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ミゼレレ

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1.

 「私のことは好きか」とサガに尋ねられた。それはあまりにも唐突で予期せぬ質問だった。
 ほんの一瞬前まで、気難しい顔をつき合わせながら、聖域の今後の発展に向けて取り組むべき課題を明確にし、互いの知恵を絞りあっていた時だったからである。当然、私は答えに窮して、ただ目を丸くし、沈黙した。
「いや......今のは忘れてくれ」
 僅か数秒足らずの沈黙だったはずだが、すぐさまサガは話を切り替え、先刻とまったく変わらぬ様子で聖域に属する者すべての意見が書き出された書類に目を移したのだった。白昼夢でもみたのだろうかと困惑する私を置き去りにしたまま。
 混乱する頭を整理しようと、サガに問いかけようと口を開きかけたが、タイミング悪く、用事を済ませた者たちが執務室へと戻ってきたため、口を噤んだ。その後もサガに問い質すことができないまま、自宮へと戻ることとなった。
 翌日の明け方早々には個人的な用事のため私はインドへ戻らなくてはならなかった。おそらく一月程度は聖域に戻れないはずだ。その間、私はサガの質問を心の片隅に引っ掛けておかなければならなくなる。そう思うと、早朝にでもサガの元へ訪ねるべきかと悩んだが、ろくに休みも取れていないだろう彼をくだらないことで叩き起こすのは気が引けた。
 結局、私は確認することもなくインドへと戻ったのだった。サガの言葉をずっと心の片隅に置きながら、定められた行事を淡々とこなす。ようやく、周囲の取り巻きたちが去り、ひとりの時間を作ることができた時、いつもとは違ってホッと胸を撫で下ろしている己がいた。
 昼間には人で溢れかえっていた寺院も、今は夜の湿りと共に静まり返っている。手近にあった布を肩に羽織り、境なく繋がる回廊を過ぎると、静謐の闇に包まれた森へ足を向けた。
 時折、小さな風が乾いた葉を揺らす音に耳を傾けながら、眠りにつく森を仄かに照らす月を見上げた。
 インドに着いた時には真円を描いていた月も既に半分以上も欠けているな......と虚ろに思った。


  ―――地球の影が月を覆い隠していくのには時間を要するのに。
  サガは一瞬で、その心を覆い隠した。


 サガという男に関して、私はどのように受け止めているのかじっくりと考えてみることにした。
 サガは聖闘士としての力はもちろん、頭脳も明晰、容姿も秀でており、どう振舞えば最大限に効力を発揮するのか、彼自らもそれは熟知していた。サガは人心を掴むことに長けている。けれども、それは諸刃の剣なのだということもよくわかっており、自重することも決して忘れてはいない。
 過去の咎をサガは今も抱き締め、慎ましやかに生きているのではないかと。サガはサガのすべてを女神に、聖域に、捧げたのだという認識である。愚者として、賢者として、人の醜さも美しさも兼ね備えながら。
 サガは個の概念から超越し、普遍的な全へと変貌したのだと私は捉えていた。それゆえにサガのあの時の質問は私を驚かせ、困惑させた。尋ねられた言葉が「私のどこが好きか」だったら―――きっとすぐに答えられたはずなのに。



  ―――私のことは好きか



 闇夜の森を駆け抜けた乾く風が過ぎるように記憶から再生されたサガの声が耳元を掠める。好きか嫌いかと問われれば、サガのことは「好き」だが......。
 それは私の思う「好き」と彼が思う「好き」が同じ意味合いを持っていればの話だ。私の思う「好き」は普遍的なもの。他の同僚たちを好ましいと思うというものと大した差異はないはずだ。おそらくサガのいう意味合いとは違うのだろうと推測する。
 何よりも雄弁に、張り詰めた空のような瞳がそれを語っていたのだから―――。



作品名:ミゼレレ 作家名:千珠