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 渋沢にとって藤代誠二という少年は、自覚すらしていなかった隙間に気付かせ、それを埋めてくれた存在だった。
 言うなれば、それまで誰も乗り越えることの出来なかった境界線を彼は平気な顔で飛び越え、その先の領域に踏み込んだのだ。さもそれが当たり前という様に。
 えもいわれぬ感覚だった。自分だけだった世界に、別の存在が現れるというのは。
 しかし彼と自分は別の存在ではあれど、全く異なる生き物という訳ではなかった。ある点において、非常に似通っていた。ほぼ同一であったといっても過言ではないだろう。そして同一であったが故に、互いに決して交わりはしない道を歩んでいた。
 それこそが、彼と自分を引き合わせる要因であったともいえるだろう。

 彼の存在は、渋沢の中で日に日に大きく掛け替えのないものとなっていった。そして最初こそ自分でも気が付かない程小さかった隙間は、そこに入り込んだ藤代誠二という存在が大きくなるのと比例して拡がっていく。――拡げた張本人によって常に満たされていたために、渋沢がその大きさを知ることはなかったけれど。
 しかし渋沢は気付いてしまったのだ。埋められていた隙間が、思っていたよりもずっと――目を背けることも出来ない程、大きく拡がっていたということに。
 少女と向き合う彼の姿を見た、あの時。

 いつか藤代は、自分から離れてしまうのだ。
 自分以外の誰かを選んで、その手を取って、自分の手は振り払ってしまうのだ。
 そんな考えたくもない絶望的な未来を、想像してしまった。
 月日が経つにつれ膨らむ、彼への想いとその重さ。
 きっと、それらはこれからも増幅し続けるのだろう。そしてそれは確かに幸せなことに違いない。
 ――彼がずっと隣にいるならば。

 プロになったら、進学したら、――いや、もしかすると明日にでも、彼は自分ではない別の人間のところへ行ってしまうかもしれない。そう考えただけで、言いようのない恐怖に襲われた。
 いまでさえ、こんなにも恐ろしく感じるのだ。自分の中における藤代誠二という存在の大きさが、重さが、更に増してしまったそのときに、彼を失ってしまったら?

 怖かった。
 きっと耐えられないと思った。

 いつかあの手を離さなければいけないなら。
 あの笑顔が離れていくなら。
 それならば、『そのとき』は早い方が――いま、そうしてしまう方が良い。いまならまだ、傷は浅い。

 失いたくない。だからこそ自ら手放してしまおうと、そう決めたのだ。
 隙間がこれ以上拡がってしまう前に。

 自分はGK、彼はFW、そのホジションが変わることがない様に、始めから与えられていた『先輩』と『後輩』というポジションに戻ればずっと変わらず隣にいられるかもしれない。だから渋沢は、『恋人』というポジションを捨てることにした。
 傷付けてしまうことは十分に予想出来た。けれど渋沢は、それを慮ることが出来なかった。
 彼が自分から離れていく未来が、それがもたらすだろう想像を絶する虚無感が、その塗泥の苦しみが、どうしようもなく恐ろしい――そんな思いに支配されてしまった。

 何故ここまで自分本位になれるのだろうか。
 酷く身勝手で醜い自分に、反吐が出そうだった。