回遊魚
珍しいことにSOS団兼文芸部部室に一番乗りしたのは俺だった。テストが一段落した今日、弁当まで持ち込んでいそいそとどうでもいい活動に身をやつす俺は、どこからどう見ても完璧なる暇人だった。ふぇおぅ、とよく分からない息を吐き、置いてある机に荷物を下ろす。
静かな部室だ。元々文芸部室は静かな部屋だった。それにまだどの部活も弁当を片付けているところだろう。俺もそうするか、と軽くなった鞄を置く。昨日まで中につまっていた教科書の類は全部置いてきたし、ぺらっぺらのスクールバッグを見ると嬉しさで色々込み上げるものがある。
「……おや」
いそいそと弁当を広げた俺の隣から、よく聞く鬱陶しい声がした。間違えようもない、古泉の声である。
「あなたが一番乗りとは、珍しいですね」
「お前が早めに来ることの方が珍しいっての」
顔を上げずに答えた。弁当の中身が三色しかない。ごま塩のかかった飯、冷凍食品の唐揚げと、昨日の残りのしゃけ。所要時間三分ってところか。
古泉は俺の前に座った。鞄から出てくるものはなく、机に置かれたのは購買で買ったらしい紙パックのコーヒー牛乳だけだ。俺は自分の飲み物を忘れたことに気付き、弁当を片付けつつ鞄の中身を確認した。財布がなかった。
「涼宮さんは、掃除当番ですか?」
古泉は手持ちのコーヒー牛乳に手を付けることもなく、鞄から何やらノートを取り出して言った。何だそれは、ハルヒの観察日記か。
俺は首を縦に振る。ハルヒはサボりにくい教室係だ。今頃むすっとした顔でほうきを操っているに違いなかった。ちりとりじゃないだろう。そんな性格じゃない。
「テストはどうでした?」
俺は水分がないせいで飲み込むのに苦労していた。会話が止まるのは仕方ないが嫌な話題をふるやつだ。俺はどうにか咀嚼したわけだが、答えるべきか迷った。
「よくできたとでも言って欲しいのか?」
「よくできたんですか?」
「よくできるわけないだろ」
古泉はそれもそうですね、とでも言いたげに口を動かしたが、声にはしなかった。そこそこの思いやりはあるらしい。
「そもそも一組と九組じゃ問題違うだろ、日程も」
「僕のところは今日は古文と数学でした」
「うちは数学と古文だ」
日程は同じだった。俺は記号と数字で埋められた脳内が、助動詞の活用表に染められておかしな音を立てていたのを思い出した。ちなみに初日は英語のライティングとリーディングで、思えばその時から燃え尽きていたな。
「涼宮さんはよくできたんでしょうね」
「ハルヒはずっと寝てたぞ」
「よくご存じで」
「回収の時まで起きなかったからな」
お陰で俺の列だけテスト回収が遅れたくらいだった。当のハルヒに悪びれる様子は全くない。あれで成績不振だったら、来年辺り学年が離れて下の奴らが酷い目に遭うだろう。
「さすがは涼宮さんですね」
「あんまりあいつの話題をすると、」
「皆揃ってるー?って男二人しかいないじゃない、華がないわね華が」
俺が箸を突き出しつつ顔をしかめると、その話題の主が勢いよくドアを開けて突っ込んできた。ハルヒはがっくりと息を吐く俺のことなど視界に入れず、ずんずんと団長席に座る。今思ったが、その席は特別席というよりは仲間外れの席だな。
「全くうちのクラスの掃除係ときたら私以外には無能しか揃ってないのかしら!机の移動にあれだけかかるなんてもう人権侵害としか思えないわ、他人の椅子なんてその席を使う奴に降ろさせときゃいいのよ!面倒なことこの上ない」
「次の朝に自分の椅子だけ机に乗ったままだったら嫌がらせになるだろうが」
そっちの方が人権侵害である。ハルヒはどすん、と鞄を置くと、パソコンのキーボードを押してスペースを作った。こいつも弁当なのが少し意外である。
「じゃあ暇な運動部にやらせればいいのよ、運動になるでしょ」
「なるか?」
「上腕二頭筋に効くわ。ダイエット希望の女子にやらせてもいいわね」
適当なことを言ってるんじゃない、と思ったが、どうせ人の話など聞かない人間である。ハルヒは空の弁当箱をしまう俺と、わびしく紙パックをすする古泉を見て目を丸めた。
「古泉くん、ご飯それだけ?」
「ええ、頭を使いましたし、甘いものをと」
「キョンのを奪っちゃえばよかったのに。私が許すわよ」
お前が許しても俺が許すはずないだろう、どんな横暴だよ
「朝食が重かったもので、まだいらないんですよ」
「そう?朝昼晩しっかり食べなきゃみくるちゃんみたくなれないわよ」
ははは、と妙な笑い方をする古泉。大きくなれないとハルヒは言いたいのだろうが、色んな意味で古泉が朝比奈さんみたいになったらまずいだろう。
ハルヒは食べながら話すタイプの人間らしく、いつの間にか弁当箱の中身がほとんど空になっているのが見えた。残りをさっさと食べ終えると、
