あんなに一緒だったのに
遊び疲れてその場にしゃがみこみ、人工的にだが、吹き抜ける風を感じる。
急にしゃがみこんだのに少し困ったような顔をしつつも、手を差し伸べてくれたのはいつだって君。
日が沈み、小さな影がはしゃいで夜の帳を歩いていくその光景を見たのだって、いつも君とだったのに。
キラは呆然と闇の中を歩いていた。
終着点は遠い。否、少なくとも始まりはなかったから、きっと終わりもないのだろう。
そこにあるのは完全な無だ。人々が気の遠くなるような長い時間をかけて築き上げた営みもなく、ただ静寂だけが取り残されていた。
行く当てもないが、ここにいても仕方ないことはわかっていた。キラはおぼつかない足取りで歩いた。
荒い呼吸を繰り返す横顔は疲労の色が濃く、孤独という事実が彼の体力を奪っているのは明白だったが、それを癒してくれるものはいなかった。
――――そういえばかくれんぼのときもそうだったとキラはふと思い出した。
幼年学校時代、仲の良かった数人でかくれんぼをしたことがあったが、ナチュラルではない彼は、他の誰も考えつかないような場所に隠れて、友達を困らせたことが多々あった。
子供の遊びほど和やかではないが、いまの状況はそれに似ていた。そして、待っていても誰も来ない孤独から救ってくれたのは、いつだって、たったひとりだったことを思い出してしまい、キラはかぶりを振った。
こんなところにいたのか。苦笑する声が響く。みんな心配しているよ、さあ帰ろう。
そう言って手を差し伸べてくれる、たったそれだけのことがどれだけ嬉しかったなんて恥ずかしくて言えないし、血に汚れた今の自分がそれを思い出すのは、大切なものを穢す気がして嫌だった。
「アスラン」
久々に声を出してその名を呼んでみる。それは風邪を引いたときのように掠れ、生娘のようだと自分でもおかしいほどだった。親友。仲間。家族。愛しいひと。どんな言葉で彼を語れば、この想いが伝わるのだろう。
ふらふらと危なっかしい足取りでキラは進んだ。そうして向かった先に一枚の鏡があることに気付いた。
なにもない空間にひとつだけ浮かんでいる鏡。キラの全身を映してもまだ背丈があまるその鏡は、縁が金で彩られていた。つくりからいって随分と年代もののようだが、曇りひとつなく燦然と輝いていた。
キラは近付き、鏡に右手を寄せてみた。
鏡の中のキラは不思議そうな面持ちで左手を寄せている。
次は、ぎゅっと目をつぶってみた。
目を開けたとき鏡の中にいたのは男を見、瞬間、心臓をわしづかみにされるような衝撃が走りぬけた。
鏡に映っていたのは、真紅の軍服に身を包み、怖いほど静かな目をした男。
「アスラン…」
呼びかけるが鏡の中のアスランに変化はない。無表情のままだ。
戦っているときはこんな余裕はなく、お互いの想いをぶつけるようにしていたから戸惑わずにいられた。
否、戸惑う余裕などなかったが――――アスランは気付いているのかわからないが――――こんなふうに真正面から会うとなんだか居心地が悪い(彼の前が居心地の悪いものだったことなんて一度もなかったのに)。
「…アスラン。僕のことが見えてる?」
いつも彼がしていたように、ちょっと困ったふうに笑ってみせた。だがアスランは微動だにしない。
そのままの笑顔でキラはもう一度言葉をつむいだ。
「アスラン、気付いているなら応えて」
今度の呼びかけにはリアクションがあった。無表情でどこかを見据えていたアスランがたじろいだのだ。
鏡の中のアスランが目を閉じた。
アスランがこちらに背を向け、鏡に寄りかかるように座り込んだ。しばらく見ないうちに随分と広くなった背中を眺めた後キラも同じように座り込んだ。そういえばおんぶされたこともあったなと、キラは自然と笑みをこぼした。
争い、いがみ合えば合うほど、よかったときのことを思い出してしまう。眠っていたキラをおぶさって家まで連れ帰ってくれたこと。眠っていたアスランにそっとブランケットをかけてあげたこと。この身に刻み込まれた幸せの記憶が鮮やかに甦っていく。
『…仕方ないんだ』
背中越しにだがアスランの声が聞こえたような気がした。キラは顔を上げ、こちらを向かない幼馴染を見つめたが彼がこちらを振り向く気配がないのは一目瞭然で、けれどそれでも期待した。
『しかたないことなんだ…』
先ほどよりもっとはっきり聞こえた。懐かしい、その声。
キラは悲しげな顔をした。仕方ないで済ませられたらどんなにいいか。
知らず知らずのうちに涙がたまっていくのがわかった。遺伝子改良されているくせに、そんなに強くない涙腺がアスランに会ったことで更に緩んでいるのだろうと冷静に分析できたが、止めることは出来ない。
「…しかたがない、ですませられたら…」
どんなにいいか。それでも『仕方ない』ですませたいのなら、せめて、せめて。
「アスラン」
先ほどよりすこし強い口調で呼びかける。いまのキラには、呼びかけることしか許されていないから。
けれどもアスランは振り向いたりしない。それは彼のまとっている真紅の軍服が物語っていた。その真紅にはきっと
返り血を浴びても決して立ち止まらないという決意を示しているのだろう。
お互い譲れないものができ、守りたいものができ、たいせつなものができてしまった。
もうあの頃のようには戻れない。ふたりのあいだには越えることはおろか、触れることさえ出来ない壁が山のように
聳え立っている。子供に戻るにはもう遅すぎた。いろんなことを知りすぎてしまったから。
「…アスラン…!」
悲鳴にも似た声にアスランがようやく振り返り、そしてひどく慌てたようなそぶりを見せた。
キラは泣いていた。
その紫苑の双眼から大粒の涙をぼろぼろこぼして、傷ついた、痛々しい表情でアスランを見つめていた。
キラの泣き顔を見て、アスランも悲しそうな顔をした。昔からアスランはキラが泣いたり悲しんだり、負の表情をするのを極端に嫌がった。キラには笑顔のほうがいいよと言って、彼が穏やかでいられるように慈しんできた。ときには恋人のように、ときには母親のように。
アスランは手を伸ばしたが鏡のせいでそれがかなわないことを知った。アスランは舌打ちし、自分をののしる何事かを呟き、顔を背けた。敵同士になったいまでもアスランはキラを守ろうとしているのは、同じようにその身に刻み込んだ幸せの記憶のせいだろうか?
キラはアスランの一挙一動から目を離せないでいた。幼い頃には感じなかった、彼の魅力。抗いがたいなにかが見えない糸を引いているのではないかと思われるほど堕ちていく衝動を感じた。
魅せられている。
自分でも驚くほどたしかで揺らぐことがなかった。
いっそ消してくれと思うほどに。
鏡越しに、ふたりは見詰め合う。
ふたりはそれぞれ膝立ちになってお互いの姿を映しこんでいる。
作品名:あんなに一緒だったのに 作家名:ジェストーナ