オーブンの神様
オーブンの神様
夕方から降り続いた雨が、夜になるころ雪に変わった。闇の中に吸いこまれていく雪を見ながら、今夜は冷えるなと思った。
「クリスマスケーキ?そんなのいらないよ」
長いすの上で脚をぶらぶらさせながら、トランシー家の当主が小さくかぶりをふった。。プラチナブロンドの髪が、小さくゆれる。
アロイス・トランシー。私の小さな旦那さま。
『神様なんて、いるわけないよ』そういいたげな視線を私に送る。まぁ、そうだろうな、と思う。そもそも、私だって神様なんて信じていない。
私の名前はクロード・フォースタス。主人との契約により、執事の役などこなしているが、『悪魔で執事』だ、神様など信じてもらっては困る。
それはさておき、
旦那さまの「クリスマスケーキなんていらないよ」発言のなかで、少しだけ気になるところがあった。
ひねくれ者で、素直じゃないのはいつものことで、それはたいしたことじゃない。元気であいさつみたいなものだ。
私が気になっているのは、返事そのものより返事の速さのほうだ。
私が「旦那さま、クリスマスのデザートのケーキはいかがなさいますか?」とおうかがいしたら、あっさりと「クリスマスケーキ?そんなのいらないよ」と返ってきた。
ずいぶんと、返事が速すぎる。
まるで、前々から、「クリスマスケーキはいかがですか?」と聞かれたら、「いらないよ」と、あらかじめ答えるつもりでいたみたいに。
過去に、よっぽどクリスマスケーキでいやな思い出でもあるのだろうか?
「クリスマスかどうかはともかく、24日のディナーのデザートは何を召しあがられますか?」
別にさぐりを入れたわけではなかった。材料の準備のために聞いただけだ。
「……」
めずらしく旦那さまが口ごもってる。
「クリスマスはケーキより、パイがいい」
「かしこまりました」
さて、パイとひと口に言っても、いろいろなパイがある。
「どのようなパイをご用意しましょうか?」
「名前なんか知らないよ」
「パイに何を入れて焼きましょうか。先日、りんごのよい物が手に入りましたが」
「…なんか違うんだよね」
名前の分からないパイが、アップルパイのはずがない。つまらないことを聞いてしまった。
私が返事につまっていると、旦那さまが少しばつの悪そうな顔をして、私のほうに目をくれた。わざと横柄な言いかたをするのは、自分のことを話すのがあまり得意ではないからだ。
本当は、華やかで押しの強い見た目より、もっとずっともろくて弱い。
それがいちばん強く感じられるのは、弟のルカの話をするときだ。
「ずっと昔に、ルカといっしょにクリスマスに食べたパイがうまかったんだ。名前なんか知らないけど、クリスマスに食べるんならあれがいい」
旦那さまはめずらしく長く、ご自身の話をはじめた。
旦那さまは、6歳まで弟のルカとご自身が生まれた村に住んでいた。
正確なことはわからないが、6歳のころには両親と死別している。そのあたりは記憶が混迷するようで、はっきりしたことは分からない。生まれた村の地理の記憶はかなり正確で、6歳の子供がよくそこまで記憶できたものだとものだと驚くばかりだ。にもかかわらず、あまり思い出したくもないのだろう。両親にかかわる記憶は、鍵がかかったように空白のまま、いつも話がとぎれて終わる。
話は6歳のクリスマスにもどる。
両親もなく、明日食べるパンも買えないような身の上の旦那さまが、クリスマスイブの夜に1個のパイをもらってきた。
金持ちの慈善家が、クリスマスイブに教会の前でパイを配っているのに、たまたま会ったのだ。パンやスープのように腹を満たすものではなく、慈愛の気持ちを示すような、小さくてきらびやかなパイ。でも、そんなことはどうだってよかった。家に持って帰って、ルカに食べさせたらどんなに喜んでくれるだろう?
