Helianthes
Helianthes
聖域の長い石段を昇るのは、久しぶりだった。
神話の世界のように美しかった聖域が、無惨に破壊されているのは悲しかったけれど、それでも数名の人達がせっせと倒れた柱を片付けたり、石を積み上げたりしているのを見て、ああ、聖戦は本当に終わったんだなと実感する。
私のうちは花屋で、お母さんが死んでからは、私が週に一度、教皇の間にお花をお届けしていた。
戒厳令が敷かれて一般人の立ち入りが禁止となり、村が襲撃されるあの日までは。
ロドリオ村は、魚座のアルバフィカ様が命を賭けて守って下さった。
最後に頂いた真紅の薔薇は、多分アルバフィカ様のお力が残っているのだろう、今も散ることなく咲き続けている。
完全に枯れてしまうまでは、この胸に飾っておくつもりだった。
気高く、お優しかったあの方の形見として──
昨日、テネオという名の、私より少し年上の男の子がうちを訪ねてきた。
「──また、教皇様にお花を……?」
「形ばかりですが、ようやく教皇の間の修繕が終わったのです。教皇様はご自身の身の回りのことは全て後回しになさるので、せめて花だけでも飾って差し上げたくて」
「……テネオさん、聖戦は終わったのですか?女神様や、聖闘士様達は皆ご無事なのですか?」
縋るような私の問いに、聖闘士候補生だという彼は辛そうに目を伏せた。
「聖戦は終わりました。女神様が冥王を討ち果たされたのです。でも……──」
アルバフィカ様の壮絶な最期をこの目で見届けた私には、それ以上は聞けなかった。
きっと皆、アルバフィカ様と同じように命尽きるまで闘い、聖闘士としての生を全うされたのだ。
せめて、教皇様だけでもご無事で良かったと思った。
教皇様には何度かお目にかかったことがあるけど、私みたいな子供にも丁寧な口調で話しかけて下さる、穏やかでお優しい方だ。
白い百合がお好きでいらっしゃったから、また明日お持ちしよう。
それから──
「……あの、テネオさん。お願いがあるんです」
「何ですか?俺で出来ることなら……」
「亡くなった聖闘士様のお墓に、お参りさせて頂くことって出来ますか?お花をお供えしたいんです」
駄目でしょうか?──そう尋ねる私に、テネオさんは十二宮の裏手にあるという、聖闘士の慰霊地の場所を教えてくれた。
今日、教皇の間へ伺う前に、私はアルバフィカ様のお墓に立ち寄るつもりだった。
アルバフィカ様と言えば、やはり薔薇しか考えられなかったのだけれど、赤も白もあの方の薔薇に勝るものはない気がして、結局淡いピンクを選んだ。
喜んで下さるかしら。
鮮烈に生きたあの方には、似つかわしくない色かも知れないけど……──
そんなことを考えながら歩いていた私は、急に開けた視界に驚いて立ち止まった。
見渡す限り広がるなだらかな丘に並んだ、無数の墓標。
「……ここが聖闘士の慰霊地……」
神話の時代から、こんなにも多くの聖闘士達が地上を守る為に闘い、ここに永眠っているのだ。
アルバフィカ様のお墓を探して、比較的新しいと思われる一画に足を向けた私は、そこに独り佇む人影に気付いた。
風に翻る法衣と、火竜を象った黄金のマスクに、一瞬(……教皇様?)と思った。
いいえ、違う。
白い法衣をお召しになることが多かった教皇様は、月光のような銀の髪をなさっていた。
だけどその人の法衣は黒で、マスクの下から背中に流れる豊かな髪も、癖のある淡い金色だ。
私の気配を感じたのか、その人はこちらを振り返った。
「──シオン様……?」
それは以前私を助けて下さった、牡羊座のシオン様だった。
シオン様も覚えていらしたらしく、私の手元の薔薇に目を留めると、
「アルバフィカに会いに来たのか?」
と微笑んだ。
「シオン様、ご無事だったんですね。良かった……!」
