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嘘であれ

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その日は朝から重い病を患ったので明日死ぬのだと、見え透いた嘘をさばいていた。ルートヴィッヒはそういう催しごとには疎いが、しかし魯鈍な男ではないので、昨晩腹いっぱいうまそうに晩飯を食った男に朝になって今の医学じゃ治せねえ病気にかかっちまった、おれは明日死ぬのだと泣きつかれたところで、白けた目をしてああそれは残念だと返してしまうばかりである。出しな、白い壁に貼りついたカレンダーに目を落とした。赤いマーカーでなぞられた今日の日付はまぎれもなく四月の初日である。はあ、と軽くため息をついた。いくら自分でも、今日がなんの日かくらいは、わかっている。そのすこし下に、イタリアにて会議の八文字がある。まったく面倒な日に会議なぞこしらえてくれたものだと、すこし頭を巡らせた。フェリシアーノ、フランシス、アントーニョ、本田はどうだろう、アルフレッドもくるだろうか。ルートヴィッヒはだいたい自分を困らせてくれるだろうおとこの勘定をする。つまらない嘘をあしらって疲れるよりもいっそ今日は何の日か知っています嘘をつかないで下さいと自分の額に貼り紙しておいたほうがまだましだと考えている。首にかけっぱなしのネクタイを結う手がふいにとまった。行きたくない。ルートヴィッヒはそのまましばらくまぶたをとじている。ややあって、椅子に立てかけたジャケットに腕を通した。…しかし行かねばなるまい。
昼食は冷蔵庫。書置きを残して家を出る。兄はまだ部屋にとじこもっているのだろうか。だいたいいい年をした大人が嘘をとおせなかったくらいで閉じこもるほうがどうかしているので、だんじて俺が悪いわけではない。ルートヴィッヒは眉間を指のはらで揉みながら、そう考えている。そもそもそういう始末に困るから、嫌いなのだ。ふと顔をあげると春の陽光があたたかくまぶしくて、おもわずルートヴィッヒの眉間がゆるんだ。いい季節だ。ひとが活気になる。花も盛りのころである。あちらこちらに店を出す花屋も、この時期になるとやはり繁盛するらしい。レトリーバーを連れた婦女が、ちらほらとつぼみのみえる花束をだいている。春のにおいが鼻をついた。つまり嘘さえあしらえきれば、陽射しもやわらかくよい日なのだ。気をとりなおして崩れかかったネクタイをしめなおす。足づかいは軽い。

機内でいつのまにか眠ってしまっていたから、まだ頭のなかがぼんやりとしていた。じきに冴えてくるだろうと思いながら会議場のエレベーターを降りる。ふいにルートヴィッヒ、と呼び止められて振り向いた。にたにたと口元に笑みを浮かべながら近づいてくるおとこがいる。今日は珍しく早いじゃないか。男はこたえない。ただつんと瞳をふせて、肩を並べてくる。おれね、お前のこと嫌いだよ、大嫌い!おとこが唐突に声をあらげるので、ふいと隣を盗み見た。目はあいかわらず静かに影を落としたままである。しかしその口元は、ゆるい。俺もお前が嫌いだよ。返してやればとたんにまぶたがもちあがる。どういうこと、と腕をにぎられて、おもわず笑ってしまう。エイプリルフールだろう。なあんだ、知っていたの。当たり前だ。つまんない、あ、おれ、ほんとはお前のことだいすきだからね。わかっているとも。昨昼もまた明日ねだいすき、と抱きついてきた男に、にたにたと笑いながらおまえなぞ嫌いだと言われたところで、いったいだれが信じるのだと考えながら、ルートヴィッヒは静かにつかまれた腕をふりほどいた。頭のなかでフェリシアーノのなまえに取消線を引く。あとは、としばらく瞑目していたところであった。よ!聞きおぼえのある声だった。顔をあげると、眼前でフランシスとアントーニョが腕を組んでたっている。あんなあ、ほんまはなあ、俺トマトあんまり好きちゃうねんかぁ!お兄さん実は童貞なの、お前とお揃い!とっておきの嘘だったのだろう。あまりにも笑い種である。ルートヴィッヒはいっとき逡巡したけれども、すぐにそうだったのかと切り返してその隣をすると抜けた。後ろで反応が薄いだのもっと乗ってこいだのとわめく声が聞こえたが、無視。頭のなかで二人のなまえに取消線。うん、涼しげな返しも上出来。
というか誰も彼も今日の目的を履き違えている。今日は会議であって寄り集まって嘘を楽しむ日ではない。母国にいたときまでの眉間のゆるやかさなど隣のおとこは知るよしもないのだろう。ふいにおとこが歩をはやめた気配がして、わずかに視線を一歩前に寄越す。どうした?おれちょっとトイレいってくるね。先に会議室入ってるぞ。はあい。気のない声がきこえて、ちいさくため息をつく。すでに気疲れをした。そうして会議室の扉に手をかけたときであった。こつこつと、丁字路の向こうからおだやかな足音が聞こえてくる。誰だとそちらに目をこらした。涼しい顔をしてこちらに向かってくるその男はアーサー・カークランドそのひとである。なんだ、たぶんこいつは大丈夫だろうと妙な安心をしてそちらを見ていると目が合ったのでおはようと言ったら、やあルートヴィッヒおはよう今日もきまってるな!とまぶしいくらいの笑顔でそう言って寄越すので背に悪寒がなだれこんできた。口元がつる。おもわずドアを押そうとした手がとまる。今日もおまえはうつくしいな、愛してるよ。追い打ち。予想外である。弟のほうではなく、兄のほうがきたこともだが、ここまで気分のわるい嘘をつかれたことも予想外。それならフランシスたちの嘘のほうがまだ随分可愛くてまともだ。ああカークランド今日もお前はセンスのいい仕立てだな。嘘の応酬。とおもったが声が震えていた。分がわるい。こちらの動揺に気をよくしてだかカークランドは一瞬愛想笑いを崩してにたりと意地悪くわらっていた。ルートヴィッヒはそれを見逃さなかったがだから何だという話でそこから突き崩すうまいことばも見つからないのでとりあえず精いっぱいの笑顔で良い日を、と返して会議室のドアを開けた。そうすればもうこちらのものだ。会議室は私語厳禁である。
作品名:嘘であれ 作家名:高橋