出会い(チェシャ猫と帽子屋 編)
疲れた。
くだらない用事に三時間帯も費やしてしまった。後始末は部下に任せて一人先に戻る。
異様に身体がだるい。寝転んで目を閉じると、睡魔に身を任せて眠る。
「ボリス。それじゃ、先に行ってるね。」
「あ、うん。気をつけて。そうだ、俺の分は熱い紅茶止めてよね。」
振り返ったアリスは、笑顔で親指と人差し指で丸を作る。それから手を振ると、長い金髪を揺らしながら遠ざかって行った。その後ろ姿を見ながら思わず顔がにやけてしまう。
「は~あ、いいねぇ若いもんは楽しそうで。」
声をかけてきたのはゴーランド。この遊園地のオーナーだ。肘でボリスを小突きながら白い歯を見せて笑う。
「うっせ! 厄介事頼んでおいて何だよ!」
そうだ、ボリスはアリスと出かける直前になってゴーランドに用事を頼まれてしまい機嫌が悪いのだ。遊園地のお得意さんがボリスの大ファンとかで、一緒に園内を廻って欲しいと頼まれたのだった。ボリスも居候とはいえ此処に厄介になっている身、特に最近はアリス絡みの厄介事を引き受けてくれているから、無下には断れない。
「まぁ、そう言うなよ。うちも客商売だからな、お得意さんの我が儘にも偶には応えなきゃな。」
ボリスの肩に腕を回すと、お得意さんの待つ方向へ歩き出す。
「へいへい・・解ってますよ。」
「そういやさっきも来てたぜ、例の宰相さんがよ。全く懲りねえ奴だな。」
「なんだよおっさん、俺も呼んでくれれば良かったのに。」
「はあ? 鼻の下伸ばして、俺って猫舌なんだよね~とか惚けてると死ぬぞ? 宰相さんは必死だからなぁ。」
ペーターは城の仕事が余程暇なのか、頻回に訪れては遊園地のゲート付近でアリスを返せと騒ぎ立てる。毎度最後は銃撃戦になるわけだが、宰相殿の銃の腕は素晴らしく、一撃で決めてくる。急所を外さない。そんな腕でもなければ、単身敵地になんて乗り込んでは来ないのだろうが。ゴーランドは暗にその事を言っているのだろう。
「でもさ~、最近撃ってないし腕が鈍る気がしてさ。」
「おいおい、いいのか? 愛しのアリスちゃんに見られたら嫌われるぞ~」
ボリスは自分の大好きな趣味を、アリスには隠している。銃の携帯はしているが、それはこの国の常識としてという事になっているのだ。園内のスタッフも全員携帯しているところから、アリスの中では、異国の常識と理解しているようだ。いづれは危険が迫れば使わざるを得ない場面もあるだろう。そういう状況は避けたいが、此方での常識をどうしたら理解してもらえるのか、そこが悩むところだ。
ボリスは、ゴーランドと観覧車の方へ向かう。幾つか一緒に乗り物に乗って、お話し相手になるだけだ。今までならお客を楽しませながら自分も適当に楽しんでいた。ところが今日は観覧車に乗っても、相手から話しかけられても上の空。窓の外の森。今、アリスは何処ら辺りを歩いているのだろうか。危ない目に遭っていないだろうか。そればかりが頭を過ぎる。
初めて会った時、アリスはこの世界に着いたばかりだと言っていた。
ハートの城からの帰り道、ボリスは往来の真ん中で挙動不審な少女を見かけた。金色の髪に青いリボン。青と白のエプロンドレスの少女。此方に気付くと、明らかに驚いた顔付きで無遠慮に見ている。それはもう殆ど珍獣を観察しているといった類の視線だった。
(失礼な奴だな。役持ちの俺様を珍獣扱いとは。)
「俺に何か用?」
いきなり話しかけられて、驚いたように言葉を捜している様子が見える。
「は? ああ、ハートの城に行きたいんだけど、道がはっきりしなくて。」
「何しに行くのか知んねーけど、今の時間帯は女王様のご機嫌が最悪だぜ。気をつけな。」
「あの、ペーター=ホワイトって人に会いたいの。その、一人で行っても城に入れるかなって・・」
「宰相さんに用事なの? そう言えば少し前に見かけたけどさ、大事な客が来るとかで神経ビリビリ尖らせて怖かったぜ。」
「そう、ありがとう。」
少女は諦めたのか、溜息を吐きながら歩いてきたらしい道を引き返して行く。何となく興味を惹かれて少し後ろから着いて行くと、今度は時計塔に入って行った。
「ちょ、おいおい・・今度は時計塔かよ。いったい何者なんだよ。」
時計塔の無愛想な主の顔を思い出し、今の少女は何の用事で宰相や時計屋に会うのだろうかと首を捻る。しかし興味深い観察対象が出来た。これは暫く退屈しないなと思いながら時計塔を後にする。
遊園地へ向かう道へ曲がる寸前で、大きな声で呼び止められた。
「ねぇ、やっぱり城への道、教えて欲しいの。」
