出会い(チェシャ猫と帽子屋 編)
「だって、ペーター=ホワイトがよくやって来るんでしょう? だから危ないって心配して、遊園地のスタッフの皆が銃を持った方が良いって勧めてくれたの。ボリスはマニアだから相談しろって言われたもの。」
呆気に取られるボリス。
「え――!知ってたのかよ。アリス、武器とか嫌いだと思ってたから内緒にしてたのに。」
自分の無駄な努力を知って脱力する。
「うん、嫌いだし、自分で持つ気は無いけど、でも此方の世界では必需品なんでしょう?」
「まあね。」
「私には理解できないけど、それで全てを否定するほど子供じゃないわよ。」
ボリスは黙って聞いていたが、それについては返事をしなかった。
「ね、アリス。なぞなぞだよ。」
それよりも、急にお得意のなぞなぞをする気になったらしい。
ボリスが時々出すなぞなぞは難しかったり、答えを教えてくれなかったり。答えを聞いてもよく解らないことが多い。今回はどんなへそ曲がりな問題だろうと思う。
「ねずみの鳴き声は?」
「は? それがなぞなぞなの? そんなの簡単じゃない! チュウでしょう?」
「そう、正解。チュウ。」
と言いながら頬にキスしてきた。驚いてボリスの方を見る。その無防備な唇に、も一度軽くキスすると、
「おやすみ、アリス。」
と言って駆けて行ってしまった。一人取り残されてぼんやりする。いきなりの事で、頭がついていけていない。
(何、今の。)
時間が経つにつれ追い付いて来た現実。ボリスの触れた唇に手を当てる。胸が苦しいくらい速い鼓動。この世界に来てから一番長い時間接してきた友人。本当に友人だと思っていた? 意識しないようにしてきたけれど、いつの間にか側に居ると安心する存在になっていた。それは、恋なんかじゃない。どうしても否定したい自分がいる。
(だって、私はこの世界の住人じゃない。)
眠る前の身支度を整えて、鏡の中に赤面するアリスが居た。
ボリスの触れた唇の感触で、思い出したく無い事まで思い出す。あの時の事を考えるだけでも恥ずかしい。口移しで飲ませられるかもと安易な発想をした自分を深く反省する。単に昔の想いを重ねて、キスをする理由にしたかっただけなのではと自分を責める。しかも二度も唇に触れてしまった。飲ませたかった液体は、唇の表面を滑り落ち、アリスのエプロンを濡らしてしまっただけだった。
実際の帽子屋という男は、あの人には似ても似つかない内面を持っている裏社会のボスだ。そんな男の唇に、知らぬ事とはいえ触れてしまったことを激しく後悔するのだった。それでも過ぎた過去はどうにもならない。救いは、それを知るのが自分一人だけということだ。
「帽子屋は気がついているさ。」
ナイトメアが夢の中で囁く。驚いて見上げると頭上に浮かんでいた。どうしてこういう如何でもいい所で出張ってくるのか。蹴っ飛ばしてやりたい。アリスはむきになって否定する。
「嘘よ。だって意識が無かったじゃない。」
「夢うつつだっただけさ。今でも現実だと思いたがっているよ。」
思いたがっているって、どういう事? こんないい加減な話に惑わされてはいけない、ナイトメアは心を読んで、面白がっているだけ。夢の中で人の心を惑わせる悪魔なのだから。
「いい加減なこと言って、また惑わせようとしているんでしょう!」
「ふふ・・そうかもしれないし、そうでないかもしれない。」
曖昧な言葉を残し夢魔は消えた。アリスは飛び起きる。せっかく色んな事が円満解決したと思ったのに、別の要らぬ火種を抱え込んでしまった。どうしてこう次から次へと心乱す事が起きるのか。ただ平穏に時を過ごし、元の世界に戻れる日を待っているだけなのに。
意地悪なナイトメアが思わせ振りな事を言って来ても、滞在地の違う帽子屋には、今後会わずに済むかもしれない。でも、ボリスにはどんな顔をすればいいのだろう。意識しないでおこうとすればするほど気になってしまう。今まで通りに接することが出来るのか、自信が無い。
アリスは唇を指で触れながら、自分に言い聞かせるように独り言を言った。
「絶対駄目!」
アリス、貴女をこの世界に引き止めるために、僕は沢山の罠を用意してあげたんです。どうです、素敵でしょう? それを潜り抜けてゲームをクリアできますか。僕達は、必ず貴女のハートを射止めてみせますよ。
貴方を逃がしたりしませんよ。絶対に。
作品名:出会い(チェシャ猫と帽子屋 編) 作家名:沙羅紅月