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出会い(チェシャ猫と帽子屋 編)

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アリスは真っ赤になると、男の手を払って立ち上がった。これ以上近づかれたら唇が触れてしまいそうなほどに接近されてしまい、意を決してこの場を離れる選択をしたのだ。

「・・・お嬢さん? 大丈夫か!」

立ち上がった瞬間に目の前が真っ暗になる。必要な睡眠も栄養も不足していた身体には、急激な体勢の変化を調整する負荷が大き過ぎたようだ。アリスは目を閉じると膝の関節を脱力させながら、そのまま後方の地面に引き込まれるように身体の重心を移動させていった。金の長い髪が滝のように地面に向かって落ちてゆく。そのまま、急ぎ差し出された白い腕の中に沈んでいった。


黒い闇の中に沈む身体に、起きろと声がする。異常にだるくて眠い。もっと眠っていたいと思うのに眠らせてはくれない。唇に柔らかい感触があり、僅かに甘い滴が口の中に広がる。その微かな味覚への刺激が、辛うじて闇の中での儚い意識を保つ。再び唇に触れる感触と甘い滴。やがてそれは一滴の滴ではなく口内を満たす流れとなり、喉から流れ落ちて身体を潤していく。意識が流されないように手掛かりを探す。細い誰かの手を掴むとしっかりと握り締めた。

何度も反芻するイメージ。これは単なる夢だったのか、それとも現実だったのか判断できない。ただ思い返す度に陶酔するほど甘く心を縛られるのだ。
ブラッドは手の平の小瓶を見る。夢の中で誰かの手を掴んだと思った。だが目が覚めた時に握り締めていたのはこの小瓶だった。夢の中では、確かにこの手を握り返す感覚を感じていた筈なのに。何処までが現実で、何処からが夢なのか知る術も無い。

ベッドの端に腰を下ろし、月の光の中で眠り続けるアリスの手に小瓶を握らせる。唇に、微かに触れるようにキスをした。それが夢の中の感触と同じかどうかなんて判らない。二度目は彼女の柔らかな感触を味わうようにゆっくりと唇を重ねた。



目を覚ますとウサギ耳の大きな男が覗き込んでいる。

「ぎゃああああああぁぁぁぁぁ~~~~~!」

屋敷中に響き渡るような叫び声に、その男は尻餅をついた。

「うわ、ビックリした!」

それだけデカイ声が出るのならもう何か食べれるだろうと言うと、紙を一枚手渡してそそくさと部屋を出て行ってしまう。あの森の中で見た男に間違いない。自分の状況が全く見えずに大きく不安になる。渡された紙を見ると、

「何これ?」

キャロットリゾット・キャロットプリン・キャロットポタージュ・キャロットムースのキャロットソース添え・・・・・・

読んでいる途中で、ノックがしてドアが少し開く。子供が二人顔を出すと、

「お姉さん、大丈夫?」

と、二人でハモッって来た。これは、この間見た大きな斧を持った子供達だ。緊張で体が強張る。子供達はベッドの近くまで来ると膝を折って此方を心配そうに見上げてくる。こうして近くで見ると可愛い顔をしている。だが、例の斧は目の前にある。震える指で斧を指差すと、

「ああ、これね! 僕達子供だけど門番だから、敵に舐められないようにこういうの持ってるんだ~。」

そう言うと、二人で顔を見合わせて、ニコリと笑う。そういうことかと微妙に納得する。

「ねぇ、これ馬鹿ウサギが持って来たんでしょう?」
「本当だ! 何このメニュー、人参ばっかりじゃん!」

いつの間にか先程の紙を見ている。そのやり取りは普通の子供の姿だ。

「あの・・聞いて良い? 此処って何処かしら?」

二人の色違いの瞳がアリスを見た。




アリスは帽子屋屋敷で数時間帯世話になってしまうことになった。軽い睡眠不足で身体が弱っていたというところか。すっかり回復すると、アリスの為にお茶会を開いてくれた。短い滞在の間に、此処の住人が誰彼無しに無茶なことをするわけでは無い事は理解した。
普通にしていれば、少なくとも害は与えられないと知って安心する。

「お姉さん、僕達がボスを迎えに行った時、少し離れた茂みに居たでしょ?」

「うん、気配だだ漏れだったよね、兄弟。」

「あ~、あんただったのか。俺は刺客かと思ってたんだ。良かったぜ、撃たなくて。」

上手く隠れたつもりだったのだが、意味は無かったようだ。ボリスが遊園地へ帰れと言っていた意味が解る。この人達にとっては、視覚的に隠れることなどは何の意味も持たないようだ。

「感激だね。こんなに可愛いお嬢さんに、口移しでレモネードを飲ませてもらえたなんて。」

ブラッドの言葉に、エリオットがまじめな顔で此方を見ながら言う。

「へええ~。意外にやるね、アリス。」

「なっ、そんなことしてません! ティーポットで少しづつ流し込んだんですけど。」

アリスは真っ赤になりながらもきっちり訂正を入れる。

「おー! アリスって頭良いな!」

ボリスがいやに明るく反応する。双子達が口々に自分の上司を非難する。

「ボス、親爺の発想だよ。大人っていやらしいね、兄弟。」

「そうだよ。お姉さんは純真なんだから、そんな事しないよ。ね、兄弟」

「ふう、全く以って現実的且つ合理的な発想だな。感心するよ。せめてもう少し夢のある飲ませ方を期待していたんだが。お嬢さん、男には壊して欲しくない夢というものがあるんだよ。」

ブラッドは紅茶を飲みながら詰まらなさそうに呟く。

「夢って・・・」

アリスは呆れて言葉が続かない。夢のある飲ませ方とは何だ? 具合が悪い時にもそういうものが優先されるのか。男とはつくづく解らないものだと思う。それでも何故だかこの場が楽しい。

「それよりさ、ブラッド。もうあんな無茶は止めてくれよ。七時間帯も八時間帯も眠らなきゃそりゃ俺だって倒れるって。しかも飯も食ってないって、無茶にも程があるだろ。俺さ、いつも非常食持ってるんだぜ!」

そう言いながら、懐から袋に入った焼き菓子らしき物を取り出す。

「キャロットクッキー! これからはブラッドの分も俺が用意しておくから安心してくれ。」

満面笑みのエリオットの視線を避けるようにブラッドはそっぽを向くと、

「いや、それは門番達にやってくれ。私は自分の物は自分で用意する。大人だからな。」

と苦々しく返事をする。明らかな拒否の意思表示なのだが、エリオットには通じていない。

「ブラッド・・・門番たちの心配まで。なんて良い上司なんだ。」

アリスは、噛み合わない会話が可笑しくて笑い出す。あまりに可笑しそうに笑うアリスに視線が集まる。それに気付くと、

「ごめんなさい。もっと怖い人達だと思っていたのに、全然違うのね。会話を聞いていると楽しくて。」

「そうか、それは良かった。お嬢さん、気が向いたときにはいつでも遊びにくるといい。待っているよ。」

ブラッドは優しげに笑ってそう言った。この前の、森の中で会った時と同じ人物とは思えないほど優しく見える。アリスは暫くブラッドから目が離せなかった。





遊園地への帰り道、ボリスは思い切ってアリスに言ってみた。

「アリス。俺ってさ、本当はガンオタなんだ。その、嘘吐くつもりじゃなかったんだけど・・」

言い終わると心配そうにアリスの顔を見る。

「え? うん。知ってるよ。」

「は?」