クリスマスなんて関係ないと思っていたけど、やっぱりルカと2人でクリスマスをお祝いできるのは、本当にうれしかった。
街の広場に雪が積もり、イベント用のツリーがろうそくの光を浴びてキラキラしていた。広場のわきを小走りに走りながら、早くルカに見せてあげたい、食べさせてあげたいと思った。
家に帰ると、ミサでもらったろうそくの残りに火をともした。2人ではんぶんこしようね、と言ったのに、どちらもなかなか食べようとしなかった。
2人でずいぶん長いあいだパイを見つめながら、てっぺんのキラキラしたところは甘くておいしいそうだね。中に何が入ってるのかな、と話した。ようやく食べはじめたころには、ろうそくの火がほとんど消えかけたころだった。うわぁ、このクリームとろとろだね。この赤いジャムは何だろう。窓の明かりに照らされて、いつもよりおしゃべりで、いつもよりはしゃいでうれしそうなおにぃの姿。そんな兄にうれしくなったルカが、さらにはしゃいで話をついだ。パイがなくなっても、いつまでもいつまでも話は続いた。
クリスマスにもらったパイは、甘くて、見たこともないジャムやクリームが詰まってて、びっくりするくらいおいしかった。けれど、それよりもパイを見つめながらルカといつまでも話したことが、クリスマスのいちばんの思い出だった。
小さくなったろうそくの光を見ると、今もあの時のクリスマスを思い出す。
『クリスマスケーキなんて、いらないよ』、旦那さまはそう言った。
旦那さまにかぎらず、思い出とか、記念日とか、人間は何でもとっておきたがる。
おかげでとりあえず、クリスマスに作るものはきまった。
「ピュイ・ダムール…」
たしか、愛の泉とか言うんだったな。事前家がクリスマスイブに配るには、うってつけの名前だ。
材料と作りかたを確認しながら、これはちょっとやっかいかもしれない、と思った。
ピュイ・ダムール。
基本的には、クリームとジャムをつめて焼くパイ菓子だ。
パイ生地でタルトを作り、そこにカスタードクリームとラズベリージャムをつめて、それにふたをするようにパイ生地を上からかぶせて焼く。
パイ生地を作るのは、そんなに大変じゃない。手間はかかるが、かけた分だけのことはある。
サクサクのパイのなかに、とろとろのクリーム、という組み合わせはすごくいいと思う。食感のちがうものが味わえるし、甘いクリームと甘酸っぱいジャムをあわせているあたり、すごくバランスがいい、なんというか作った人のセンスを感じる。
問題は、なかにクリームをつめて焼く、ということだ。
パイのなかに水分の多いものをめると、焼くときになかの水分が蒸発して膨張してしまう。で、どうなるかというと、上にかぶせてあるパイ皮の一部が割れて、ひどい時にはなかのクリームやジャムが飛びだしてしまうことが少なくないのだ。
なかのクリームがいっぺんに膨らまないように、ゆっくりのんびりパイを焼いていくと、今度は外側のパイ生地がサクッと焼きあがらない。なかのクリームが膨らまないかわりに、外側のパイ生地も膨らまないので水分が抜けず、バターのべちゃっとした、なんともいえない変な食感の焼きあがりになってしまう。
夕方から降り続いた雨が、夜になるころ雪に変わった。闇の中に吸いこまれていく雪を見ながら、今夜は冷えるなと思った。
「クリスマスケーキ?そんなのいらないよ」
長いすの上で脚をぶらぶらさせながら、トランシー家の当主が小さくかぶりをふった。。プラチナブロンドの髪が、小さくゆれる。
アロイス・トランシー。私の小さな旦那さま。
『神様なんて、いるわけないよ』そういいたげな視線を私に送る。まぁ、そうだろうな、と思う。そもそも、私だって神様なんて信じていない。
私の名前はクロード・フォースタス。主人との契約により、執事の役などこなしているが、『悪魔で執事』だ、神様など信じてもらっては困る。
それはさておき、
旦那さまの「クリスマスケーキなんていらないよ」発言のなかで、少しだけ気になるところがあった。
ひねくれ者で、素直じゃないのはいつものことで、それはたいしたことじゃない。元気であいさつみたいなものだ。
私が気になっているのは、返事そのものより返事の速さのほうだ。
私が「旦那さま、クリスマスのデザートのケーキはいかがなさいますか?」とおうかがいしたら、あっさりと「クリスマスケーキ?そんなのいらないよ」と返ってきた。
ずいぶんと、返事が速すぎる。
まるで、前々から、「クリスマスケーキはいかがですか?」と聞かれたら、「いらないよ」と、あらかじめ答えるつもりでいたみたいに。
過去に、よっぽどクリスマスケーキでいやな思い出でもあるのだろうか?
