【サンプル】accele rando【新刊】
今回の弓に纏わる話でもそうだったが、翔はいつも砂月の掌の上で踊らされていた。この前の課題を降りるという喧嘩をした時も、話が縺れていくにつれ砂月の思惑通りに事が進み、結果、現在も砂月と供に練習をしている、あんなに嫌だといったのにだ。
砂月の言葉使いはお世辞にも礼儀正しいとは言えない、いつもいつも人の嫌がる言葉を選んであえて自分から他人を突き放す。行為そのものは子供じみている様に感じるかもしれないが、砂月は寧ろ同じ年齢の学生と比べ頭も良ければ状況判断力など、いざという時の対応も大人だ。意見も言葉が悪いだけで全て的を射ていて間違った事は言わない。そして最終的には自分が思った結末を引き寄せてしまう。常に移り変わる現状が手に取る様に分かるのだろうか、他人を思い通りに操るなど本来なら至難の業だ。
ではいったい何故砂月はこうも簡単に他人を操る事ができるのだろうか。
「なんだよチビ、さっきからチラチラ見やがって。お前が見る物は別にあるだろうが」
そういって弓で叩かれる譜面台に載せられた楽譜。注意書きで真っ赤になった楽譜に視線を戻すと、途端に翔は閃く、そしてあまりにも単純な理由に急に笑い出してしまった。勿論気が狂ったからではない、砂月が自分の思う通りにいつも皆を操る仕掛けに気付いたからだ。
「どうした、気でも狂ったか」
隣で急に大笑いしだした相手に驚くものの、元から鋭かった視線は失われずに翔へ向けられ続ける。
「ははっ、別に?」
向けられる視線の痛みに大きな笑いは収まったものの、未だにニヤニヤと引き締まらない翔の表情に、呆れてため息の漏れる砂月。
「お前って不器用なんだか器用なんだか、分かんねぇ奴だよな」
「はぁ?」
砂月が他人を思う通りに動かす秘密、それは単純に相手の事をよく見ているからだ。もしかしたら本人以上にその人の事を知っているかもしれない。それ程砂月は他人をよく見ている、これは最早観察していると言っても差支えがない程で、幼いころから那月の影として辛く苦しい部分を背負い続けて生きた、彼の人生がそうさせるのかもしれないが、兎に角砂月は他人をよく観察しよく理解している。どういう言葉を使えば相手が思い通りに動いてくれるのか、どんな行動をとればその場を思惑通りの状況にできるのか。その身一つで現状を変化させられる。下手な技術や技など何もない、いや、他人をよく理解できる事自体が技術なのかもしれないが、単純で当たり前の事を砂月は極めている、それだけだったのだ。
「不器用だと? そういう事は俺より何か一つでも上をいってから言え」
しかし一つ疑問が残る、相手の事を理解しているのなら、何故わざわざ人を傷つける様な言葉を使って話すのだろうか? その能力を駆使してもっと効果的にずっとスムーズにトラブルなく話をつけることができるのではないか?
「悪かったな、いつも2番目で!」
砂月がとった行動は、そのまま那月の印象や評価へと反映される。那月を何よりも大切に思っている筈の砂月が何故、意図して那月を困らせ評価を下げるような行動をとるのだろう。更に、彼は無駄な時間というものを酷く嫌う、無駄な会話も無駄な行動も嫌いだ。にもかかわらず毎回砂月は、翔と練習をする時に意識して相手を怒らせるような行動と言動をとる。相手を怒らせればそれだけ解決するために無駄な時間を使い、無駄な労力を消費する、本来なら必要としていない行動をとらざる負えなくなるのだ。砂月も十分理解しているだろう、それでも砂月は自分の態度や言動を改めようとは微塵も思っていない。
「分かってるなら大人しく楽譜を追っていればいいんだよ」
砂月を理解すればする程深まっていく謎、進んで無駄と思われる時間を消費し、相手を傷つける。砂月は何を考え、何を思っているのだろうか、今の翔にはまだ彼の深層部を理解することはできない。
「…………」
性格もあるのだろうが、一度気になりだすと答えが出るまでスッキリしない性質の翔は、何か気の利いた言い回しで深層部を探ろうかと考えたが、無言でこちらの様子をうかがう砂月の姿を見て、今が大切な課題の練習中であることを思い出す。別に忘れていたわけではないのだが、自分の中の意識が砂月へ向いていた事に気付き、翔は驚かされる。砂月に対し今まで苛ついたり怒った事はあれど、本当に真剣に向き合った事はなかったかもしれない。
「暫くはお前と練習するんだよな?」
「はぁ? 今更何言ってんだ、那月を出せって言っても無駄だぜ」
そうじゃない、否定を口にした翔に何か言いたげな視線を向けたものの、気にしても意味のない事だと判断したのだろう、結局何を言うこともなく動かない翔を急かして自分もヴィオラと音楽に耳を傾けた。
隣で鳴り響く美しくも雄々しい音を聞きながら、翔はゆっくりと目蓋を閉じる。奏でられる音一つ一つに砂月の思いや願いが込められているような気がして、それを一つたりとも聞き逃したくなくて。
作品名:【サンプル】accele rando【新刊】 作家名:あやめ@原稿中