振り向くまでも無い。先程の少女だ。教えるも何も、さっき出会った場所のもう少し先を曲がれば良いだけなのだ。難しいことも何も無い。そんな事も知らないのか。振り返ると、ボリスは少女の質問には答えずに、自分の疑問を口にした。
「ねえ、君は何者なの? 時計屋さんとも知り合い?」
時計屋。と呟いた後、少し考え込んでいたが、
「えと、ユリウスって人のことかな? なら、さっき知り合ったばかりよ。私は、」
そこで言葉が止まる。此方を真っ直ぐに見ている目はエメラルドグリーンだ。
「私は、アリス=リデル。ユリウスは余所者って言ってたけど、意味、通じるかな?」
「・・・・・・」
ボリスは言葉を忘れるほど驚いた。余所者・・・知識としては知っている。だが、そういう存在が実際にこの世界に居るとは思ってもみなかった。それでは城の宰相が兵士達に話していた大事な客とは、この少女のことかと思い至り、ますます好奇心が掻きたてられる。
「俺はボリス。ねえ、城に案内するからさ、後で君の話し聞かせてくれない?」
お互いの利益が合致して城へ向かった。が、前庭まで様子を見に来た宰相とばったり出くわし、聞く耳持たないウサギ耳男に銃を乱射され、気付けばアリスと森の中に逃げ込んでいた。しつこく追って来た兵士と宰相を撒くために、夜になるまで木の上で待つことにする。
「は~、何なんだよ、宰相さん。酷いよな。」
一緒に逃げて来たアリスの方を見ると様子が変だ。一言も口も利かず俯いたまま、自分の身体を抱き締めるようにしている。ボリスが腕に触れると、震えているのが伝わってきた。
「どうしたの?寒い?」
小さく首を振り否定する。
「・・・い。」
小さな声にボリスは驚き、目の前で震える少女をまじまじと見た。良く解らないが恐怖に震えているのなら出来る事は一つしかない。アリスを幹の近くに座らせ、自分は同じ枝の先に寝そべっていたのだが、起き上がって華奢な肩を抱いた。何に怯えているのかは理解できないが、今は黙って隣に座る。
アリスは銃を向けられ発砲されたことにショックを受けていた。
(いや~、宰相さんは俺を狙ってただけだと思うけど・・)
それがこの世界では日常茶飯事なことを教えると、酷く驚いた顔を見せる。銃の携帯が普通。命の価値が低い。ボリスにとっては当たり前のことに一々大層な驚きの反応を見せる。
くだらない用事に三時間帯も費やしてしまった。後始末は部下に任せて一人先に戻る。
異様に身体がだるい。寝転んで目を閉じると、睡魔に身を任せて眠る。
「ボリス。それじゃ、先に行ってるね。」
「あ、うん。気をつけて。そうだ、俺の分は熱い紅茶止めてよね。」
振り返ったアリスは、笑顔で親指と人差し指で丸を作る。それから手を振ると、長い金髪を揺らしながら遠ざかって行った。その後ろ姿を見ながら思わず顔がにやけてしまう。
「は~あ、いいねぇ若いもんは楽しそうで。」
声をかけてきたのはゴーランド。この遊園地のオーナーだ。肘でボリスを小突きながら白い歯を見せて笑う。
「うっせ! 厄介事頼んでおいて何だよ!」
そうだ、ボリスはアリスと出かける直前になってゴーランドに用事を頼まれてしまい機嫌が悪いのだ。遊園地のお得意さんがボリスの大ファンとかで、一緒に園内を廻って欲しいと頼まれたのだった。ボリスも居候とはいえ此処に厄介になっている身、特に最近はアリス絡みの厄介事を引き受けてくれているから、無下には断れない。
「まぁ、そう言うなよ。うちも客商売だからな、お得意さんの我が儘にも偶には応えなきゃな。」
ボリスの肩に腕を回すと、お得意さんの待つ方向へ歩き出す。
「へいへい・・解ってますよ。」
「そういやさっきも来てたぜ、例の宰相さんがよ。全く懲りねえ奴だな。」
「なんだよおっさん、俺も呼んでくれれば良かったのに。」
「はあ? 鼻の下伸ばして、俺って猫舌なんだよね~とか惚けてると死ぬぞ? 宰相さんは必死だからなぁ。」
ペーターは城の仕事が余程暇なのか、頻回に訪れては遊園地のゲート付近でアリスを返せと騒ぎ立てる。毎度最後は銃撃戦になるわけだが、宰相殿の銃の腕は素晴らしく、一撃で決めてくる。急所を外さない。そんな腕でもなければ、単身敵地になんて乗り込んでは来ないのだろうが。ゴーランドは暗にその事を言っているのだろう。
「でもさ~、最近撃ってないし腕が鈍る気がしてさ。」
「おいおい、いいのか? 愛しのアリスちゃんに見られたら嫌われるぞ~」
ボリスは自分の大好きな趣味を、アリスには隠している。銃の携帯はしているが、それはこの国の常識としてという事になっているのだ。園内のスタッフも全員携帯しているところから、アリスの中では、異国の常識と理解しているようだ。いづれは危険が迫れば使わざるを得ない場面もあるだろう。そういう状況は避けたいが、此方での常識をどうしたら理解してもらえるのか、そこが悩むところだ。