「クリスマスかどうかはともかく、24日のディナーのデザートは何を召しあがられますか?」
別にさぐりを入れたわけではなかった。材料の準備のために聞いただけだ。
「……」
めずらしく旦那さまが口ごもってる。
「クリスマスはケーキより、パイがいい」
「かしこまりました」
さて、パイとひと口に言っても、いろいろなパイがある。
「どのようなパイをご用意しましょうか?」
「名前なんか知らないよ」
「パイに何を入れて焼きましょうか。先日、りんごのよい物が手に入りましたが」
「…なんか違うんだよね」
名前の分からないパイが、アップルパイのはずがない。つまらないことを聞いてしまった。
私が返事につまっていると、旦那さまが少しばつの悪そうな顔をして、私のほうに目をくれた。わざと横柄な言いかたをするのは、自分のことを話すのがあまり得意ではないからだ。
本当は、華やかで押しの強い見た目より、もっとずっともろくて弱い。
それがいちばん強く感じられるのは、弟のルカの話をするときだ。
「ずっと昔に、ルカといっしょにクリスマスに食べたパイがうまかったんだ。名前なんか知らないけど、クリスマスに食べるんならあれがいい」
旦那さまはめずらしく長く、ご自身の話をはじめた。
旦那さまは、6歳まで弟のルカとご自身が生まれた村に住んでいた。
正確なことはわからないが、6歳のころには両親と死別している。そのあたりは記憶が混迷するようで、はっきりしたことは分からない。生まれた村の地理の記憶はかなり正確で、6歳の子供がよくそこまで記憶できたものだとものだと驚くばかりだ。にもかかわらず、あまり思い出したくもないのだろう。両親にかかわる記憶は、鍵がかかったように空白のまま、いつも話がとぎれて終わる。
話は6歳のクリスマスにもどる。
両親もなく、明日食べるパンも買えないような身の上の旦那さまが、クリスマスイブの夜に1個のパイをもらってきた。
金持ちの慈善家が、クリスマスイブに教会の前でパイを配っているのに、たまたま会ったのだ。パンやスープのように腹を満たすものではなく、慈愛の気持ちを示すような、小さくてきらびやかなパイ。でも、そんなことはどうだってよかった。家に持って帰って、ルカに食べさせたらどんなに喜んでくれるだろう?
クリスマスなんて関係ないと思っていたけど、やっぱりルカと2人でクリスマスをお祝いできるのは、本当にうれしかった。
街の広場に雪が積もり、イベント用のツリーがろうそくの光を浴びてキラキラしていた。広場のわきを小走りに走りながら、早くルカに見せてあげたい、食べさせてあげたいと思った。
家に帰ると、ミサでもらったろうそくの残りに火をともした。2人ではんぶんこしようね、と言ったのに、どちらもなかなか食べようとしなかった。
2人でずいぶん長いあいだパイを見つめながら、てっぺんのキラキラしたところは甘くておいしいそうだね。中に何が入ってるのかな、と話した。ようやく食べはじめたころには、ろうそくの火がほとんど消えかけたころだった。うわぁ、このクリームとろとろだね。この赤いジャムは何だろう。窓の明かりに照らされて、いつもよりおしゃべりで、いつもよりはしゃいでうれしそうなおにぃの姿。そんな兄にうれしくなったルカが、さらにはしゃいで話をついだ。パイがなくなっても、いつまでもいつまでも話は続いた。
クリスマスにもらったパイは、甘くて、見たこともないジャムやクリームが詰まってて、びっくりするくらいおいしかった。けれど、それよりもパイを見つめながらルカといつまでも話したことが、クリスマスのいちばんの思い出だった。
小さくなったろうそくの光を見ると、今もあの時のクリスマスを思い出す。
『クリスマスケーキなんて、いらないよ』、旦那さまはそう言った。
旦那さまにかぎらず、思い出とか、記念日とか、人間は何でもとっておきたがる。
おかげでとりあえず、クリスマスに作るものはきまった。
「ピュイ・ダムール…」
たしか、愛の泉とか言うんだったな。事前家がクリスマスイブに配るには、うってつけの名前だ。
材料と作りかたを確認しながら、これはちょっとやっかいかもしれない、と思った。
ピュイ・ダムール。
基本的には、クリームとジャムをつめて焼くパイ菓子だ。
パイ生地でタルトを作り、そこにカスタードクリームとラズベリージャムをつめて、それにふたをするようにパイ生地を上からかぶせて焼く。
パイ生地を作るのは、そんなに大変じゃない。手間はかかるが、かけた分だけのことはある。
サクサクのパイのなかに、とろとろのクリーム、という組み合わせはすごくいいと思う。食感のちがうものが味わえるし、甘いクリームと甘酸っぱいジャムをあわせているあたり、すごくバランスがいい、なんというか作った人のセンスを感じる。
問題は、なかにクリームをつめて焼く、ということだ。
パイのなかに水分の多いものをめると、焼くときになかの水分が蒸発して膨張してしまう。で、どうなるかというと、上にかぶせてあるパイ皮の一部が割れて、ひどい時にはなかのクリームやジャムが飛びだしてしまうことが少なくないのだ。
なかのクリームがいっぺんに膨らまないように、ゆっくりのんびりパイを焼いていくと、今度は外側のパイ生地がサクッと焼きあがらない。なかのクリームが膨らまないかわりに、外側のパイ生地も膨らまないので水分が抜けず、バターのべちゃっとした、なんともいえない変な食感の焼きあがりになってしまう。