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いつか、その日まで【独普】

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 男の手が、自分よりも多くを掴み取れる掌である事が誇らしかった。
「ヴェスト、」
 大丈夫だと、何度目になるか判らない言葉を繰り返す。
 戦場へと向う朝、血に塗れた体を引き摺った夜、名前を失った日、離れる事を決めた時、壁の崩れた瞬間。
 何度も繰り返した言葉に、愛しい弟はただ信じる強い眸を見せてくれる。
「たかが鼻血だ。何ともねぇよ」
 笑うと、男も漸く苦笑した。情けない兄を叱咤する位の勢いがある方がお前らしくて良いのに、けれどやっぱり、苦笑でも笑ってくれた方が嬉しい訳だ。
 笑え、笑え。胸中で呟きながら、鼻を押さえていたタオルを持ち上げると、水気と血液を含んで重さを持ったそれが重力に従って項垂れるような様相で上がった。何とも言えない、嗅ぎ慣れた感を思わせる血臭が脳にフラッシュバックする。
 いつかの日、鏡の中で見た自分の目ン玉と同じ色だ。
「良し、止まったな…?」
 男が離れていく。
 詰めていたような安堵の息を吐き出して、心地良かった胸元のタオルと一緒に離れていくその感触は正しく喪失感だった。
 立ち上がって俺を見下ろす、その眸が恐くなるような。
「そのタオルって何の意味があったんだ?」
 血が張り付いている気がする顔面の皮膚を手で乱暴に拭うと差し出されて、本来の目的はこの為だったんじゃないかと疑問が浮かんだ。否、ただ引き止める言葉を探しただけだろう。
 それを知らない弟は思惑通り、部屋を出て行かずに俺の隣りへ座り、赤く汚れたタオルの処分に唸りながら双眸を細める。
「落ち着ける為だ」
「……何を?」
 鼻はあまり触るな。そう言いつつ、人の手つきに失礼にも不安でも覚えたのか、濡れたタオルを取り返して横から拭い始めた。何処のお子様だよ俺は。
 思いながら、それでも世話好きの男のやりたいようにさせておいた。体躯に似合わない優しい手つきが、気持ち良い。
「心臓を、だ。家庭救急法に載っていた」
「…やっぱり本の知識かよ」
「書物の知識を馬鹿にするな、現にこうして役立っただろう?」
 それに。
 幾許、温かみの戻った男の指先が、額に張り付いていた前髪を払い、水分の残っている髪を梳くようにして撫ぜた。猫を宥めるようだと思って、庭に居る犬達を思い出して、…結局どちらか判らないから気にしない。
 ヴェストの表情は穏やかだ。
「気持ちを落ち着かせるには良いと、書いてあった」
 撫ぜる手のそれが一番、俺を落ち着かせるとは言わないで、「そうか」と返すと男も頷いて見せる。慣れない沈黙がこそばゆくて、嗚呼と、不変を望んでしまった愚かを泣きたくなった。
 大丈夫だ。
 俺にだけ聞こえるように呟いて、厚い胸板にわざとらしく飛び込む。大丈夫だ、俺はまだ消えない。
 兄さんと慌てた弟が愛しくて、赤くなった顔を眸に焼き付けてやった。
 嗚呼それは、


Fortsetzung folgt...?