もう二度とお目にかかれないと思っていたから、ここでお会い出来て本当に嬉しい。
だけど何故、シオン様が法衣とマスクを……──そこまで考えて、私はそれが意味するところに思い当たった。
「……もしかして──教皇様って、シオン様のこと……」
「──皆に置いていかれてしまった」
シオン様は真新しい墓標の一群を、淋しげに見渡した。
「散っていった戦友(とも)達の為にも、私は教皇としてこの聖域をまた元のように建て直さねばならない。それが生き残った者の使命なのだ」
「……シオン様……」
毅然とした横顔の中に、癒されることのない悲しみを見た気がした。
この方はアルバフィカ様をはじめ、多くの方々の死を看取ってこられたのだ。
もしかするとそれは、自分が死ぬ以上に辛いことなのかもしれない。
新しい教皇様として、これからたった独りで聖域を背負っていかれるシオン様──
どんなにか長く、どんなにか孤独な道のりだろう。
「──アルバフィカの墓はここだ」
シオン様が示す、アルバフィカ様の名が刻まれた新しい石の前に、私は持ってきたピンクの薔薇を供えた。
「……優しい色だな」
「……え……?」
「アルバフィカに良く似合う」
「そう思われますか?良かった……」
手を合わせてお祈りを捧げる私に、シオン様は少し躊躇った後、言った。
「──君にだけ言っておこう。アルバフィカは、本当はここには永眠っていないのだ」
私は驚いてシオン様を見上げた。
「アルバフィカの亡骸は、双魚宮の薔薇園に葬った。先代の魚座の隣に」
「何故──」
「知っての通り、魚座の聖闘士はその身に流れる血までが猛毒に染まる。それは死後も浄化される訳ではない。だから彼も、師であった先代のルゴニスも、一般人は立ち入ることの出来ぬ、毒薔薇の園に埋めて欲しいと」
「……そんな……」
あの方には人としての安らかな眠りさえ、赦されないのだろうか。
あの方は死して尚、孤独なのだろうか。
聖域の長い石段を昇るのは、久しぶりだった。
神話の世界のように美しかった聖域が、無惨に破壊されているのは悲しかったけれど、それでも数名の人達がせっせと倒れた柱を片付けたり、石を積み上げたりしているのを見て、ああ、聖戦は本当に終わったんだなと実感する。
私のうちは花屋で、お母さんが死んでからは、私が週に一度、教皇の間にお花をお届けしていた。
戒厳令が敷かれて一般人の立ち入りが禁止となり、村が襲撃されるあの日までは。
ロドリオ村は、魚座のアルバフィカ様が命を賭けて守って下さった。
最後に頂いた真紅の薔薇は、多分アルバフィカ様のお力が残っているのだろう、今も散ることなく咲き続けている。
完全に枯れてしまうまでは、この胸に飾っておくつもりだった。
気高く、お優しかったあの方の形見として──
昨日、テネオという名の、私より少し年上の男の子がうちを訪ねてきた。
「──また、教皇様にお花を……?」
「形ばかりですが、ようやく教皇の間の修繕が終わったのです。教皇様はご自身の身の回りのことは全て後回しになさるので、せめて花だけでも飾って差し上げたくて」
「……テネオさん、聖戦は終わったのですか?女神様や、聖闘士様達は皆ご無事なのですか?」
縋るような私の問いに、聖闘士候補生だという彼は辛そうに目を伏せた。
「聖戦は終わりました。女神様が冥王を討ち果たされたのです。でも……──」
アルバフィカ様の壮絶な最期をこの目で見届けた私には、それ以上は聞けなかった。
きっと皆、アルバフィカ様と同じように命尽きるまで闘い、聖闘士としての生を全うされたのだ。
せめて、教皇様だけでもご無事で良かったと思った。
教皇様には何度かお目にかかったことがあるけど、私みたいな子供にも丁寧な口調で話しかけて下さる、穏やかでお優しい方だ。
白い百合がお好きでいらっしゃったから、また明日お持ちしよう。
それから──