「はあ、喉がつまるわね。みくるちゃんはまだかしら」
と失礼なことを言った。朝比奈さんは完璧に動くペットボトル扱いである。
「噂をすれば、ですからね」
古泉が適当なことを口走る。そんなことを言ったらハルヒが無理やりにでも喋りまくり、結果としてハルヒの「望み」が実現されてしまうわけで。
「ご、ごめんなさい、もう皆さん揃っちゃいましたかぁ……?」
パタパタ廊下を走る音が聞こえたかと思ったら、朝比奈さんが息を切らして部屋のドアを開けるところだった。こんか得体の知れない活動をする場所に、そんなに焦ってくることはありませんよ朝比奈さん。そういえば今日集まるとも決まっていなかったのに、よくよく暇人が揃っているものだ。
「まだ有希が来てないわ、珍しいわね。それよりみくるちゃん、私お茶が飲みたいわ」
「はい、ちょっと待って下さいね、着替えたらすぐ、」
とそこで朝比奈さんの言葉が止まった。何を言わんとしているかは言わなくても分かりますよ朝比奈さん。俺はこそっと音を立てずに部屋の外へ退散する。
「これは失礼しました」
古泉は余計なことを言い、俺のあとから出て扉を閉めた。中の音が聞こえないよう、窓際まで移動する。
窓際からは中庭が見えた。既に着替えてジャージ姿の生徒がいるが、移動する様子もなくのんびり寝転がっていた。何をしたいんだろう。
「そういえば」
古泉はぽん、とわざとらしく手を打った。どうせろくなことを思い付いているに違いないので、ちらと顔を上げるだけで返事はしない。
「カードゲームをしていないですね。トランプとか、花札とか」
「花札は知らんが、トランプは二人遊びには向かんぞ。手札が知れるしな」
思わず突っ込んでしまう俺の常識人っぷりよ。
「そこで考えたんですけどね、もう二人ほどいると仮定して、手札を四人分配るんです。その上で好きな組を取る。そうしたら手札が想像できなくて面白みが増すでしょう?」
「それでこなせるゲームは大富豪くらいだろうが、それでもお前は弱そうだからな」
きっと物凄く偏ったカードが来るのだろう。こいつの勝負運のなさは本当に致命的である。
「大人しく全員に配って、と、長門」
長門が音も立てずに歩いてくるのが見えたので、古泉との駄弁を切り上げて声をかけた。相変わらずの無表情プラス忍者みたいな姿勢のよさで部室前に止まる。
「ああ、中で朝比奈さんが着替えてるんだ。お前は入って大丈夫だろ」
静かな部室だ。元々文芸部室は静かな部屋だった。それにまだどの部活も弁当を片付けているところだろう。俺もそうするか、と軽くなった鞄を置く。昨日まで中につまっていた教科書の類は全部置いてきたし、ぺらっぺらのスクールバッグを見ると嬉しさで色々込み上げるものがある。
「……おや」
いそいそと弁当を広げた俺の隣から、よく聞く鬱陶しい声がした。間違えようもない、古泉の声である。
「あなたが一番乗りとは、珍しいですね」
「お前が早めに来ることの方が珍しいっての」
顔を上げずに答えた。弁当の中身が三色しかない。ごま塩のかかった飯、冷凍食品の唐揚げと、昨日の残りのしゃけ。所要時間三分ってところか。
古泉は俺の前に座った。鞄から出てくるものはなく、机に置かれたのは購買で買ったらしい紙パックのコーヒー牛乳だけだ。俺は自分の飲み物を忘れたことに気付き、弁当を片付けつつ鞄の中身を確認した。財布がなかった。
「涼宮さんは、掃除当番ですか?」
古泉は手持ちのコーヒー牛乳に手を付けることもなく、鞄から何やらノートを取り出して言った。何だそれは、ハルヒの観察日記か。
俺は首を縦に振る。ハルヒはサボりにくい教室係だ。今頃むすっとした顔でほうきを操っているに違いなかった。ちりとりじゃないだろう。そんな性格じゃない。
「テストはどうでした?」
俺は水分がないせいで飲み込むのに苦労していた。会話が止まるのは仕方ないが嫌な話題をふるやつだ。俺はどうにか咀嚼したわけだが、答えるべきか迷った。
「よくできたとでも言って欲しいのか?」
「よくできたんですか?」
「よくできるわけないだろ」
古泉はそれもそうですね、とでも言いたげに口を動かしたが、声にはしなかった。そこそこの思いやりはあるらしい。
「そもそも一組と九組じゃ問題違うだろ、日程も」
「僕のところは今日は古文と数学でした」
「うちは数学と古文だ」
日程は同じだった。俺は記号と数字で埋められた脳内が、助動詞の活用表に染められておかしな音を立てていたのを思い出した。ちなみに初日は英語のライティングとリーディングで、思えばその時から燃え尽きていたな。
「涼宮さんはよくできたんでしょうね」
