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入水だろうか

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店番はともかく、新聞配達を止めるには前もって伝えておかなくてはいけない。だからすぐやめますなんてのは非常識だ。特にもうじき梅雨が来る。それを前に放り出すことは出来なかった。
事を急く自称父親に頼み込むようにして、家へ入るのは夏休みからと決まった。中学も変わるようなのでそちらの方がキリがいいだろう。荷物はすべて捨ててこいと言うので、私物は処分することにしたが、お世話になったお店の店主が預かってくれると申し出てくれたから、こっそりお願いした。
7月の25日、父さん(自称)の迎えの車に乗せられ綱吉は町を去った。何十分と走った。綱吉は遠退いていく景色にまばたきを惜しんだ。山本先生の家の近くも通ったが、あっという間に通りすぎて今まで以上に距離が開いてしまい、住所と番号の書かれた紙が挟まっている生徒手帳がある胸ポケットに手を添える。
「あの」
後部座席から綱吉はおそるおそる父さん(自称)に声をかけた。彼はピクリともせずハンドルを握っている。今日はスーツ姿だ。
実を言うと、新しい学校のことも家のことも綱吉は何一つ聞いていなかった。
もう一度声をかけようか迷ったのは一瞬で、綱吉はすぐ諦めて背中をシーツに沈めた。一応きちんとした服装をと思って前の学校の制服を着てきたが、きっとシワだらけになってしまっている。
長い時間のあとに着いたのは古い洋館のような場所だった。ぐるりと飾り柵が巡り、門の横に守衛室、守衛がいる。少しの中庭と並木道の向こうに見えるヨーロッパの町並みにありそうな建物は、窓が多く三階建て。洒落たホテルならともかく、家には見えない。
父さん(自称)は守衛に何事か話すと、車を駐車場に回して停め、建物の方へと向かっていった。
並盛寮と掘られた石の横をすり抜けて中に入ると、出迎えに出てきた白衣を着たおじいさんと父さん(自称)が二、三話し、綱吉はそのまま引き渡された。
去り際にノート大の厚い封筒だけ渡されただけで、結局一言も口を利かなかった。
引き取りが決まってからというもの、あの人はとても面倒そうに綱吉を扱う。興味がうせてしまったようだった。
大人はいつもそうだ。綱吉が望む返事をすれば、それ以降はどうでもいい。
「ここはどこなんですか」
しんと沈黙して、おじいさんにも綱吉は早々に見切りをつけた。
「全部封筒の中にありますよ」
諦めたところに返ってきた言葉に反応が遅れたが、よく考えると親切な答えではない。
「……ありがとうございます」
三階の、他の部屋に比べてドアが倍ほど離れた位置にある端の部屋に案内され、おじいさんはさっさとまた階段を降りていった。馬鹿正直に着の身着のままここに来たことを後悔し始めていた。もとより私物はほとんど持っていなかったが、それでも今の状態以上に心もとないということはなかっただろう。
廊下でいくらか人が見えたが、綱吉をチラチラ見てくることがあっても話しかける人はいない。
嫌気の指す思いでノブを回して部屋に足を踏み入れる。
体が半分も覗かないうちに顔の横に鋭く飛んできた何かが壁に刺さる。視線を少し流すと目の側で垂直に刺さるシャープペンシルが、ゆっくり下へ傾いで落ちた。
喉から氷が下がってくる心地だ。
「え?」
「僕の部屋に無断で入るなんていい度胸じゃないか」
そう言ったのはドア正面の机について、椅子を半回転させてペンを投げた姿勢でいる同じ年頃の男の子だった。サドっ気の見える日本人形のような子だ。なによりその顔は父さん(自称)によく似ていた。
まさか、と思った瞬間には椅子から飛び出した彼に胸ぐらを捕まれ部屋に引きずり込まれていた。片手で綱吉をいいように吊し上げる。
「覚悟はいい?」
段々と足が浮いてきて、つま先立ちながら綱吉はあくあくと必死に息をしようとした。感覚が薄くなってきた手から封筒が落ちて足下へと中身が散らばった。
「見たことない安っぽい制服。どこの庶子として見つかって来たのか知らないけど御愁傷様だね」
綱吉は痺れる腕を持ち上げて掴みあげている相手の腕を握る。力が入らずほとんど添えているだけだが、抵抗の意思は伝わったらしい。
ニヤリと凶悪に笑うと横っ腹に蹴りを入れられた。
「!…う、あっ」
体が真っ二つになりそうな衝撃だった。くの字に捩れた体から胸ポケットの生徒手帳がこぼれて足元の書類に乗る。
相手はそれを拾い上げると中を確認して自分の胸ポケットに仕舞い込んだ。
「…かえ、して」
「沢田綱吉、ね。これ、前の名前だろ。今の姓は?君の兄弟は一緒に咬み殺してあげよう」
「かえせよっ!」
喉をしぼるように叫んだがまた蹴られる。痛みに何も言えなくなると彼は散らばる書類を拾い上げる。
流すように見て必要な物が書かれていなければ床に捨て、新しいのを拾って目を通す。それを繰り返すうちに目的のものを見つけたのだろう。彼は目を吊り上げて綱吉を見た。
「まさか君、雲雀なの?」
彼は嫌そうな顔で手を離した。
「今のところ……」
「冗談じゃない」
それは綱吉の台詞だ。自分で決めてのこのこ来てしまったが、今すぐでも帰りたかった。
「今すぐ部屋から出ていけ」
襟を捕まれたままドアの外に押しやられると、彼はばたりと扉を閉めた。書類は部屋のなかだ。綱吉の生徒手帳も、彼が持ったまま。捨てられたらと思うと気が気じゃないが、これではどうすることもできない。
ぐちゃぐちゃに乱れた制服を手早く戻すと綱吉は部屋の前から逃げるように外へ向かった。プライドなんて持ってないつもりだったけど、惨めだった。


作品名:入水だろうか 作家名:ぴえろ