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満たされた腹を知らず

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 ある朝スペインが目覚めると、ベッドにはスペイン一人しかいなかった。昨晩同じベッドで寝たはずのロマーノの姿は消えていた。
 上体を起こしてきょろきょろと辺りを見回す。ふと下腹に鼓動を感じた気がしてそこを見た。何も無かったが、スペインは何となく全部分かった気がしてふわりと笑んだ。
「おはよう、ロマ」
 スペインがそう言って撫でたのは、きっと女なら子宮のある辺りだった。

「ロマがいなくなってん」
 スペイン邸の庭先だ。上司達の話し合いにひょっこりついてきたフランスとプロイセンはスペインと共にメイドの用意した茶と菓子で一息ついていたところだった。さっきまでの会話の続き、「そういえばな」と日常会話の調子そのままでスペインが発した言葉に、フランスはカップに口を付けようとした姿勢で、プロイセンは菓子を口に入れようとした姿勢で固まった。
 二人の様子をどういう風に解釈したのか、スペインは慌てて手を振った。
「ああ、いなくなったいうてもそない大袈裟なもんやないねん」
「だ、だよなー、はは! てめえがそんなこと許すはずねえもんな!」
 先に動き出したのはプロイセンだった。プロイセンはぎくしゃくした空気を霧散させるかのように高笑いをして、手に持っていた菓子を勢い良く自分の口に放り込んでむせた。そのプロイセンの背を撫でながらフランスはスペインに聞いた。
「じゃあどういうことなんだよ」
「消えてもうたんよ。綺麗さっぱり」
 二人の動きは再び止まった。二人ともロマーノとの付き合いは短くない。
「……大袈裟、だろうが」
 プロイセンが呻くように言った。それを皮切りに二人は矢継ぎ早に聞いた。
「上司には言ったのか? イタリアは知ってんのか?」
「坊ちゃんはどうした? 俺達よりまずあいつに報告するのが先だろうよ」
「ちょ、ちょ、そないいっぺんに言われても答えられへんって」
 スペインは先程と同じように手を振って二人を制した。
「順番に答えてくさかい、ちょっと待ちい。まずは上司はん?」
 二人が頷いたのを確認してスペインが話し出した。
「当然真っ先に話したわ。最初は戸惑っとったけど最後には喜んどったよ」
 ロマの方の上司には伏せときってきっつく言われたなあ、とスペインは頬を掻いた。当然だろうとフランスとプロイセンは思う。スペインの上司がそうスペインを説くのにどれだけの時間と労力を使ったのか、察するに余りある。言ってもいいことと悪いことの区別が付かないのがスペインだからだ。
 フランスは一つの、そして最大の可能性を挙げた。
「……お前の支配が完成したと?」
 ところがスペインは首をひねった。
「うーん、上司はんはそう言って喜んどるんやけど、俺は正直そうは思わへんのよ。お前らから見て、『俺の支配(おれ)』は『あの国(ロマーノ)』を完全に同化させとった?」
 二人は少し考えた。そして、
「そうは思わねえ」
 二人とも首を横に振ってそう言った。
「やろ」
 スペインはくるりとフォークを回して答えた。さっぱり要領を得ないスペインの返答にフランスとプロイセンの苛立ちは募るばかりだ。
「だったらロマーノはどうしたんだ?」
「俺にもよく分からんへんのやけど」
 スペインはさく、と皿の焼き菓子にフォークを刺した。そのままちょいちょいと適当な大きさに切り分けていく。
「心当たりはあるんやけど、それはまあ後で話すわ」
 スペインは一切れをひょいっと口に放り込んでもぐもぐと口を動かした。その間がフランスとプロイセンにとってはたまらなくもどかしく感じられることに、恐らく微塵も気付かないまま。
「ほんで次はオーストリアやろ?」
 オーストリアには既に知らせたとスペインは言った。曰くオーストリアも忙しく、書面だけのやりとりだったので実際の動揺のほどは分からない。ただ「イタリアには黙っていなさいいいですね」としつこいぐらいに釘を刺された、と。
 プロイセンが感じる気難しさと愛を口にする愉悦の真ん中のような微妙な表情で言った。
「イタリアちゃんに気を遣ったんだろうな」
「まあ当然そうやろね。それぐらい俺にも分かるわ」
「それが分からないのがお前なんだろうが」
 フランスが茶々を入れた。プロイセンは大きく頷く。「心外やわあ」という言葉は当然黙殺された。
「そんでな、心当たりのことなんやけど」
「おお、それだそれだ。んでどこなんだよそれは」
 プロイセンが身を乗り出した。スペインはフォークから手を離してそのまま自分の腹に持っていった。
「ここなんや」
「……は?」
 プロイセンは思わず声を出した。フランスも何も言わないが片目をすがめてうろんげな表情をしている。
「それが『心当たり』なんやけどな。ここにおるって感じがすんねん」
 スペインはいとおしげに自分の腹を撫でた。フランスとプロイセンはその表情にいやというほど見覚えがあった。
 彼らが自分の国の王族と触れ合う機会は多い。そして彼らの寿命上、自然、妊娠や出産といった時節にいきあうことも多かった。
 スペインの慈愛に満ちた顔は、まさしく女が子を孕んだ時の顔だった。妻の膨れた腹を撫でる夫もしくは父の表情ではなかった。女の、表情(かお)だった。
 プロイセンは化け物でも見るかのような目付きでスペインを見た。何故そんな顔をされなければならないのだろうとスペインは心底疑問に思ったが、別にいいかと気を取り直した。
「侵略、統合、割譲、上司の結婚、おんなじ上司」
 歌うようにスペインは指折り条件を数えていく。
「俺達はそういうことでいなくなるやろ」
 二人は同意を求められてとりあえず頷いた。スペインはそれを確認して続けう。
「あの半島の南半分が消えてまった訳やない。体制も大きくは変わっとらん。でもロマはおらんくなった。じゃあロマはどこにおるんかって考えて、どうしても分からへんかったから、ここにおったら嬉しいなあっていう俺の希望やよ。俺は子ォ産めんし、そもそも俺達みたいなのの女の子がそういうことになるのかどうかなんて知らへんけど」
 フランスの属国に女のものがいるようにスペインにはベルギーがいるので、自分達みたいなものに一応の雄雌(おすめす)の区別があることは知っている。プロイセンにも、まあ多少特殊な事例ではあったがハンガリーがいる。ただ、誰も彼女らが孕みうるのかどうかまでは知らなかった。
 自分達の性別の意味は誰も知らない。三人に至ってはただ剣を振るう力があってよかったなあという実感しか。平均的な男の膂力は平均的な女のそれに勝る。
「ロマが俺になったってことだけは分かるから。だってそういうことやろ。あの半島は変わらず在るのにロマはおらへんのやから」
 スペインが撫でる自分の腹、実際そこには何も無いのだろう。もう一つの鼓動はおろか、そもそも空っぽになり得る器が無いのだ。だがスペインは「ロマーノのいる場所」として自分の腹を見ている。慈愛の表情でそこを撫でる。スペインがそれらを全て無意識の内に行っているであろうことがフランスとプロイセンにとって空恐ろしかった。
 スペインは二人の内心などお構いなしに続ける。
作品名:満たされた腹を知らず 作家名:あかり