「ハルヒはずっと寝てたぞ」
「よくご存じで」
「回収の時まで起きなかったからな」
お陰で俺の列だけテスト回収が遅れたくらいだった。当のハルヒに悪びれる様子は全くない。あれで成績不振だったら、来年辺り学年が離れて下の奴らが酷い目に遭うだろう。
「さすがは涼宮さんですね」
「あんまりあいつの話題をすると、」
「皆揃ってるー?って男二人しかいないじゃない、華がないわね華が」
俺が箸を突き出しつつ顔をしかめると、その話題の主が勢いよくドアを開けて突っ込んできた。ハルヒはがっくりと息を吐く俺のことなど視界に入れず、ずんずんと団長席に座る。今思ったが、その席は特別席というよりは仲間外れの席だな。
「全くうちのクラスの掃除係ときたら私以外には無能しか揃ってないのかしら!机の移動にあれだけかかるなんてもう人権侵害としか思えないわ、他人の椅子なんてその席を使う奴に降ろさせときゃいいのよ!面倒なことこの上ない」
「次の朝に自分の椅子だけ机に乗ったままだったら嫌がらせになるだろうが」
そっちの方が人権侵害である。ハルヒはどすん、と鞄を置くと、パソコンのキーボードを押してスペースを作った。こいつも弁当なのが少し意外である。
「じゃあ暇な運動部にやらせればいいのよ、運動になるでしょ」
「なるか?」
「上腕二頭筋に効くわ。ダイエット希望の女子にやらせてもいいわね」
適当なことを言ってるんじゃない、と思ったが、どうせ人の話など聞かない人間である。ハルヒは空の弁当箱をしまう俺と、わびしく紙パックをすする古泉を見て目を丸めた。
「古泉くん、ご飯それだけ?」
「ええ、頭を使いましたし、甘いものをと」
「キョンのを奪っちゃえばよかったのに。私が許すわよ」
お前が許しても俺が許すはずないだろう、どんな横暴だよ
「朝食が重かったもので、まだいらないんですよ」
「そう?朝昼晩しっかり食べなきゃみくるちゃんみたくなれないわよ」
ははは、と妙な笑い方をする古泉。大きくなれないとハルヒは言いたいのだろうが、色んな意味で古泉が朝比奈さんみたいになったらまずいだろう。
ハルヒは食べながら話すタイプの人間らしく、いつの間にか弁当箱の中身がほとんど空になっているのが見えた。残りをさっさと食べ終えると、
「はあ、喉がつまるわね。みくるちゃんはまだかしら」
と失礼なことを言った。朝比奈さんは完璧に動くペットボトル扱いである。
「噂をすれば、ですからね」
古泉が適当なことを口走る。そんなことを言ったらハルヒが無理やりにでも喋りまくり、結果としてハルヒの「望み」が実現されてしまうわけで。
「ご、ごめんなさい、もう皆さん揃っちゃいましたかぁ……?」
パタパタ廊下を走る音が聞こえたかと思ったら、朝比奈さんが息を切らして部屋のドアを開けるところだった。こんか得体の知れない活動をする場所に、そんなに焦ってくることはありませんよ朝比奈さん。そういえば今日集まるとも決まっていなかったのに、よくよく暇人が揃っているものだ。
「まだ有希が来てないわ、珍しいわね。それよりみくるちゃん、私お茶が飲みたいわ」
「はい、ちょっと待って下さいね、着替えたらすぐ、」
とそこで朝比奈さんの言葉が止まった。何を言わんとしているかは言わなくても分かりますよ朝比奈さん。俺はこそっと音を立てずに部屋の外へ退散する。
「これは失礼しました」
古泉は余計なことを言い、俺のあとから出て扉を閉めた。中の音が聞こえないよう、窓際まで移動する。
窓際からは中庭が見えた。既に着替えてジャージ姿の生徒がいるが、移動する様子もなくのんびり寝転がっていた。何をしたいんだろう。
「そういえば」
古泉はぽん、とわざとらしく手を打った。どうせろくなことを思い付いているに違いないので、ちらと顔を上げるだけで返事はしない。
「カードゲームをしていないですね。トランプとか、花札とか」
「花札は知らんが、トランプは二人遊びには向かんぞ。手札が知れるしな」
思わず突っ込んでしまう俺の常識人っぷりよ。
「そこで考えたんですけどね、もう二人ほどいると仮定して、手札を四人分配るんです。その上で好きな組を取る。そうしたら手札が想像できなくて面白みが増すでしょう?」
「それでこなせるゲームは大富豪くらいだろうが、それでもお前は弱そうだからな」
きっと物凄く偏ったカードが来るのだろう。こいつの勝負運のなさは本当に致命的である。
「大人しく全員に配って、と、長門」
長門が音も立てずに歩いてくるのが見えたので、古泉との駄弁を切り上げて声をかけた。相変わらずの無表情プラス忍者みたいな姿勢のよさで部室前に止まる。
「ああ、中で朝比奈さんが着替えてるんだ。お前は入って大丈夫だろ」