ボリスは、ゴーランドと観覧車の方へ向かう。幾つか一緒に乗り物に乗って、お話し相手になるだけだ。今までならお客を楽しませながら自分も適当に楽しんでいた。ところが今日は観覧車に乗っても、相手から話しかけられても上の空。窓の外の森。今、アリスは何処ら辺りを歩いているのだろうか。危ない目に遭っていないだろうか。そればかりが頭を過ぎる。
初めて会った時、アリスはこの世界に着いたばかりだと言っていた。
ハートの城からの帰り道、ボリスは往来の真ん中で挙動不審な少女を見かけた。金色の髪に青いリボン。青と白のエプロンドレスの少女。此方に気付くと、明らかに驚いた顔付きで無遠慮に見ている。それはもう殆ど珍獣を観察しているといった類の視線だった。
(失礼な奴だな。役持ちの俺様を珍獣扱いとは。)
「俺に何か用?」
いきなり話しかけられて、驚いたように言葉を捜している様子が見える。
「は? ああ、ハートの城に行きたいんだけど、道がはっきりしなくて。」
「何しに行くのか知んねーけど、今の時間帯は女王様のご機嫌が最悪だぜ。気をつけな。」
「あの、ペーター=ホワイトって人に会いたいの。その、一人で行っても城に入れるかなって・・」
「宰相さんに用事なの? そう言えば少し前に見かけたけどさ、大事な客が来るとかで神経ビリビリ尖らせて怖かったぜ。」
「そう、ありがとう。」
少女は諦めたのか、溜息を吐きながら歩いてきたらしい道を引き返して行く。何となく興味を惹かれて少し後ろから着いて行くと、今度は時計塔に入って行った。
「ちょ、おいおい・・今度は時計塔かよ。いったい何者なんだよ。」
時計塔の無愛想な主の顔を思い出し、今の少女は何の用事で宰相や時計屋に会うのだろうかと首を捻る。しかし興味深い観察対象が出来た。これは暫く退屈しないなと思いながら時計塔を後にする。
遊園地へ向かう道へ曲がる寸前で、大きな声で呼び止められた。
「ねぇ、やっぱり城への道、教えて欲しいの。」
振り向くまでも無い。先程の少女だ。教えるも何も、さっき出会った場所のもう少し先を曲がれば良いだけなのだ。難しいことも何も無い。そんな事も知らないのか。振り返ると、ボリスは少女の質問には答えずに、自分の疑問を口にした。
「ねえ、君は何者なの? 時計屋さんとも知り合い?」
時計屋。と呟いた後、少し考え込んでいたが、
「えと、ユリウスって人のことかな? なら、さっき知り合ったばかりよ。私は、」
そこで言葉が止まる。此方を真っ直ぐに見ている目はエメラルドグリーンだ。
「私は、アリス=リデル。ユリウスは余所者って言ってたけど、意味、通じるかな?」
「・・・・・・」
ボリスは言葉を忘れるほど驚いた。余所者・・・知識としては知っている。だが、そういう存在が実際にこの世界に居るとは思ってもみなかった。それでは城の宰相が兵士達に話していた大事な客とは、この少女のことかと思い至り、ますます好奇心が掻きたてられる。
「俺はボリス。ねえ、城に案内するからさ、後で君の話し聞かせてくれない?」
お互いの利益が合致して城へ向かった。が、前庭まで様子を見に来た宰相とばったり出くわし、聞く耳持たないウサギ耳男に銃を乱射され、気付けばアリスと森の中に逃げ込んでいた。しつこく追って来た兵士と宰相を撒くために、夜になるまで木の上で待つことにする。
「は~、何なんだよ、宰相さん。酷いよな。」
一緒に逃げて来たアリスの方を見ると様子が変だ。一言も口も利かず俯いたまま、自分の身体を抱き締めるようにしている。ボリスが腕に触れると、震えているのが伝わってきた。
「どうしたの?寒い?」
小さく首を振り否定する。
「・・・い。」
小さな声にボリスは驚き、目の前で震える少女をまじまじと見た。良く解らないが恐怖に震えているのなら出来る事は一つしかない。アリスを幹の近くに座らせ、自分は同じ枝の先に寝そべっていたのだが、起き上がって華奢な肩を抱いた。何に怯えているのかは理解できないが、今は黙って隣に座る。
アリスは銃を向けられ発砲されたことにショックを受けていた。
(いや~、宰相さんは俺を狙ってただけだと思うけど・・)
それがこの世界では日常茶飯事なことを教えると、酷く驚いた顔を見せる。銃の携帯が普通。命の価値が低い。ボリスにとっては当たり前のことに一々大層な驚きの反応を見せる。
作品名:出会い(チェシャ猫と帽子屋 編) 作家名:沙羅紅月