須臾と刹那
候補生シュユ・ヴォーグフォウ・ビョウトはクリスタリウムで借りた本を片手に、人気のない場所を探していた。読書の際に1人になるのは、子供の頃からの習慣だ。座り心地の良さそうな場所を見つけたシュユが腰を降ろそうとすると、どこからともなく、呻き声が聞こえて来た。そう言えば、年少の候補生たちが、この辺りに幽霊が出ると噂していた。曰く、恋人に捨てられて自殺した候補生の霊だ、否、蒼龍人の女性と、戦乱多きオリエンスにおいては道ならぬ恋に落ち心中した武官の霊が恋人を探して彷徨っているのだ、そうではない、玄武人の男性と相思相愛になり駆け落ちしようとして、家の名誉を穢す娘とされ、家族に殺された従卒の霊だと。シュユは思わず身震いしたが、怖れてはならないと自身に言い聞かせた。かつて、朱雀南方の大領主であったビョウト家の家訓は愛民、義勇、理不尽だ。民を慈しみ、有事に際してはその身を盾として守る……までは良いが、理不尽とは何だ!? シュユが自問自答を繰り返しているうちに、呻き声は少しずつ、大きくなっていった。貴方は既に亡くなられているのだから、女神エトロの元へ帰り安らかに眠ってくださいと言いながら、シュユが周囲を見回していると、1人の、陶器製の人形の如し美貌を持つ婦人の姿が目に入った。朱雀最高の召喚士とされる乙型ルシ、セツナ卿だ。見れば、彼女の髪の毛が植え込みに絡め取られている。シュユが、卿、大丈夫ですかと訊ねると、セツナは物憂げに首を傾げ、
「…………取れぬ」
「…………取れぬ」