夏待ち
「それでも逃げてくれるんだ」
自転車はゆっくりと安定したスピードで走っていた。とろい俺でも飛び降りていけるぐらい。なるべく揺れないように道を選んでいるのだと気づいた。
白蘭の顔は見えない。
自分もどんな顔をしているかわからなかった。
苦いものが胸に広がり「どうして俺に背中を見せられるんだ」と言いそうになる。
彼は俺が手にかけた男であり、俺の悪夢だ。彼が俺にやったように、今度は俺がその首に腕をまわすことができるのに。
夢の中で何度も俺は白蘭に殺されかける。そして、殺す。
何度も。
何度も俺は白蘭を殺す。
「……俺さ、おまえと逃げてるの、おまえのためじゃないよ」
「いいよ。僕も自分のためだから」
でも、と白蘭が続けた。
「うれしいとは思ってるんだよ」
なんでそんなことを言うんだ。おまえは白蘭なのに。
目の奥が熱くなって責め立てたくなる。けれど、今の言葉が真実であることだけはわかる。わかってしまう。
わかっている。この白蘭は誰も殺していない。殺そうともしていない。
殺したのは俺だ。俺だけが殺人者なんだ。
悪夢を振り切るように首を振って「もうちょっとスピード上げろよ」と言うと自転車は力強く走り出した。