「……あの、テネオさん。お願いがあるんです」
「何ですか?俺で出来ることなら……」
「亡くなった聖闘士様のお墓に、お参りさせて頂くことって出来ますか?お花をお供えしたいんです」
駄目でしょうか?──そう尋ねる私に、テネオさんは十二宮の裏手にあるという、聖闘士の慰霊地の場所を教えてくれた。
今日、教皇の間へ伺う前に、私はアルバフィカ様のお墓に立ち寄るつもりだった。
アルバフィカ様と言えば、やはり薔薇しか考えられなかったのだけれど、赤も白もあの方の薔薇に勝るものはない気がして、結局淡いピンクを選んだ。
喜んで下さるかしら。
鮮烈に生きたあの方には、似つかわしくない色かも知れないけど……──
そんなことを考えながら歩いていた私は、急に開けた視界に驚いて立ち止まった。
見渡す限り広がるなだらかな丘に並んだ、無数の墓標。
「……ここが聖闘士の慰霊地……」
神話の時代から、こんなにも多くの聖闘士達が地上を守る為に闘い、ここに永眠っているのだ。
アルバフィカ様のお墓を探して、比較的新しいと思われる一画に足を向けた私は、そこに独り佇む人影に気付いた。
風に翻る法衣と、火竜を象った黄金のマスクに、一瞬(……教皇様?)と思った。
いいえ、違う。
白い法衣をお召しになることが多かった教皇様は、月光のような銀の髪をなさっていた。
だけどその人の法衣は黒で、マスクの下から背中に流れる豊かな髪も、癖のある淡い金色だ。
私の気配を感じたのか、その人はこちらを振り返った。
「──シオン様……?」
それは以前私を助けて下さった、牡羊座のシオン様だった。
シオン様も覚えていらしたらしく、私の手元の薔薇に目を留めると、
「アルバフィカに会いに来たのか?」
と微笑んだ。
「シオン様、ご無事だったんですね。良かった……!」
もう二度とお目にかかれないと思っていたから、ここでお会い出来て本当に嬉しい。
だけど何故、シオン様が法衣とマスクを……──そこまで考えて、私はそれが意味するところに思い当たった。
「……もしかして──教皇様って、シオン様のこと……」
「──皆に置いていかれてしまった」
シオン様は真新しい墓標の一群を、淋しげに見渡した。
「散っていった戦友(とも)達の為にも、私は教皇としてこの聖域をまた元のように建て直さねばならない。それが生き残った者の使命なのだ」
「……シオン様……」
毅然とした横顔の中に、癒されることのない悲しみを見た気がした。
この方はアルバフィカ様をはじめ、多くの方々の死を看取ってこられたのだ。
もしかするとそれは、自分が死ぬ以上に辛いことなのかもしれない。
新しい教皇様として、これからたった独りで聖域を背負っていかれるシオン様──
どんなにか長く、どんなにか孤独な道のりだろう。
「──アルバフィカの墓はここだ」
シオン様が示す、アルバフィカ様の名が刻まれた新しい石の前に、私は持ってきたピンクの薔薇を供えた。
「……優しい色だな」
「……え……?」
「アルバフィカに良く似合う」
「そう思われますか?良かった……」
手を合わせてお祈りを捧げる私に、シオン様は少し躊躇った後、言った。
「──君にだけ言っておこう。アルバフィカは、本当はここには永眠っていないのだ」
私は驚いてシオン様を見上げた。
「アルバフィカの亡骸は、双魚宮の薔薇園に葬った。先代の魚座の隣に」
「何故──」
「知っての通り、魚座の聖闘士はその身に流れる血までが猛毒に染まる。それは死後も浄化される訳ではない。だから彼も、師であった先代のルゴニスも、一般人は立ち入ることの出来ぬ、毒薔薇の園に埋めて欲しいと」
「……そんな……」
あの方には人としての安らかな眠りさえ、赦されないのだろうか。
あの方は死して尚、孤独なのだろうか。
作品名:Helianthes 作家名:saho