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懲りないわたしたち

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プロローグ. 星奈



 タクシーを降りた正門前から玄関まで、公称で1キロメートル。
「暑い……」
 しかしその実態は鬱蒼と茂ったジャングルなのだと、この2年ちょっとで星奈はすっかり失念してしまっていたらしい。いや、責任をひとり暮らしのみに押し付けることはできない。なにしろ柏崎家に住んでいた間、星奈は一度もこの私道を自分の足で歩かなかったのだから。
 到着の時間を午後にずらせばよかったとの後悔や、早くもらしくない弱気の虫が頭をもたげるのを意志の力で抑えながら、ごくりと喉を鳴らした星奈は無人の屋敷に向かって一歩を踏み出した。
 父は現在海外の姉妹校との交流にステラを連れて家を空けており、使用人陣は夏休み中。それでも帰省を強行したのは星奈自身だった。東京で暮らす間に、ひとりでいることにはすっかり慣れ、家事や炊事もするようになったところをステラの口伝えではなく実際に父に見せてみたかったのだ。
(にしても、これは予想外だったわ……)
 事細かな手入れのされた庭の木々は日差しを遮ってくれるものの、時折吹く風は湿気を含んで肌にうっすら浮かんだ汗を乾かしてはくれない。キャリーバッグは荒いアスファルトの上でがたがたと恐ろしい音を立て続け、高すぎるヒールはすこしずつ靴擦れを作っていく。ときおり目の前を名も無き羽虫が飛んでいくのがまた煩わしい。
 やがてフェンスに絡まった蔓バラの向こうに透かし見ていた屋敷が急にその姿を表したとき、星奈は思わず息を呑んでいた。まるで昔話の、迷いの森を抜けたような心持ちだった。玄関に続く階段をキャリーバッグを引きずりながら駆け上がり、ポケットから取り出したキーを鍵穴に挿すときの手はすこし震えていた。
 建物の中に一歩足を踏み入れれば、期待通りひんやりした空気が星奈を包んだ。
「もうー……やっと、もうっ!」
 へなへなとその場に崩れ落ち、ふとももの下で大理石の冷たい感触がぬるくなったころにやっと編み上げサンダルの革紐をゆっくりとほどきはじめる。体温と室温も均衡が取れてきたのか、何気なく頬の汗を拭った指先を見てため息をついた。チークの色がべったり付いている。ついでに見下ろした自慢の金髪も、折角巻き下ろしたのがすっかりよれて、熱のせいか痛んだように見えた。
「まずはお風呂、ね」
 もっともそのためには荷物を紐解く必要がある。ともすれば外を歩いたときよりも重いかもしれない足取りで、星奈はキャリーバッグを引きながら久しぶりの自室に向かった。


 結局、星奈が念願の湯船に辿りつけたのは夕日が沈む頃になってしまった。2階の自室まで持ち上げた荷物を広げたところで腹の虫が鳴り、リップを適当に拭くくらいならとメイク全体まで落としてしまい、そうすると洗顔までせざるを得なる。そのまま風呂に入ることができればよかったのだが空腹も待ってくれない。おまけにもともと夏バテ気味だったところに疲労が重なってくらくらするようになったのでまず腹になにか入れておくべく、こちらは冷蔵庫に用意されていたサンドイッチとビシソワーズを口にすれば、今度は眠りの気配がたちあらわれて少女を包む。使い終わった食器をシンクに運び込み水に浸した時点であえなくエネルギー切れ、机に両肘を付いてうとうとと過ごした時間を終わらせたのは、小学生の帰宅を促す赤とんぼのメロディーだった。幸い、接客やパーティにも使われる大きなリビングルームは遮光カーテンのおかげで冷え切っていたのでクーラーを使う必要がなく、風邪を引く心配はない。
 柏崎家の浴室は洋風の間取りにふさわしくふたつあり、ひとつは1階奥にある和風の大きな檜風呂がついた家族風呂、もうひとつは2階の硝子張りになったひとり用のホテル風バスルーム。ぴかぴかに磨き上げられた猫足の浴槽は星奈のお気に入りだ。
 東京から持ち帰った洗髪剤セットと、備え付けのボディーソープを使い終わると、ローズカラーのバスソルトを入れたぬるめのお湯に身体を沈める。しばらくふくらはぎや二の腕をマッサージしたあとで、半身浴の格好に切り替え、バスタブの端に置いたスマートフォンを手にとった。防水仕様のケースの上からタッチし、メール画面を呼び出すと父からの連絡が入っていた。
 心配性で頑固な父だが、ステラの存在や仕事の忙しさもあり、星奈への必要以上の干渉をしないタイプだった。そのおかげか未だに親子仲はそこそこ良好で、簡潔にして明快なメールは返事もしやすい。即座に返信を出したあと、さて、と星奈は一旦思考に区切りをつけた。さて。
(なにをしようかしら、ね)
 帰省自体は毎年の夏季休暇には欠かさずしてきたけれど、今年の星奈は大学の長い休み、2ヶ月間のほとんど全てを実家での滞在に費やすと決めていた。
 忙しない日々にすこし、ほんのすこしだけ疲れてしまったのだと星奈は思う。小中高と違いひとが多い大学では星奈のプライドの高さや負けず嫌い、口の悪さ、ひいては男子を惹きつける容姿はいい意味で薄まり、ぎすぎすする機会は地元と比べればすっかり減った。一方でゼミにサークル活動にアルバイトと、星奈がひとと接する時間は一気に増え、笑顔で挨拶を交せる同性の知り合いも何人か出来た。
 もっとも、人付き合いが生まれるということは、今まで築いてきた生活リズムが崩れるのと同じことでもある。友達付き合いに全く適さない性格のせいで内向的になりがちだった星奈の行動範囲は高校の時点で相当広がっていたが、友達の少ない変人揃いだった談話室4での気安さを外には求められないのだと知ったとき、彼女にはもはや慣れるという選択肢しか残されていなかった。
 のみならずようやく気疲れしないようになってきたところへ就職活動の前哨戦までが加わったとくれば、事態は星奈の許容量をとっくに超えてしまっていた。
(だからすこし休むだけよ)
 なにしろ大学での日々はなにもかも完璧に上手くいっているのだから決して逃避ではない。エネルギーを蓄えて、あたしはまたいつかあそこに戻る。
 今は戻ることを考えただけで気落ちしてしまうけれど。
 ふたたびバスタブに全身を浸からせながらタッチパネルを操作する。いくつかメールを送信したあとで、星奈は方腕を顔の上半分に押し当てて目をつむった。


作品名:懲りないわたしたち 作家名:しもてぃ