グッバイ・パピーラブ
その1
トラが虎徹とバーナビーの朝食と弁当を作り終えても、二人は起きてこなかった。体内の時計で時間を確認すると、AM7:30を過ぎている。いつもならもう起きてくるはずなのだが、リビングに二人の気配は未だ感じられない。トラが二人と暮らし始めてから、そんな日は度々あった。
二人の名前を呼びながら彼らの部屋をノックしてみても反応は無く、トラはドアを開けて部屋に入ると、寝室に一つしかないベッドで二人は案の定まだ眠っていた。室内は空調が効いているとはいえ、今の季節は冬だ。揃って裸で寒くは無いのだろうかと案じながら、トラはバーナビーの肩を揺する。
「マスター、時間だ。起きて」
「ん…こ、てつ…さん…」
「!」
バーナビーの寝起きの悪さは学習済みだったのだが、咄嗟に反応できずにトラはバーナビーに抱きこまれてしまった。
「マスター、違う、私はコテツじゃない」
マスターであるバーナビーには抵抗出来ない仕様の所為で、トラはバーナビーの腕の中でもぞもぞと動く事しか出来ない。対応に困っていると隣で人の動く気配に視線をやれば、虎徹が大きな伸びをしながら欠伸をしていた。
「バニー、それ、トラだぞー」
「……う?」
虎徹の言葉を理解したのか、バーナビーの抱きしめてくる力が緩む。その隙に虎徹に腕を取られたトラは、引っ張り起こされていた。
「おはよ、トラ」
「ありがとう…おはようコテツ」
へにゃりと笑う虎徹に、トラも笑って返す。上手く笑えているか分からないから、いつも“笑う”時は不安になる。自分の頬にそっと触れてみると、今日も男前だぞ、と微笑んでくれた。ちゃんと出来ていたらしい。そう安堵していると、虎徹の首筋にある鬱血の痕が目に留まる。よくみると身体中に散らばっているそれと、定刻に起きてこない二人。諸々のデータ処理後、昨夜はお楽しみだったのかとデータベースから表現を当てはめると、トラは虎徹の首に手を伸ばした。
「ここはシャツで隠れるが、ここはギリギリだな」
つ、と指先で痕をなぞってやると、虎徹の喉がひくりと震える。
「付けんなって言ったのに…」
痕を手のひらで押さえた虎徹は、隣でまだ静かな寝息を立てているバーナビーを困った顔で見つめた。頬は赤いのは、照れている所為だろう。
「バニー、ほら、起きろー」
先ほどトラがしたより荒く虎徹が揺すっても、バーナビーは唸っただけで布団に潜っていってしまった。こうなったら長い。はぁ、と盛大にため息をついた虎徹は、バーナビーが籠っている布団を両手で掴むと、勢いを付けて剥ぎ取った。
「起きろバニー!」
「……起きないな」
じ、と二人で見下ろすバーナビーは、布団を取られて寒いのか身を縮こまらせただけで、目を開けようとしない。これからどうやって起こそうかとトラが模索していると、ひら、と虎徹の手が差し出された。
「コテツ?」
「起きないバニーはほっとこうぜ。ほら、朝のするんだろ?」
「でもマスターが…っん」
トラの言葉を遮る様に、虎徹の指が無理矢理口内に押し入って来る。その強引な行為を珍しく思ったが、トラは優先順位を切り替えて解析を始めることにした。
「……すっげー今更だけどなんか…これ、朝からトラにやらしーことしてる気分になるなぁ」
「?」
視線を逸らしてもごもごと話す虎徹の言葉の意味がよく理解出来なくて、虎徹の指を咥えていて喋れないトラは、意思表示として首を傾げる。
「……そうですよ虎徹さん。朝からユーフォリア攻撃とか止めて下さいよ。僕を起こしたいんですか」
不意に聞こえた声に揃って視線を向けると、バーナビーが自分の腕を枕にしてこちらを凝視していた。下着一枚で寒そうなのだが、今まで眠りこけていたとは思えないほど元気そうに見える。
「俺達さっきから起こしてたんだけど!?」
叫んだ虎徹の今日の血圧は、いつもより高めだった。
虎徹とバーナビーを送り出してから朝食の片付けを済ませる。それからリビング、風呂場、トイレ、洗面所、寝室と一通りの掃除を済ませたトラがリビングに戻って来ると、消したはずのテレビが点いていた。テレビの正面にあるソファを後ろから覗きこむと、昼前になってようやく起きだして来たらしいウサが、ごろりと寝転がって占拠していた。その様がだらしのないバーナビーのようで、トラはここ数日で覚えた複雑な気持ちとやらを持て余している。
テレビを見やるとHERO TVを放送していて、火災で騒がしい現場を映している。画面の中では、虎徹ことワイルドタイガーたちヒーローの面々が人命救助と消火活動に励んでいた。
「……オレもヒーローになろうかな。ヒーローになればコテツの事を守れるし、ずっと傍に居られるのに」
画面を見ながら、独り言の様にウサは呟く。つい先日、一緒に出社したいと虎徹に言っていたウサが、きっぱりと断られていたのを思い出す。
「NEXTでなければ、ヒーローにはなれないはずだ。それに、コテツはパワー系NEXTだから、守る要素が少ない」
「だから、お前みたいな家庭用で十分だって?」
「!」
ソファの背もたれに触れていた感触が無くなって、トラの視界が反転する。気がついた時には、ソファに寝ていたウサの下にうつ伏せに抑え込まれていた。
「自分の身もロクに守れないで、よく言う」
痛覚は無いため痛みは無いが、先ほどから体内の警告アラームが煩い。さすが護衛用というべきか、トラの護身程度の防衛機能ではウサの動きに反応出来なかった。
「……コテツはどうして、オレなんか引きとったんだ」
そう呟く声も顔もまるで人間の様な悲しさが滲んでいて、トラはウサから目が離せなくなる。
飼い主の役に立ちたいと言う、いわば欲求の様なものが生まれるはずだとバーナビーが言っていたのを思い出す。使役関係を明確にする為だとも言っていたが、それによって虎徹の傍にいることも守る事も出来ないウサには、この現状は不安で仕方が無いのだろう。警告アラームも忘れて見入っていると、急にウサの顔が近くに迫って、触れるだけのキスを受けた。
「不毛だ」
舌打ちと共にそうウサが苦々しく言い放つと、重みが無くなってトラは拘束から解放される。ふらりと立ち上がったウサは、リビングから出て行ってしまった。
「……」
ソファに起き上がって、触れられた唇を押さえてみる。そこには、なんの余韻も無い。トラは虎徹に似せて作られたが、“虎徹”ではないのに。キスの意味を考えあぐねていると、テレビでは先ほどの火災は鎮火したらしく、丁度ワイルドタイガーがインタビューされていた。
作品名:グッバイ・パピーラブ 作家名:くまつぐ