覚を覚える。そう言えば、何かを疑問に思ったような気もするが、今となっては思い出せない。この世界は不思議な事だらけだ。一々気にしていては過ごせないのかもしれない。
「ねぇ、今度は絶対に近道無しだからね!」
「うん。でも俺、時計塔に寄っていくよ。」
「そうなの?城に戻るんじゃなかった?」
気が変わってユリウスの顔を見に行くからと言うと、アリスの方を見て笑顔になる。
「エース! 怪我してるじゃない。」
アリスは、頬の一筋の赤い傷に手を伸ばす。そういえば、エリオットとか言う男は熊を狙ったわけではないと言っていたが、まさか。
「大丈夫だよ、時間が来れば直るから。」
そうだった、この世界では物も人の傷もいつの間にか直っている。跡形も無く。
ハートの城への道に分かれる所で、もう一度エースに道順の説明をすると二人は分かれて別々の道を歩き出す。
アリスがフッと振り返ると、騎士の纏う紅いコートが丁度道を外れようとしてる所だった。一つ溜息を吐くと、
「やっぱり迷子の騎士なのね。」
そう言いながら、方向を変えて走り出す。このお節介は、熊から救ってくれたお礼なんだからね。と内心言い訳を用意しながら。赤いコートを掴んで茂みから引っ張り出すと、腕を掴んだまま時計塔に向かってズンズン歩く。エースは口では散々文句を言いながらも、今回は大人しくついて来る。
時間を惜しんで時計の修理に精を出すユリウスの元へ、私が連れて行ってあげる。