それぞれの一日の終わり
二段ベッドの下の段にもぐりこみ、足元に畳んでいた布をつかんで引っ張りあげながら、冷たいシーツに身を横たえる。その冷たさが心地いい。壁際に立ててあった枕を引き寄せ、その上に頭を乗せて仰向けになり、布を肩まで持ち上げてかけて、眠りやすいように少し身動きしてベッドに深く埋まる。
そうしてアンディは『ふう』とため息を吐いた。
ようやく一日が終わる。
(長かった……)
上の段の板の木目の模様を眺めながら、頭の中で一日の始まりを思い起こす。
朝、こうして寝ていてウォルターに起こされることから始まった。ウォルターの用意してくれた朝食……クロワッサンにハムとレタスを挟んだサンドイッチ……を食べて、ミルクと砂糖入りのコーヒーを飲んで。
学校に行って。
昼、何故だかバジルとレポートをやることになって。不意打ちでされたキスをウォルターに目撃され。
学食で昼食のパスタを食べながらそのことについてウォルターに問われて必死にごまかして。
夕方、放課後にバジルと学校の図書館に行ってレポートにまとめる作家を選んで。決まったはいいが、だまし打ちでキスに持っていかれて、それをまたウォルターに目撃され。
夜は……。
頬に押し当てられた唇の柔らかな感触と温かさ。
それを急いでゆるく首を横に振って追い払う。
(ローストビーフおいしかった、うん)
あえて寮に戻ってすぐのことをすっ飛ばして、その後の寮での夕食について考える。
いつもそんなにいい物が食べられるわけではない。
だが、今日の夕食は『当たり』だった。
その後、部屋に戻って宿題をしていると、昼間出された授業の課題のことについてウォルターが尋ねてきて……。
(そういえば、変なこと言ってたな……)
『大鴉』という詩を知ってるか、とかなんとか。
知らないと答えたら、それで話はおしまいになってしまったけれど。
(何が言いたかったんだろう……?)
課題に選んだ作家のポーの話をしていたから、それに関係したことなのだろうけれど。
まあ、暇な時にでも調べてみよう。
バジルが知っているかもしれない。
ふっと思って、苦い気持ちになる。
これからしばらくはレポートのことで一緒にいる時間が増えることになる。
本当は近寄ることさえしたくないくらいなのに。
もう絶対にキスさせないと決めた。
ただ……今までだって望んでしていたわけじゃないのだ。
自分の中に自分の体なんてどうでもいいという思いがあって、キスされることより、それを気にしていると思われるのが嫌だという思いもあって、確かに暴れたり大声を出したりというような強い抵抗はしなかった。
ただ、それくらいしないと拒めないキスを仕掛けられていたことも確かだ。
(……バジルといる間中マスクでもしてようか……)
それはそれで問題があるような気がする。
だいたいバジルがどう思うか。
ウォルターに言われたからキスを拒むのだということはわかってしまうだろう。
(……変にウォルターのこと気にされなきゃいいんだけど)
図書館でウォルターに引っ張っていかれる際に見たバジルの顔を思い出す。
遊ぼうとしたおもちゃを取られたこどものようなあの悔しげな表情。
そう、自分はバジルにとって、『おもちゃ』みたいなものなのだろう。
冷静にそう思う。
それを取り上げる形になったウォルター。
(気をつけないと危ないかもしれないな……)
あのねじくれたバジルが、恨みからウォルターを傷つけることがないように。
精神的にも、肉体的にも。
まあ、ウォルターは執行部でケンカ慣れしてるし、そう簡単にやられたりしないだろうけど。
それでも。
(バジル……)
不意に怒りからカッと体が熱くなる。
思い出す、過去の出来事。
小学生の時。
あれは雨の日だった。
学校の帰りに公園のベンチの下で野良猫を見つけて、なんとなくその模様がめずらしくて見ていた。
猫は傘を差してうずくまっていたアンディの足元にすり寄って、しがみつくようにして座った。
雨が止むまで、並んで座っていた。
そこをバジルが通りがかって、立ち止まって汚いものでも見るような目で見ていたことを、アンディは気付いていた。
翌日、通学路の途中で昨日の猫の変わり果てた姿を見つけて、誰がやったのかすぐに わかった。
そんなことが何度もあったのだ。
本を破られたり、花壇がめちゃくちゃになったり、標本が壊されたり。
アンディが少しでも気をとられたものが、バジルによって壊される。
でも、もうそうはさせない。
(ウォルターはボクが守ろう)
うん、とひとりうなずいて、目を閉じる。
わざと考えないようにしていることが自然に頭に浮かんでくるが、それをまた考えないようにして。
(考えちゃいけない……)
そうしていつしか眠りに落ちる。
ウォルターの『電気を消すぞ』という声に、『んー……』と返事をしたことを最後に。
作品名:それぞれの一日の終わり 作家名:野村弥広